
以前、何度かこのブログでもご紹介した通州事件の真実について、PDF版にしましたので、お知らせします。
忘れてはならない歴史だと思います。
南京虐殺や従軍慰安婦などと異なり、れっきとした史実です。
通州事件というのは、昭和12(1937)年7月29日に起こった事件です。
日本人居留民260名が、この世の地獄絵図さながらの酷い仕打ちで犠牲になりました。
詳細は、上の画像をクリックすると、PDFが開きますので、これをDLしてお読みいただければと思います。
現場を体験した人にしか語れない真実が、そこにあります。
この手記は、その中のひとりであるSさんという女性が、事件から50年の時を経て、その回想を述べ、これをお寺の住職が詳細に書き留めたものです。
たいへん生々しい記述がそこにあります。
この文については、徳島の保守のみなさんが、WEBにアップしてくださいました。
たいへん衝撃的なものです。
特に未成年や女性の方は、読まれない方が良いかと思います。
通州事件について、「日本が勝手に侵略のために支那に兵を出していたのだから仕方ないだろう」と言った人がいました。
とんでもない歴史認識の誤りです。
義和団事件という、世界各国の公使たちが支那人によって襲撃されるという事件があり、事件後、無政府状態となった支那に、北京議定書に調印した各国が、治安維持のために兵を出していたのです。
なかでも日本は、当時、強国であったことにくわえ、ヨーロッパや米国などよりもはるかに地理的に支那に近いこともあり、治安維持部隊の派遣については、国際社会において、日本にその多くが求められていたのです。
そして軍が駐屯することで、日本人の民間人も、安心して支那で生活できていたわけです。
ところが昭和12年になって、7月7日にまず盧溝橋事件が起こり、次いで7月13日に大紅門事件、、7月25日に廊坊事件、7月26日に広安門事件と、立て続けに日本人が襲撃される事件が相次ぎます。
この背景には、第一に支那共産党の工作活動があったこと、そしてもうひとつは、事件の発生が北京付近に集中しているのですが、蒋介石が上海事件を引き起こすために、上海近郊に約1万個ものトーチカを築城していたのですが、その完成まで、日本軍の意識を北京付近に釘付けにしておく、という思惑がありました。
ちなみに、盧溝橋も大紅門も廊坊も弘安門も通州も、すべて北京市の近郊です。
上にあるPDFは、A4用紙で28ページの長編です。
本来であれば、こうした悲惨な事件は、封印してできるだけ後世には伝えないようにしてきたのが日本の伝統的なあり方です。
そうすることで、人間の善意を信じあえる社会を築こうとしてきたのが日本社会の一般的通念であったからです。
けれど、冒頭に書いたように、南京虐殺だとか慰安婦性奴隷だとか、あるいはありもしない日本軍の蛮行だとかがしきりと喧伝されている状況にあって、それがどんなに酷い事実であろうと、本当にあった真実を知らしめることは大切なことと思い、あえて、PDFにもした次第です。
いろいろな機会で、お役立ていただければ幸いに思います。