混乱の元凶1ミリシーベルトを見直せ
この2年間、原発には苛烈な逆風が吹いている。多くの原発が止まったままである。東日本大震災での東京電力福島第1原子力発電所の事故に端を発した逆風だ。
原発の利用をめぐっては、地域差を含めて、さまざまな思いが交錯する。だが、日本のエネルギー事情は極度に逼迫(ひっぱく)しつつある。政府も国民も、前を見詰めて確かな一歩を踏み出す時期である。
政府主催の追悼式で安倍晋三首相は「復興を加速することが、犠牲者の御霊(みたま)に報いる道だ」と述べた。まずは安全性が確認された原発を再稼働させ、年間3兆円超にふくれあがった国富の海外流出を止め、日本経済の復興に全力を傾けてもらいたい。
《夏の電力不足どうする》
大震災では千年に1度の巨大津波で福島第1原発が被災し、4基が大破した。漏れ出た放射性物質によって周辺地域が汚染され、いまなお多くの人が避難生活を余儀なくされている。原発史上最悪のチェルノブイリ事故に次ぐ被害の大きさだ。
福島事故以来、日本の社会はエネルギーの選択をめぐって国論を二分する混乱の極みを経験している。当時の民主党政権は強引に「原発ゼロ」政策を進めたが、昨年末の衆院選で大敗した。即時原発ゼロを掲げる政党も惨敗した。
福島事故で日本の原発は50基に減った。現在、稼働しているのは関西電力の大飯原発3、4号の2基だけだ。両機はこの夏に定期検査に入るので、昨年の初夏の一時期に続いて「稼働原発ゼロ」の事態を迎える公算が大である。
真夏の電力不足は、関西圏の社会生活や経済活動に深刻な危機をもたらす。安倍首相は、この異常事態に終止符を打つ手段を早急に講じなければならない。
海外の大事故でも、国内の全原発が止められた例はない。「原発全廃」を選択したドイツでさえ約半数の9基が運転続行中だ。原発の有用性が高いからである。
2030年代までに日本の原発をゼロにすると主張した民主党の政策は、亡国のエネルギー戦略と言うしかない。安倍首相の経済浮揚策であるアベノミクスも、原発による安価で安定したエネルギーがあってこそだ。それを欠いては、ようやく動き出した諸政策に失速の不安がつきまとう。
民主党政権は、幾多の「負の遺産」を残して去った。そのひとつが原発不要論だ。これが妄想だったことは、約30年間下がり続けていた電気代が原発停止に伴い値上がりを始めたことでも分かる。火力発電の燃料代による貿易赤字は拡大し、二酸化炭素の排出量も増えつつあるではないか。
日本は資源小国であり、かつ地震多発国である。この宿命の下で先進国であり続けるには、原発の安全性を常に高めながら活用していく以外、道はない。
《求められる日本の技術》
航空機や車をはじめ、あらゆる工学システムにおいてゼロリスクはないのだが、民主党政権は原発にだけそれを強要しようとした。その矛盾の一端が、除染における年間1ミリシーベルト目標という被曝(ひばく)線量の厳しさに表れている。被災者の帰還の遅れや農水産物の風評被害の根本原因ともなっている。
放射線の害は低い線量でも生じるという学説もある。しかし、コンピューター断層撮影(CTスキャン)では1回の検査で10ミリシーベルト前後を被曝する。人体への影響を考える場合は100ミリシーベルトがひとつの目安だ。これらのことを勘案すれば、国際的にも使われる20ミリシーベルトあたりが汚染地域における暮らしと健康の両立ラインであろう。
「ゼロリスク神話」は、原子力規制委員会にも根を張っている。規制委の本来の任務は、原子力発電の安全性の向上だが、活断層探しと混同している感がある。
規制委は原発の新安全基準を7月中にまとめ、国内の全原発に適用するが、基準を原発潰しに乱用することは許されない。
復興には地域への安定的かつ安価な電気の供給が不可欠だ。しかし今の規制委の姿勢では、それさえも期待することが難しい。
福島事故の完全収束には、長い年月がかかる。一方で、世界的にみれば原発は増え続ける傾向にある。安全な原発を必要とする世界の求めに対応するためにも、事故の痛みをかみしめつつ原発の再稼働に取りかかるべきだ。このままでは、日本は回復不能な国難を招いてしまう。