B-29迎撃用、幻の戦闘機「震電」にみる日本の物作り。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130402/plt1304020708000-n1.htm
幻の先尾翼式戦闘機「震電」
1886(明治19)年創業、福岡県・博多にある渡辺鉄工も、数千に及ぶ護衛艦の装備品メーカーの1つだ。
水上艦の短魚雷発射管を手掛ける同社は、日露開戦時に陸軍の輜重車の製造を開始し、その後は海軍の指定工場となった。
昭和に入り航空機の生産にも参入。当時の社名「九州飛行機」と聞けばピンとくる航空ファンも多いかもしれない。
九州飛行機は終戦間際に「幻の戦闘機」を作り上げている。その名も「震電(しんでん)」。先尾翼式というこれまでにない構造が大きな特徴だ。
「B-29を迎撃する高性能な局地戦闘機を作ってほしい」
海軍の依頼を受けて設計に着手したのは終戦の1年あまり前のことだった。
すでに戦局は悪化し、本土への攻撃が想定されたことからの苦肉の策ではあった。いろいろ言われているが当時の海軍が、そうした状況でもなお国土と国民を最後まで守ろうとした事実が分かる。
そして、その無謀なオーダーに応じた彼らの、その後の作業もすさまじかった。総勢140人の設計チームを結成、通常なら1年以上は要するであろう設計を3カ月で終えなければならず、空襲警報が鳴り響く中で機体を組み立てた。
そして1945(昭和20)年6月、とうとう1号機が完成したのだ。
初飛行は8月3日だった。関係者の見守る中、真夏の空に飛びあがった「震電」に技術者たちは胸迫る思いだった。しかし、制空権を奪われた中での戦闘機完成という現実は、それ以上にズシリと重かった。
そして8月15日を迎える。結局「震電」は、実戦投入されないまま終戦となった。
戦後は渡辺鉄工として再スタートし、現在は5代目社長が当時の不屈の闘志を継承すべく奮闘している。
相手は海軍から海上自衛隊へ。昨今は難しい物を作れということではなく、「作れない」ことが悩みだ。
護衛艦の建造がない、あるいは発射管の搭載が減っていて空白期間ができているのだ。他に代わる所はなく簡単に退くことはできないが、3年も受注がないとさすがに厳しい。
「維持だけでなく人の育成をいかにするかが問題です」
物作りの場あればこそのベンチャースピリッツであって、語り継ぐだけでは真の意味で残せないということだ。
さて、「震電」はその後どうなったのか。終戦時に破壊したものの米軍の命令で作り直し、スミソニアン航空博物館に今でも保管されているという。米国が日本の物作りに脅威を感じ、封印したかったのではないかと、つい邪推してしまう。
■桜林美佐(さくらばやし・みさ)
1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。