西村眞悟の時事通信 より。
昨日の東日本大震災二周年追悼式についてさらにお伝えしておきたい。
それは、
「天皇陛下の御臨席」
ということである。
ここに、我が国の戦前と戦後の一貫性、太古からの姿がある。
この一貫性とは、天皇と国民の絆に顕れている。
そして、この絆は、二年前の被災地に、また、昨日の追悼式に顕れていた。
世界は、二年前の東日本巨大地震と津波のすさまじい被害に驚いたが、さらに驚いたのは被災地の日本人の姿だった。
この世界が驚く被災地の日本人の姿と「天皇の御臨席」は不可分だった。
日本人は、天皇との絆のもとに秩序を維持する民族である。
このことは、昨日の追悼式にも顕れていた。
参列した世界各国の外交官は、日本人以上に明確に感じ取ったはずだ(けがらわしい支那が、参列していなくてよかった)。
天皇は、我が国の苦難の中における最高の危機管理者であり統治者である。それは、
「神聖にして侵すべからざる」存在である(大日本帝国憲法第三条)。
事実、昨日もそうであった。
追悼式は、天皇皇后両陛下御臨席、次に官房長官の開式の辞そして国歌斉唱と発災同時刻の黙祷で始まった。
天皇皇后両陛下の御臨席は、午後二時四十分頃。
式に出席する衆参議員は、午後一時三十分に国会正門前に集合してバスに乗り会場に向かった。会場到着は一時四十分頃。総理や閣僚もその頃到着し着席。多くのご遺族や多数の在京各国外交官も着席。
そして、天皇陛下のご到着まで四十分間、深い静寂のなかで全員が御臨席まで待機していた。
その間、まことに充実した時間だった。
この静寂の時間によって被災者の霊と式場が一体化した。
そのうえで、式場は最高の祠祭者であり危機管理者である統治者即ち天皇陛下をお迎えしたのである。
この式場の秩序と静寂は、かつて「ことある時」に示された日本人の姿と同じ「底」から生み出されている。
その同じ「底」から生み出された姿を、三つ記しておきたい。
「底」とは、「ことあるとき」に顕れる日本民族の血に根ざす原始無限流動の力だ。
1(二年前の東日本被災地)、
東日本被災地の学校の屋上に「SOS」を発見し、そこに着陸したアメリカ軍救援ヘリの女性機長の話。
「私はためらいながら着陸した。何故なら、アメリカを含む世界の國では、例外なく被災地に着陸した救援ヘリには被災者が殺到し収拾がつかなくなるからだ。
しかし、その学校に着陸してみると、一人の老紳士が静かにヘリに近づいてきた。そして、三百人の被災者が居るといった。
救援物資を渡すというと、整然とバケツリレーでそれを受け取った。物資の奪い合いなど全くなかった。
暫くすると、彼はもういいと言った。まだあるからとさらに渡そうとすると、彼はきっぱりと断って、他の被災者に渡してあげてくれと言った。
この日本人の姿は、アメリカ軍の公式記録に記載される」
2(昭和十九年、ビルマ戦線)、
「日本軍の潜入攻撃の大胆さと、最後まで戦う勇敢さは驚嘆すべきものがあった。
第三十三師団の部隊は、如何に弱められ、疲れ果てても、なおかつ本来の目的達成のために猛攻を繰り返してくる。第三十三師団のこのような行動は、史上その例を見ざるものであった。
・・・この企画を遂行した日本人の最高の勇気と大胆不敵さは、疑う余地なく、日本軍に比肩すべき陸軍は、他の如何なる國にもないであろう・・・」(英印軍第14軍司令官W・スリム中将)
3(昭和二十年、フィリピン戦線)、
「戦場であいまみえた仲でなければ、相手の偉大さは分かりません。あなた方日本軍の精強に私たちは驚嘆しています。
さきにヨーロッパ戦線で日系市民志願兵で編成された第442部隊が樹てた偉大な業績は米軍内の驚異の的になっています。
私たちはこの戦場で、その実際を身を以て痛感しました。・・・」(フィリピン戦線で日本軍と交戦した米軍師団長が降伏の処理を済ませた第十九師団長尾崎義春中将と参謀長に語った言葉)、以上二編、「日本兵法研究会」、家村和幸主催より。
4(昭和二十二年、昭和天皇佐賀県行幸のおり)、
行幸先の道で、ソビエトに日本共産化を洗脳され日本赤化の為に速く帰国させられたシベリア抑留者が「引き揚げ者」という標識を掲げて集まり天皇の戦争責任を問責しようと待ちかまえていた。
昭和天皇は、その「引き揚げ者」の前で深々と頭を下げられ、次のように言われた。
「長い間遠い外国でいろいろ苦労して大変だっただろうと思うとき、私の胸が痛むだけではなく、このような戦争があったことに対して深く苦しみを共にするものであります。
皆さんは外国において築きあげたものを全部失ってしまったことであるが、日本という國があるかぎり、再び戦争のない平和な國として新しい方向に進むことを希望しています。
皆さんと共に、手を携えて新しい道を築きたいと思います」
昭和天皇のこのお言葉に接し、引き揚げ者一団は泣いた。
そして、その中の一人が、陛下に次のように言った。
「天皇陛下様、ありがとうございました・・・
天皇陛下様も苦しんでいらっしゃることが今分かりました。
今日からは決して世の中を呪いません。人を恨みません。
天皇陛下様と一緒に私も頑張ります」(「天皇さまが泣いてござった」しらべ かんが著、教育者より)