小さな企業の「大きな親父」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ニッポンの防衛産業

日本の艦艇製造基盤支える小さな企業の「大きな親父」

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130326/plt1303260709000-n1.htm





草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ。 


海自の護衛艦「あきづき」




例年のことではあるが、3月は艦艇関係者にとって非常に忙しい。今年も神戸で潜水艦、長崎で護衛艦、下関では敷設艦、横浜では掃海艇の引渡し・自衛艦旗授与式が立て続けにあった。

 各地の造船所で行われる式典にはベンダー企業の人々も多く集まる。そんな中、あちこちでよく聞かれるのが「親父さんは来てないの?」というあいさつ。「会長は今日はちょっと…」などと若社長が答えている。艦艇建造の基盤がこうして受け継がれていることがよく分かる。

 福岡県にある部品製造企業の鷹取製作所も現在3代目の社長。同社は筑後平野の一角、鷹取山のふもとに1944年に創業した。大戦末期、三菱重工業長崎造船所が空襲で危ないということで、製造拠点を分散した際の疎開工場の1つだったという。当時は軍艦のかじ取り装置などの製造を担っていた。

 混乱の中でも地元の人たちが働ける場所を確保したいといった創業者の思いもあった。それゆえ、鷹取山から見渡せる範囲に住んでいる人たちとともに歩んでいきたいという意味が社名には込められている。

 「大きい会社になる必要はない、地道に海軍のために尽くすのだと親父は言っていました」

 そう語るのは、現会長つまり社長の父である。終戦時は10歳、製造設備や図面を埋めるための大きな穴を従業員と一緒に掘ったことを今でも鮮明に覚えている。

 そして戦後、再び国産艦艇を新造する計画が許され、その後自衛隊との関係がスタートした。初代社長が急逝し、代替わりして引き継いだものの、大きな岐路に立たされたことがあるという。

 「実は、辞めさせてくださいと言いに行ったことがあります」

 民需との価格差が大幅に開き、同業他社が次々に撤退していく事態が起きていた。自衛隊の仕事を受ければ経営が厳しくなるばかりだったのだ。

 しかし、艦艇部品は民間船と耐久性などでも全く性質が違い、特殊で高度な技術が必要なため、もし同社が手を引けば他に代わりはいなかった。

 放り出すことは簡単だ。しかし、日本の艦艇建造のために頼むという各所からの悲痛な声もあり、踏みとどまった。

 何より現会長を奮起させたのは亡き父の、ひたすら親会社に忠誠をつくし、地元の雇用と報国の精神を貫いた姿だった。

 「世の中で一番、尊敬するのは親父です」

 従業員を抱え信念を通すのはそう甘くはない。しかし、それでもいまなお日本の艦艇建造基盤が下支えされているのは、見た目は小さな企業かもしれないが、それぞれの大きな親父のなせる業なのかもしれない。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。