【再び、拉致を追う】第6部 「よど号」犯らへの教示(1)
平壌の中心部から車に乗った。1時間ほど走ると、周囲には木々が生い茂る森が広がっていた。日航機「よど号」を乗っ取り北朝鮮に渡った元共産同赤軍派メンバーらやその妻、子供たちが暮らしていた「日本革命村」をかつて訪れた関係者は、その情景を思い出す。
よど号犯グループが生活する宿舎以外にも、いくつかの建物が並んでいた。そのうちの一つに「教示室」と呼ばれる部屋があった。
金日成(キム・イルソン)主席や金正日総書記がグループに下達した「教示」が展示された特別な場所だ。ガラス棚に目を向けると、革で装丁された、書簡の表紙が置かれていた。「日本革命に関する根本問題」。書簡に記された金総書記直筆のサインは、同じ部屋の別のところに飾られていたという。
金総書記の直筆による指令は「親筆指令」と呼ばれ、重い意味を持つ。大韓航空機爆破事件(1987年11月)の実行犯、金賢姫(ヒョンヒ)元工作員(51)も金総書記の親筆指令で指示を受けていた。指令の存在は公にできないが、それは「絶対」といえる。よど号犯グループにとって、勢力拡大は急務だった。
田宮高麿最高幹部は日本革命村を訪れた関係者に、「日本で獲得するほうが楽だが、(メンバーらが)日本に入るのは難しかった」と漏らしたという。
ハイジャックという手段で北朝鮮に渡ったメンバーが外国に出るには、旅券の問題も含め、リスクを伴う。だから、真正旅券を持つ妻らがまず、北朝鮮を出て、獲得対象を定めた。
五木寛之の小説「青年は荒野をめざす」に憧れ、欧州を旅行しながら、チーズやパン作りを習得しようとしていた石岡亨さんはスペイン・バルセロナの動物園で1枚の写真に納まった。ベンチにリラックスして座る石岡さんの横には道中で知り合った日本女性2人が写っていた。森順子、若林佐喜子の両容疑者だった。
「共産圏を旅しない?」 石岡さんはスペインで仲良くなった松木薫さんとともに姿を消した。
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「君の命をくれないか」
《私たちがヨーロッパに行っていたことは事実であり、日本人に話しかけ、一緒に写真を撮ったりしたことがあるのも事実です。しかし、それがどうして共和国の指示による「拉致」となるのでしょうか。私たちはどこまでも日本の運命をともに開拓していく仲間を得ようとしていたのであり、これは本人の意志を無視してはできないことです》
スペインから失踪した北海道出身の石岡亨さん=拉致当時(22)=と、よど号犯の妻、森順子(よりこ)(59)、若林佐喜子(58)の両容疑者がバルセロナの動物園で撮った写真の存在が公になると、よど号犯グループは、支援者向けのニュースレターで拉致を否定した。
こうした主張に沿うように、北朝鮮は石岡さんと熊本県出身の松木薫さん=同(26)=の拉致を認めながらも、よど号犯グループの関与については「証拠はない」と説明。「(北朝鮮の)特殊機関工作員と接触する過程で入国に同意した」としている。
しかし、それでは北朝鮮工作員が接触した被害者らが、よど号犯の妻に「共産圏を旅しない?」と誘われた直後から姿を消したという矛盾に対する説明にはなっていない。
勢力拡大の背景
警視庁の調べでは、英国留学中に拉致された兵庫県出身の有本恵子さん=同(23)=は、よど号犯の元妻(57)に獲得対象として定められ、よど号犯の魚本(旧姓・安部)公博容疑者(65)と北朝鮮工作員に引き渡された。
よど号犯グループの勢力拡大を北朝鮮当局が容認していた上、工作員が拉致に関与している疑いが強いことは、金正日総書記の意向が働いているとみることができる。勢力拡大の背景に「教示」があったことが浮かぶ。
洗脳の成功例
「日本に入るのは難しかった」としていたよど号犯グループだったが、実は他人名義の旅券を使ったメンバーや、真正旅券を持つ妻たちが日本に潜入し、若者獲得作戦を展開していた。「コマンド(兵士)リクルート」。警察関係者はそう呼んだ。これは金正日総書記の「56書簡」にあったとされる「暴力革命の準備」にもつながる動きだった。
警察当局の調べでは、日本潜入を果たした柴田泰弘元メンバー(故人)は、両親のいない青少年と交流を図るボランティア活動に参加し、そこで知り合った若者を中心としたサークル「友達の輪」を組織化した。昭和62年夏、2人の若者に対し、切り出した。
「君らの命をくれないか。使い道は言えないが、95%は死ぬことになる。しかし犬死にはさせない」
1人が「それは、どういうことですか」と聞き返すと、柴田元メンバーは「それは言えない」と話した。
この若者は柴田元メンバーの逮捕後に警察の聴取に応じ、「今考えると赤軍に入れるつもりだったのかと気味が悪い」と供述した。
警察当局は、破壊活動を前提にしたコマンドリクルートと判断した。
海外で軍事訓練を行い、そこを根拠地として日本に逆上陸して日本革命を行うという「国際根拠地論」を打ち出し、北朝鮮に渡った元共産同赤軍派のメンバーらは、赤軍派の革命理論である「世界同時革命論」を自己批判し、北朝鮮の主体(チュチェ)思想を理論的な支柱としている。結婚した妻たちの多くは日本で主体思想や朝鮮半島問題に関連した経歴を持っている。
大韓航空機爆破事件の実行犯、金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員(51)はよど号犯グループについて、「洗脳して工作員にした成功ケース」と断言した。
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よど号犯グループによる拉致事件の背景を追った。