共犯の自覚無き産経新聞。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





夕刻の備忘録 様のブログより。




朝日の頭は腐っているが、産経の頭は呆けている。
産経は実に支離滅裂である。
回線が寸断され、思考がバラバラになっている。

多くの記者が関わって作る紙面だから、部分部分で食い違いがあるのは致し方無い、という弁解を何度も聞かされてきた。しかし、言論機関であるならば、そこに社論というものがあろう。責任者が導く一つの方向性があろう。

我が国の新聞の中では、比較的「まとも」だと言われながら、産経に対する支持が一向に拡がらないのは、こうしたまとまりの無さにある。

言っていることと、やっていることが違う。
一面と二面で違う、人が変われば違う。
時期が変われば、また違う。

社説で否定していることが、広告では肯定されている。新聞内容と請け負う広告では違うのが当たり前、と言いたいのだろうが、そうもいかない。読者にそんな区別は無い。社を挙げて否定していることを、逆に推進する広告が直ぐ隣に掲載されていれば、読者はどう思うか。

冴えた読者なら「支離滅裂だな」と思うだろう。冴えない読者は、何の疑問を持つこともなく、その広告世界に取り込まれる。そして、結局記事など読まず、広告に誘惑されて現実を忘れる。冴えない読者は産経を購読することに意味を見出せず、冴えた読者は産経を購読することが無意味であると知る。

中韓が狙う日本の「原発」 引き抜き横行、後絶たない技術流出
 大企業や中小企業の技術者が、好条件につられて韓国メーカーなどに引き抜かれ、技術流出につながるケースは10年ほど前から深刻化している。一部で訴訟にも発展したが、長引く景気低迷やリストラを背景に歯止めがかからず、産業競争力の低下につながりかねない事態に発展している。
 「年収6千万円以上」「専属秘書や運転手付きの車を支給」-。韓国の電機メーカーは、破格の条件を付けて日本人技術者の確保を進めてきた。週末ごとに韓国メーカーに招かれ、アルバイトのような形で技術提供する技術者の存在が問題になったほか、今年1月には、韓国・サムスン電子が日本法人の代表取締役にソニーの元業務執行役員を抜擢し、衝撃を与えた。
 韓国や中国企業が、経営不振に陥ったパナソニックやシャープなどの人材の受け皿になっているとの指摘もある。だが、すでに売上高や利益率で日本をしのぐ存在になったサムスン電子の関係者は「今は、日本人技術者だからといってすぐに採用しない。本当に質の高い人間しかいらない」と言う。実際、ノウハウを吸収するとすぐに解雇する“切り捨て”事例も報告されるようになった。
 一方で、原発技術に関しては世界的に評価され、高い競争力を持つ日本。政府もインフラ輸出に力を入れるが、国を挙げて受注合戦を挑んでくる韓国や中国への人材流出は、こうした得意分野ですら乗っ取られかねない危険を抱えている。

 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130408/crm13040811320002-n1.htm

ここにも産経の腰の据わらなさが透けて見える。

産経は、技術流出に否定的なのか、肯定的なのか。グローバル、グローバルと煽ってきたのは新聞である。産経も例外ではない。規制緩和に、グローバル。これらを否定している新聞社は存在しない。

しかし、何か問題点を見付けると、大枠での主張は忘れて、「技術流出は問題だ、困ったものだ」と繰り返すのである。グローバル化、世界企業化で国際的な人材交流の時代だというのなら、そもそも技術流出なる言葉が、その意味を持たないはずである。

ところが一転して、それが問題だと言い始める。「厚遇で引き抜かれた」などと報じる。そして、こうした記事の中でさえ、「すでに売上高や利益率で日本をしのぐ存在になったサムスン電子」などと、サラリと嘘を書く。

語る土俵も違えば、その存在が虚像そのものの企業である。それを承知の上で、礼賛記事を書き続け、返す刀で日本企業を貶めてきた。堅実に働く人達を小馬鹿にし、これからはマーケティングの時代だ、と製造業を皮肉ってきた。

松下電器の凋落は、企業名の変更に始まった。その原因は変更理由にあった。歴史有る社名をマーケティングを理由に貶め、創業者を軽視することで、消費者との信頼関係を失った。社名変更手続きの折々に、グローバル企業とやらに向けた対抗心を見せ付けられた。ブランド戦略云々と聞かされた。軽薄とはまさにこのことである。「パナソニック幸之助」では元祖「経営の神様」も浮かばれまい。

産経は危機を訴えながら、その同じページに汚らわしい出稼ぎタレントの写真を大写しにしている。分裂症だと言う所以である。タレントを突破口にして、日本文化に食い込み、食い込んだことを証にして、本来それは自分達のものだと虚言をなす。そして、国宝を盗み、島を盗み、領海を侵犯する。

全ては蟻の一穴から発している。「その片棒を担いでいない」と言い切る自信が産経にはあるか。「お隣の国・何々」とは今やNHKの定番文句である。ロシアも隣である。アメリカでさえ隣である。しかし、彼等はそうは言わない。特定アジアの特定とは、マスコミ御用達の意味である。その意味での御指名、特定なのである。

技術流出が本当に問題だと論じるなら、原子力発電所の廃炉にさえ世界最高の技術が必要だ、という当たり前の事実を、広く説くべくではないか。大学にその専門課程を作れと主張するべきではないか。先の見えない業態ではあっても、国家百年の計のためには、歯を食いしばって頑張って欲しい、と激励するべきではないか。そうした雰囲気が国内に無いからこそ、彼等は流出したのである。

金に転んだ人間が多いことは事実である。しかし、その一方で誇りをズタズタにされ、侮辱されることに耐えきれなくなって新天地を求めた者もいるのである。そうした社会風潮こそ批判されるべきではないか。そのためのマスコミ、新聞なのではないか。

共犯の自覚無きマスコミは、もはや主犯である。







まさに我が意を得たりの論文です。イーグル。