フェアレディとZ旗。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ねず様のブログ・ねずさんのひとりごと より。




フェアレディZ





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フェアレディZといえば、日産を代表するスポーツカーとして、有名です。
現行モデルは6代目となり、標準仕様でV6/3.7リッターで336馬力のモンスターマシンに仕上がっています。
ところでこのフェアレディZ、どうして「Z」なのかというと、実は、初代モデルが関係しているのです。

初代モデルが登場したのは、いまから44年前の昭和44(1969)年のことです。
この車の開発は、日産社内のごく少数の開発チームで行われました。
その開発室には、実は「Z旗」が掲げられていたのです。


Z旗

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「Z旗」というのは、日本海海戦で、日本海軍がロシアのバルチック艦隊を破った時に、艦上に掲げられた旗です。
もともとは、国際信号旗でアルファベットの「Z」の文字を示す信号旗ですが、艦隊決戦の際に、東郷平八郎連合艦隊司令長官の座乗する旗艦三笠(みかさ)のマストに、この旗が「皇国ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」という意味として掲揚されたものです。

フェアレディZが開発されたのは、1960年代当時です。
時期的には、日本海海戦から50年以上、大東亜戦争終結からもすでに20年近く経過していました。
けれど、開発チームの心には、先の大戦で日本は破れはしたものの、その心は決して挫けない。
自分たちなりに、日本の心を世界に向けて発進するのだ、という心意気で、開発室に「Z旗」を掲げたのです。

世界がびっくりするような、高性能車を作ろう。
欧米市場を席巻できるだけの日本の技術を、世界に向けて発進しよう。
そのために世界最高の車を作ろう。
彼らの心には、そういう国家を背負って立つ気概がありました。
そして、完成した車に、「Z」と名前をつけたのです。

彼らはこの車を、欧米で「ダットサンZ」の名前で売り出しました。
スポーツ車でありながら、決して大容量のエンジンを積んでいるわけではない。
特別高速域だけを追求したわけでもない。
小さなエンジンでありながら、ハイパワーを実現し、しかも中速域のトルクが高く、回頭性が良く、街中にあっても扱いやすい。
そして走り出すと、マフラーではなく、エンジンそのものの重低音が社内に響き渡り、その音はまるで超大型エンジンを積んだF1マシンのような心地よい音色を奏でる。

車は、欧米市場で大ヒットしました。
世界総販売台数は55万台です。
当時のスポーツカーとしては空前の記録でした。

そしてこの車がもとになり、高性能日本車のイメージが、欧米市場に定着したのです。
それはまさに、「Z旗」を掲げて戦った日本艦隊の勝利が、世界の戦史に燦然と輝く歴史を残したのと同じ、日本への輝きをもたらしたものでした。

同様に、マツダのロータリーエンジンも、日本の技術を世界に問うていきたいという夢から生まれたエンジンでした。
戦争で灰燼になった日本、原爆を投下された広島で、唯一残ったのがマツダの工場でした。
そこには多くの避難民が集まり、大怪我をしたたくさんの人たちが収容され、治療を受けたのもマツダの工場です。
だからこそ、俺たちは世界最高の技術で世界に挑戦していきたい。
それが当時のマツダの合い言葉でした。

フェアレディZの「Z旗」にしても、マツダのロータリーエンジンにしても、なぜそこまでの努力ができたかといえば、それは男たちが「国家を背負う心」を持っていたからです。

何かのために生きるというのは、辛いことです。
人は自分のために生きた方が気楽です。
早い話、学校が終わった後、部活をやってくたくたになって帰って来る。
眠くてかなわない。
自分のための勉強なら、簡単に「今日は勉強をさぼって寝てしまおう」と簡単に自分を甘やかすことができます。
けれど、誰かのために、たとえば苦労して育ててくれている母のために、あるいは兄弟のために、会社のために、あるいは国家のためにという気持ちがあれば、そこから「もうひとふんばり」という気持ちが起きる。踏ん張れる。

焼け野原になった日本を何とかしたい。
自分たちにできることで、「皇国の興廃この一戦にあり」を証明し、勝ちたい。
そういう気概と誇りが、結果として「凄い製品」を造り上げたのだと思います。

大東亜戦争が、すでに終わった過去のものと思っている人は多いです。
けれど実は、戦争はまだ終わったわけではないのです。
米国の政治学者のサミュエル・P・ハンチントンは、そのことを「文明の衝突」という言葉で表しました。

大東亜戦争は、人種の平等を主張する日本と、有色人種を植民地支配する欧米列強との戦いでした。
日本は焼け野原となりましたが、500年続いた欧米の植民地支配も、終わりを告げました。
植民地支配が終わることで、では、誰が得をし、誰が損をしたのでしょうか。

得をしたのは、支配されていた被植民地国です。
彼らは民族の独立を手に入れることができ、いまやアジアの繁栄を築いています。

では、損をしたのは誰でしょう。
欧米の植民地支配国・・・半分当たりです。けれど半分ハズレです。
なぜなら、国そのものが受益者となっていたわけではないからです。

実際には、欧米の一部の植民地成金や貴族が、約500年にわたる植民地支配をしていただけです。
植民地支配をしている国のことを、宗主国(Master Company)と言いますが、なるほど国が国を支配していたわけだけれども、だからといって、宗主国の国民全部がその受益者となっていたわけではありません。

ルイ14世の時代といえば、フランスの絶対王朝全盛期の国王です。
時代は、日本でいったら、江戸時代の中期頃の王様の時代です。
その時代のフランス人の平均寿命は、一説によれば若干24歳でした。
国王が、宮殿を営んで、贅沢の限りを尽くした一方で、多くの民衆は植えに苦しみ、若くして早世していました。

その国王の宮殿にも、貴族たちの館にも、トイレはありません。
糞尿は、部屋の隅に置かれた大きな瓶(かめ)の中に行い、ある程度溜まると下女たちが、城の窓から外の路地に捨てていました。
よく、昔の貴婦人などの絵を見ると、雨でもないのにみなさん傘をさしておいでだけれど、いつ頭の上から糞尿が降って来るかわからない状態だったのです。
だから、傘をさした。

ちなみにこうして捨てられた糞尿は、石畳の隙間から地面に吸い込まれ、長年の間に結晶化して硝石となりました。
そしてその硝石が、火薬の原料となっています。

一方、一般庶民は、セーヌ川に糞尿を垂れ流していました。
そのセーヌ川は、同時に人々が生きるための上水道でもありました。
人々はその川で、洗濯をし、飲料水を得ていたのです。

ですからペストが流行すると、いっぺんにヨーロッパの人々は死にました。
何年かに一度、ペストが大流行すると、国民の三割が死亡しています。
だから西洋の人々は、これを「黒死病(こくしびょう)」といって怖れました。

要するに、一般の民衆は、パリやロンドンのような大都会においてさえ、きわめて劣悪な環境下におかれていたのです。
さらにいえば、地方にいけば、その貧困は、まさに目を覆うばかりであったといわれています。

国民の多くが、極めて劣悪な環境下で貧困にあえぎ、短命で終わっていたその時代に、一方では、有色人種国を植民地として支配する貴族たちは、まさに贅沢三昧の暮らしと冨を手に入れていました。
そして国軍は、そうした貴族や金持ちたちを保護するために、用いられています。

我々日本人は、国家というものは、民衆の幸せを保持するためにあるものと信じています。
けれどそれは、日本だからいえることです。
なぜ日本が、そのような国のカタチをもっているかといえば、天皇の存在があったからです。

日本の最高位にあるのは、天皇です。
けれども政治権力者ではありません。
天皇は、政治権力者を任命する権威です。
なぜ天皇にその権威があるかといえば、天皇は日本の最高神である天照大神の直系の子孫だからです。
そして我が国の民衆は、天皇の「おおみたから」とされました。
ですから、我が国の政治権力者も、大名も、商店の経営者も、寺子屋の師匠も、すべて天皇の「おおみたから」を預かる立場と規定されたわけです。

会社においても、部下は、いわば恩賜の部下です。
学校では、生徒は、恩賜の生徒たちです。
自分の部下や生徒ではありません。
だから、上長や教師は、部下や生徒を天皇の預かりものとして、大切に育てるのが、あたりまえのことでした。

日本は建国以来2700年という世界でもっとも古い国です。
二番目に古い歴史を持つデンマークよりも、1700年も古い歴史を持っています。
三番目に古い国が英国ですが、これも建国以来、わずか900年の歴史です。
それ以外の国になれば、そのほとんどがわずか200年未満の歴史しかありません。

世界史の年表を見れば、世界中で様々な国が興り、滅亡してきた歴史を一覧することができますが、ではなぜ国がなくなるのかといえば、それはその国の不都合が拡大し、どうしようもないほどにまでその不都合が膨らんだからです。

逆にいえば、日本がずっと日本のままでこれた理由は、天皇とおおみたからという我が国のカタチが、人類史上、もっとも優れた統治のカタチだったからに他なりません。

植民地支配は、一部の西欧貴族が、他民族国家を支配し収奪する構図のものでした。
それが500年も続いたのは、まさに「武力にものをいわせた」、「力の正義」を貫いたからです。
力によって、徹底的に国を破壊し、抵抗する者を皆殺しにしてきたからこそ、植民地支配は長く続いたのです。

けれど、どうでしょう。
そうやって支配することは、もちろん支配者たちにとっては、贅沢三昧がゆるされるこのうえもなく幸せな国のカタチかもしれませんが、支配される側の人々の方が、圧倒的に多数なのです。
その圧倒的多数の民衆にとって、そうした支配の構図は、果たして幸せなものであったといえるでしょうか。

日本は、東洋の外れにある小さな国でした。
その日本は、幕末以降、欧米に追いつき、欧米と対等に付き合える国になろうと、必死の努力をしてきました。
そして日清、日露、第一次世界大戦を戦い、欧米列強とともに清国との間に締結した北京議定書に基づいて、欧米とともに支那に出兵し、そして最後は、追いつめられて、ついに人種の平等のために立ち上がり、武器を手にして戦いました。
なるほど日本は、国土を焼土にしました。

けれど、どうでしょう。
戦争は、国家の意思を貫くための最後の手段です。
日本はなるほど戦闘は終わらせましたが、国家の意思は貫き通しました。
そして、世界中で宗主国に植民地支配されていた有色人種国家は、いまやそのほとんどすべてが独立国家になっています。
なるほど日本は、戦闘では、国土まで焼け野原にされてしまいましたが、戦争という意味では、日本は国家目的を達成しています。
その意味では、日本は戦争に勝ったといえるかもしれません。

ただ、では、戦争は終わったのかというと、実は、そうともいえないのです。
社会のごく一部の支配階層の人たちだけが、冨と地位と権力を独占し、我儘勝手な振る舞いで民衆から収奪する、そういう人類の争いの歴史は、いまだに終焉をみていません。

日本人は、国家は民衆のためにこそあると信じていますが、それは日本の常識、世界の非常識です。
世界では、国家は、一部のエスタブリッシュメント(Establishment=確立した政治勢力)のためだけに存在しています。いまでもそうです。

日本にも、そういう考え方をする人がいます。
テレビ局で番組放送中に、女子アナのお尻をなでたりするような者がその典型ですが、政府からの助成金目当てに県民を愚民化誘導して、助成金をフトコロにいれるような人たちも、同じ穴のムジナといえるかもしれません。
東日本大震災のときに、陛下ですら、防護服さえまとわずに被災地に行かれて、お亡くなりになられた方々に手を合わし、地震の最中でさえも避難所をご訪問されたのに、その真逆の行動をしている人たちがいました。
これまた、同じ穴のムジナであろうと思います。

世界に目を向ければ、いまもそうです。
植民地支配がなくなって利権を失った者たち、支那・韓国にいる国民のことより自己の利権を大事にするヤカラたち。いずれも同じ穴のムジナです。
彼らは、自分たちの利権のために、民衆の命さえもなんとも思わない。

先の大戦で、日本が戦った相手というのは、実は、そのような人たちです。
彼らには強大な権力があり、金があり、彼らなりの歴史も伝統もあり、彼らにとっての正義を実現できるだけの力もあります。

先進国と呼ばれる国々でも、大地震のような天変地異があれば、国民が暴動を起こします。
なぜなら、実は、彼らは圧政下におかれ、収奪され、人ではなく、ただのモノとして、道具としてしか活かされていないからです。

日本で大震災があっても、なぜ暴動が起きないか。
それは、日本という国のカタチが、民衆を「おおみたから」としている、それを本気でみんなが信じてきたという長い歴史と伝統があるからです。

世界は、かれこれもう3~4000年の間、支配と圧政、収奪と人を動産やモノとして扱うという姿のまま争い、殺し合ってきました。
その歴史に終止符を打てるのは、おそらく日本だけです。

そして日本を背負って生きるということは、とっても辛く、苦しいことかもしれないけれど、それは人として正しい道なのだと、私は思います。