夕刻の備忘録 様のブログより。
「売国奴」の濫用を糺す
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130305/plc13030508500009-n1.htm「中国刺激するな」 野田政権の尖閣での消極姿勢また判明
2013.3.5 08:45
昨年9月11日の尖閣諸島の国有化後、周辺海域で挑発を繰り返す中国海軍艦艇への対処について、野田佳彦前政権が中国に過度な配慮をした指示を出していたことが4日、分かった。海自艦艇は中国軍艦と15カイリ(約28キロ)の距離を置き、中国側が近づくと後退するよう命じていたほか、領海侵犯の恐れがあっても先回りして警戒するのを禁じた。複数の政府関係者によると、こうした指示を出したのは岡田克也前副総理が中心だったという。
国有化以降、中国海軍艦艇が尖閣北方海域に常時展開するようになった。これを受け昨年10月3日、当時の野田首相は岡田氏や藤村修官房長官、玄葉光一郎外相、森本敏防衛相を集め尖閣に関する関係閣僚会議を開き、対応を協議した。
政府関係者によると、その際、岡田氏は「中国を刺激しないように」と発言。中国軍艦に海自艦艇を15カイリ以内に近づかせないことも求めた。この距離では目視は困難でレーダーによる監視に頼らざるを得ず、領海侵犯を未然に防ぐための措置も遅れかねない。 岡田氏は次いで、中国軍艦の領海侵犯を黙認させるような対応も命じた。他国軍の艦艇の領海侵犯に備えるためには先回りして領海内で待ち構えるのが常道だが、中国軍艦が領海に入るのを確認するまでは海自艦艇も領海に入らず待機するよう指示していた。
「領空侵犯措置」でも過度な自制を求めていた。
中国の海洋監視船「海監50」はヘリを搭載可能で、国有化直後から再三にわたり領海侵犯していた。侵犯時に搭載ヘリが飛び立てば即座に領空侵犯になる。
このため領海侵犯と同時に空自戦闘機による緊急発進を準備する必要があるが、岡田氏は「軽微な領海侵犯だから中国を刺激するな。海上保安庁に任せればいい」と準備を認めなかった。
昨年12月26日に発足した安倍晋三政権は、防衛省や外務省から野田政権の対応について報告を受け、領域警備で対抗措置の強化を検討するよう指示。海自は中国軍艦との距離を約3キロまで縮め、中国軍艦が領海侵犯する恐れのある場合は領海内で待ち構え侵入を阻止する態勢に改めた。ヘリ搭載艦船が領海侵入した場合にはスクランブルの準備に入るようにした。
こうした事実関係について、岡田氏は産経新聞に「いずれも事実に反する」とコメントした。
この男が他の誰よりも悪質なのは、イオンの存在があるからである。実家のイオンが対中商売で儲けていることが明々白々でありながら、平然と外務大臣の職を受け、徹底的な媚中政策を取り続けるという、正真正銘の売国路線を貫いたことである。これほど明白な公私混同、私利私欲はない。まさに「売国奴」という言葉は、この男のためにあるようなものである。
しかし、ここで一つ注記しておきたい。民主党がこの国から消滅せんとしている今に至っても、まるで方向違いの方角を向いてなお、「売国奴」云々と主張し続けている人達がいる。そもそも「売国奴」とは人に属する言葉であって、行為に属するものではない。「何々をしたから売国奴」「何々をしなかったから売国奴」というような話ではないのである。にも関わらず、「TPP交渉に参加したら売国奴」と叫ぶ人がいるようで、呆れているのである。
「売国奴」と「愛国者」に関しては、何をやっても何をやらなくても、その評価は変わらないのである。それがこの二つの言葉が「究極の人物評価」である所以である。売国奴認定を受けた者は、少なくともその国に住む資格は無い。スパイならスパイらしく、自ら匿ってくれる国を求めて出て行って貰うしかない。
売国奴は何をやっても売国奴であって、それがたまたま国に益することをしたところで、やはりその評価は変わらないのである。すなわち、売国奴に「是々非々の評価」など存在しない。是々非々が通用するくらいなら、それは元より売国奴などではない。精々が「人間のクズ」程度の話である。
それが故に売国奴認定された者は、この国で生きる資格が無いのである。第一、スパイは何故にスパイであるか、如何にしてその仕事を達成するかといえば、「善いこともする」からである。見た目もスパイ、やることなすこと敵の工作員丸出しでは、如何なる仕事も為し得ないだろう。したがって、是々非々は通用しない。「彼奴もたまには善いことをするなあ」という感慨は有り得ないのである。
同じことが「愛国者」にも言えよう。真に国を想う者は、周囲の雑音にも迷わされず、大所高所から国のために働き、そこに一命を賭ける。彼等は目先の反対、視野の狭い批判には目もくれず、国家の永遠の繁栄を願って邁進する。上辺だけを見て、やったやらないという目先のアクションだけを採り上げて、大騒ぎすることは決定的に間違っている。それが人間の信用というものである。
裏で何と、誰と繋がっているか知れたものではない薄汚れた人間の言うことと、叩いても叩いても埃も出ない人間の言うことと、そのどちらを信用するかという話である。岡田がたまたま「烏が黒い」といった所で、それが信用するに足りるか。安倍が「白い」といったからといって、即座に否定すべき発言か。これを盲目的だと揶揄するなら、スパイが言う正しさとは、事実としての正しさとは別の、「彼等に都合のよい正しさである」ことを思い出して頂きたい。
スパイ行為を完遂させるために主張する正しさに目を奪われて、「たまには善いことを言う」だとか、より単純に「見直した」だとか、善人丸出しに言っている人を見ると、その同じ口で、愛国者の辛辣さ、容赦無さに耐えきれず、愚痴を零すのだろうな、と容易に想像できる。
第一次安倍内閣では、「靖國参拝を政治的に無効にする」ために、自らの参拝を明言しなかった。要するに、恒常的な参拝を可能にするために、敢えて焦らし作戦を採り、参拝に言及しなかったのである。すなわち、参拝をするために参拝をしなかったわけである。
それに対して、自称保守派の評論家達が何と批判したか。「誰よりも酷い、信用させておいて裏切ったのだから、今までの誰よりも酷い」と叫ばんばかりに訴えた人物が、今なお重鎮を気取っている。それこそ安倍が感じたことだろう。こんな簡単な理窟も読めないのか、こんな仕掛けも見抜けずに何を騒いでいるのか。「誰よりも酷い」と嘆きたかったのは安倍の方である。彼等もまた、目に見える行為のみに引き摺られて、人間の本質を見ようとしない愚物である。
周到に準備された計画の、その裏を知り得ない我々は、「白い烏も面白い」という程度の余裕を持つべきなのである。それが結果的に敵陣営をもっとも厳しく追い詰める、すなわち最善の策なのであるから。
繰り返しになるが、その時々の行為に対して、全貌を知り得ない人間が、自分の尺度を頼りに是々非々を主張し、あれをすれば売国奴、これをしなければ売国奴と「行為の評価」に必死になっている姿には、呆れるばかりである。何故なら、そういう人達の主張は最終的に、事の成り行きとは無関係に、自分の気に入らない人間に向けて、自分の思いと異なる結果に対して、ただ「売国奴」と言いたいだけだからだ。
そもそも「善いものは善い、悪いものは悪い、として選んでいけばいい」などと公言する人の、自分自身に対する「無限大の信頼」は一体何処から沸いてくるのか。どうして、自分が神をも凌ぐような「善悪の判断者」として君臨できると信じられるのか。この辺りの精神構造が全く理解できないのである。それが故に今日もまた騙されているのではないか。他人に騙される以前に、自分自身の判断に騙され、裏切られているのではないか。今は騒ぐ時ではない。あらゆる保守分断工作を無効化すべく、ただひたすら痩せ我慢に徹すべき時期なのである。
追加:昨日夕刻、百万ヒットを達成しました。
これまで御愛読頂きました読者の皆様へ、改めて感謝申し上げます。
ありがとうございました。