実はとんでもない動きがあって、多くの人がそんな「めくらまし」に騙されているという事実をひとつ書いてみたいと思います。
おそらく同様のことが他の多くの市町村議会や県議会などでも進行中と思いますので、あえて、ここで晒します。
他の市町村のことだから、ウチには関係ないと思わず、同じことが全国のどこの市町村でも起こりうるし、また現在進行しているということを、まずご承知置きいただきたいと思います。
今月、埼玉県の春日部市議会で、「北朝鮮による核実験強行に断固抗議し、核・ミサイル計画の即時中止と朝鮮半島の非核化への誠実な努力を求める決議」というものが行われました。
いっけんもっともらしく世論を代弁したかのような決議ですが、議案を提出したのは共産党の市議です。
=====
北朝鮮による核実験強行に断固抗議し、核・ミサイル計画の即時中止と朝鮮半島の非核化への誠実な努力を求める決議
2013年2月12日、北朝鮮は2006年と2009年に続く3度目の地下実験を強行しました。
これは、北東アジア全体の平和と安全を脅かし、国際社会における核兵器全面禁止の流れに真っ向から反するものであり、強く抗議します。
今回の行為は、いかなる口実によっても正当化されるものではありません。
国連安全保障理事会では、北朝鮮に対して、「いかなる核実験または弾道ミサイル技術を使用した発射もこれ以上実施しないことを要求する(決議1874)」、「さらなる発射または核実験の場合には、重要な行動をとる決意を表明する(決議2087)」としています。
北朝鮮は、国際社会の一員であるならば、この決議を受け入れ、一切の核・ミサイル計画を即時中止し、朝鮮半島の非核化へ誠実な努力を強く求めます。
=====
実は、この決議文は、さきほど申しました通り、共産党の市議が起草し、市議会の各会派に賛同を求めました。
このとき、保守系の市議より、北朝鮮に関する決議ならば、拉致問題についても触れるべきだ、との主張がなされ、上の決議文に、次の文言が続くことになりました。
=====
また、北朝鮮が速やかに全面的な拉致問題の解決を図ることを強く求めます。
あわせて、国においては、国際社会との緊密な連携の中で、国連決議に基づく制裁の強化を求めます。
以上、決議する。
平成25年3月14日
春日部市議会
======
さて、この文章を読んで、「共産党もなかなか立派な活動をしているじゃないか」、「保守系(自民)の市議も賛成しているなら、相手が北朝鮮なんだし、いいんじゃないか」などと思うようなら、その時点で、あなたは「めくらまし」の催眠術にかかっています。
この決議文の問題点は3つあります。
まず第一に「国防」という観点がまるっきり落ちているということです。
北朝鮮の脅威というのは、単に核や弾道ミサイルにとどまりません。
マスコミ報道によれば、日本全域を射程に入れた射程1300kmの中距離弾道ミサイル・ノドン、韓国を狙うスカッドミサイルへの核搭載などを北朝鮮はすでに進めています。
中距離ミサイルのノドンは、150~200発、スカッドミサイルは640発が配備され、それらミサイルは約80台の発射台付き車両に搭載されています。
移動可能ということは、発射の兆候を探知するのが、きわめて困難であるということを表しています。
つまり、日本はいつ発射されるか、皆目わからないでいて、しかも狙いは確実に日本の重要な施設に向けられているという状況にあるのです。
しかも北朝鮮は、韓国に対し相互不可侵条約を全面的に破棄すると宣言し、いますぐにでも戦争をはじめるぞといわんばかりの状況にあるわけです。
要するに北朝鮮は、すでに日本も韓国も攻撃できるだけの能力があり、そのための体制もすでに整えられているという現実が、目の前にあるのです。
あたりまえのことですが、戦争というのは、当事者の片側がいくら「戦争しません」と言ったところで、相手が攻めてくれば蹂躙されるのが戦争というものです。
日本にとって、北朝鮮の脅威が、現実に深刻な脅威となっており、それは単に核弾頭にとどまらず、中距離ミサイルや、生物化学兵器にいたるまでの深刻な不安材料となっているという状況下において、単に核実験や核ミサイルだけを問題視するというのは、どう言い訳しようが、「片手落ち」の感はまぬがれません。
このことは、第二の、この決議文の起草が日本共産党である、ということにも実は関連してきます。
本来なら、日本の国防問題とすべきところを、単に核実験反対、ミサイル計画中止を求めるという体裁だけに固執するのは、要するに、これが共産党の起案だということだからです。
どういうことかというと、中距離ミサイルや、生物化学兵器にまで言及した国防問題としてこの問題を採上げるには、どうしても日本のミサイル防衛体制の強化や、日米安保の強化の問題を踏まえなければならなくなるからです。
ところが共産党は、日米安保反対、日本の防衛力強化反対の立場です。
ですから、ことさらにこの国防問題を避けて、核廃絶だけを訴えようとする。
けれど、本当にそれだけで、我が国の国民生活の安全が保持できるのかといえば、答えはNOです。
つまり、このような中途半端な決議は、国民の安全には、きわめて不十分な決議でしかない、ということです。
ところが、です。
この決議を通した共産党は、早速駅前の街頭演説や、党内の機関誌等で、「我々は日本の平和と安全のために、他のどの党もやろうとしなかった北朝鮮への核廃絶等への決議を申請し、これを見事に通過させた、われわれこそ、真の平和を願う政党である」と、まるでこの制裁決議が大金星であるかの如く、宣伝に使っているわけです。
このような欺瞞に騙される市民こそ、いい面の皮です。
第三の問題点は、「核兵器の全面禁止」という言葉に秘められた欺瞞です。
核兵器のない平和な世界の実現は、全世界の望みであり、被爆国である日本は、原水爆禁止の平和運動が盛んです。
ところが、実はこの原水爆禁止運動こそ、分裂の歴史そのものでもあるのです。
昭和29(1954)年に、静岡県の焼津の漁船「第五福竜丸」が核実験による被爆を受けたことをきっかけに、昭和30(1955)年に「原水爆禁止日本協議会(略称:原水協)」が発足しました。
ところが昭和36(1961)年のソ連の核実験や、昭和39(1964)年の中共政府の核実験をめぐって、原水協内で違憲の対立が激化し、昭和36年には立教大学の松下正寿学長を議長に、核禁会議が発足、また昭和40(1965)年には、原水禁が、分裂、発足しています。
これがなぜ分裂の原因となったかについては、核禁会議のホームページによれば、
「資本主義陣営の原子爆弾は戦争のための汚い兵器で、社会主義陣営の原爆は平和のためのきれいな兵器です」という共産党の主張と、
「いかなる国のいかなる理由による核兵器もゆるさない」という、共産党以外の意見の対立が、運動の分裂を招いた」のだそうです。
この対立の溝は深くて、それから半世紀を経たいまも、これら運動組織の統一は行われていません。
そして当時参議院議員であった共産党の岩間正男議員は、昭和39(1964)年10月30日の参議院予算委員会で、
「社会主義国が核保有国になったことは、世界平和のために大きな力となっている。
元来、社会主義国の核保有は、帝国主義国のそれとは根本的にその性格を異にし、常に戦争に対する平和の力として大きく作用しているのであります」と述べています。
そしてこの岩間議員の発言は、いまにいたるも日本共産党は撤回はしていません。
ということは、冒頭の決議にある日本共産党の「核兵器全面禁止」という文言は、「社会主義国の原爆保有は平和の力」という論に沿ったものということになります。
であれば、北朝鮮の核保有には、とりあえず反対するが、中共政府やロシアなどの核保有は充分に理解し承認できる、という趣旨ということになり、「国際社会における核兵器全面禁止の流れ」という文言も、民主主義国の核保有に対しては全面禁止を主張するが、中共やロシアなどの社会主義系の国家の核保有には賛成するという立場で書かれたもの、ということになるわけです。
つまり、あらゆる国の核保有に反対だというのではなくて、あくまでこの決議文は、日本国民を欺瞞するパフォーマンスにすぎないということになるわけです。
第四の問題は、共産党の歴史認識です。
共産党は、北朝鮮に核実験をやめさせるためには、「米国が北朝鮮に対する敵視政策をやめることが必要」といっています。
日本共産党は、「日本共産党の45年」において、
「アメリカ帝国主義は、6月25日、我が国を前進基地として朝鮮への侵略戦争を始めました」
「我が党の党員は、事実上の党の分裂という困難な状況にも関わらず、敵のあらゆる弾圧に抗して、我が国を基地とする朝鮮侵略戦争に反対し、ポツタム宣言に基づく全面講和、民主主義と人民の生活向上のために人民の先頭に立って不屈に戦いました」と書いています。
また「日本共産党の60年年表」には、
「6月28日朝鮮人民軍、ソウルを解放」と書いています。
さらに日本共産党は、朝鮮戦争の後方補給基地を武力攪乱工作するために、当時2千人ともいわれる中核自衛隊、山村工作隊などの武装闘争方針を、昭和26(1951)年10月の第五回全国協議会(五全協)で決定し、昭和27年5月、7月には火炎瓶闘争を行い、さらに警察署襲撃事件等を起こしています。
(火炎瓶闘争については、朝日ジャーナル昭和51(1976)年1月30日号で、中核自衛隊隊員の対談が掲載されています)
後年になって日本共産党は、このことについて、
「指導部が分裂していて統一した中央委員会の方針ではなかった」(昭和53(1968)年6月NHK)
「党が分裂と混乱に投げ込まれた事態で、一部の者が極左冒険主義をやったのだ」と弁明しています。
ところが日本共産党の副委員長を勤めた袴田里見氏はこのことについて、「昨日の同志、宮本顕治へ」の中で、
「武装闘争方針が、朝鮮戦争の前線基地としての日本を、後方から攪乱させようという、ソ連の戦略構想から出ていることは明らかだった」と書いています。
つまり、コミンテルンの指示に従って、党の意思として武装闘争を行っていたと明確に述べているわけです。
このことは、昭和42(1967)年の警察庁警備局の「回想、戦後主要左翼事件」においても、また産經新聞出版発行、兵本達吉著「日本共産党の戦後史」においても、同様の指摘がなされています。
ちなみに朝鮮戦争は、スターリンが昭和28(1953)年3月5日に死去すると、同じ年の7月27日に休戦協定が成立し、日本共産党の武力闘争も、そこでピタリと止んでいます。
要するに当時の共産党の朝鮮戦争に対する理解は、朝鮮戦争は米国帝国主義が勝手に始めたものであり、平和を求めるソ連の指示のもと、日本共産党は米国の前進基地となっている日本において、徹底した武力闘争によって、米帝国主義の目論見を阻止しようとした、という理解だったわけです。
ところが「日本共産党の70年」では、このことについて、次のように「いつの間にか」書き換えられています。
「昭和25年6月25日、38度戦で大規模な軍事衝突が起き、全面的な内戦が始まった。この内戦は、実際には、スターリンの承認のもとに、北朝鮮の計画的な軍事行動によってはじめられたものであった」
なんとここでは、ソ連の承認を受けた北朝鮮による侵略戦争とも読み取れる記述をしているわけです。
かように、時代とともにアメリカ帝国主義の侵略戦争なのか、北朝鮮の侵略なのか、ちゃんとした総括も反省もなく、コロコロと都合良く歴史認識を変えるいい加減な政党から出される核廃絶の決議案など、まったく信頼に値しないし、どう賛成し、どう反対したら良いかさえも、皆目わからないシロモノにすぎないわけです。
もし、当初の共産党の発言や行動が共産党の意思ならば、今回の北朝鮮の核開発は、北朝鮮の米帝国主義の侵略行為に対する英雄的行動となるのでしょうし、逆に朝鮮戦争が北朝鮮の侵略戦争だというのなら、北朝鮮の核開発だけに焦点をしぼるのではなくて、そうした脅威を持った国が隣国にあるという事実に照らし、我が国の防衛について積極的な取組み強化を図ることを、むしろ提言、決議すべきです。
というわけで、4つの問題点を挙げたのですが、実は、この問題提起は、春日部市議会において、柔道家で保守系の市議である「井上えいじ議員」ただひとりが、市議会で、以上の論点を述べて、反対の声明を行いました。
井上えいじ市議
http://eiji5inoue.web.fc2.com/
ただひとりの反対意見です。
ですから決議分は、市議会で可決されました。
その後のことです。
春日部駅頭で、さっそく日本共産党市議による、街頭演説が行われました。
そこで共産党の市議は、井上えいじ議員を名指しで、「核廃絶や平和を願う私たち共産党の決議案に反対した軍国主義者」というレッテルを貼り、非難をしていたとのことです。
私が思い、また、みなさんにもよく考えていただきたいと思うのは、核廃絶や北朝鮮の脅威といった国防上の重大問題が、このように党利党略によって意図的に「別な方向に誘導」され、肝心なことから世間の耳目が故意に逸らされ、むしろ本気で国民の安全を願う正論を述べる者が、まるで軍国主義の戦争賛美の人殺し容認主義者のように、誹謗され、中傷される。
そしてこのようなことが、戦後、ずっと行われ続けれているということです。
今回のこの「北朝鮮による核実験強行に断固抗議し、核・ミサイル計画の即時中止と朝鮮半島の非核化への誠実な努力を求める決議」でも、市議会において、日頃保守系と目されている多くの市議が、まさに騙され、この決議案に賛成しています。
冒頭にも書きましたが、おそらくは、全国の様々な市町村議会や、都道府県議会において、同様の趣旨の決議案が出され、根回しされ、議会によっては決議されているのではないかと思います。
騙す者と騙される者がいた場合、騙す方が悪いと考えるのが古来ある日本人の普通の考え方です。
けれども世界だけでなく、この日本においても、反日主義者や左翼共産主義者は、それら世界の諸国と同様に、「騙される方が悪い」と平気で考えているわけです。
私たちは、互いに思いやりをもって、人々がやさしさと相互理解のもとで、安心して暮らせる社会を希求しています。
そしておそらくそのことは、世界のごく普通のあたりまえの民衆の希望ではないかと思います。
けれど、そう思う人々の良心を、平気で踏みにじり、御都合主義の嘘を並べ立て、正義の人をかえって誹謗し、中傷し、その名誉を奪うことを「正義」と勘違いしている大馬鹿者が、この日本にもいる、ということを、わたしたちはあらためて思い起こす必要があるように思います。
戦後、歪み、ネジ曲がったこの日本を、いま私たちは取り戻すためには、厳しいようですが、戦前のように公安を強化することさえも視野にいれ、こうしたデタラメを赦さない社会の構築をしていく必要が、私は、あるのではないかと思っています。
さて、朝鮮戦争について話がでましたので、このときに動いた巨額の資金について、明日の記事で述べてみたいと思います。