政府が拉致を最初に知ったのはいつか3 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





西岡 力ドットコム より。




読売新聞平成141220日夕刊記事に戻ろう。

 〈連続アベック 拉致を受けて、七九年春には、関係四県の担当者を警察庁の一室に秘密裏に呼び寄せた。議論が集中した「なぜ拉致するのか」という疑問に、答えは出なかった。「拉致の事実を公表すべき」という思いもあったが、当時、警察が他国の電波情報を収集していることは、極秘とされていた。「拉致を証明するには、情報収集のことも明かさなければならない。まだ、その段階ではない」というのが警察内部の共通認識だった。「拉致ファイル」は警察庁の奥深くにしまいこまれた。〉


 では誰が拉致の事実を隠蔽したのか。政治家が関与しているのか。真相はいまだ明らかになっていない。当時は福田赳夫内閣だった。公安警察の動向に詳しい筋によると、当時も今も公安警察は基本的に政治家を信用していないので、極秘情報は直属の上司である国家公安委員長にも知らせないという。


 一般国民の多くが拉致を知ったのは1997年横田めぐみさんの拉致がマスコミで報じられた時以降だろう。2002年小泉首相の訪朝で金正日 が拉致を認めたときから、洪水のような報道があり、拉致に関する認知度は最高潮となる。横田めぐみさんのご両親などは町を歩いていても知らない人から次々に声をかけられるほど有名になった。


 少し、知識と関心がある人は1987年の大韓航空機事件、翌88年の金賢姫の記者会見を思い出すかもしれない。そのとき、金賢姫 は李恩恵と呼ばれていた拉致被害者の女性から日本人化教育を受けたと証言した。彼女を証言を受けて883月、参議院予算委員会梶山静六 国家公安委員長が、「李恩恵」だけでなく蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、市川修一さん・増本るみ子さんたち36人のアベック失踪事件などについて「北朝鮮 による拉致の疑いが十分濃厚だ」という歴史的答弁を行った。日本政府が最初に拉致を認めたのがこの梶山答弁だ。しかし、本稿を読んでいる読者の多くは梶山答弁すら知らないのではないか。というのは、この歴史的答弁をマスコミが無視したのだ。朝日、読売、毎日、NHKは全く報じなかった。かろうじて産経と日経がベタ記事で報じただけだったからだ。


 梶山答弁の2年後、金丸信・自民党 元副総裁が田辺元・社会党元委員長とともに訪朝し、金日成 と会談した。当時の海部首相は金丸氏に金日成 宛の親書を託していた。しかし、北朝鮮の最高権力者に拉致被害者救出を交渉できる絶好の機会を日本側が自らつぶした。金丸・田辺両氏は拉致問題を一切持ち出さなかった。海部首相の親書にも、戦前の朝鮮統治に対する謝罪の言葉はあるが、拉致に関する記述は一言も入っていなかったからだ。国会で治安の最高責任者が「北朝鮮 による拉致の疑いが十分濃厚」と国名まで特定して答弁していたのに、その国を訪問した与野党の大物政治家が「なかったこと」にしてしまった。

 金丸訪朝の後、8回、日朝国交正常化交渉が行われた。外務省 もその席で拉致問題を「なかったこと」にした。警察の必死の捜査で李恩恵と呼ばれていた被害者が田口八重子さんだと判明した。その事実を公表した埼玉県警は金丸事務所から「たかがキャバレーの女1人で外交を邪魔するのか」という圧力をうけたともいう(当時、関係者が話していた逸話だが、事実確認はできていない)。その結果、外務省 は第3回交渉で田口八重子さんの所在に関する調査を北朝鮮 に依頼した。すると彼らは「インポと結婚して子どもができるか」(意味がないことを続けられないという俗語)という暴言を吐きながら会談場を退席した。

 

 その後、外務省 は裏交渉で4回目の会談以降、本会談の席では田口さんの問題を取り上げない、ただし、本会談休憩中に首席代表である大使が席を外しているときに日本側が調査の結果をたずね、北朝鮮 側は黙って聞いているという妥協案をまとめた。この妥協案に従い4回から8回までの交渉が拉致問題を棚上げにしたまま、日本側は拉致問題を出したと国内に説明し、北朝鮮 側は出なかったと上部に報告する茶番劇がつづいた。梶山答弁で拉致が認められた蓮池さん夫婦、地村さん夫婦、市川さん・増元さんについては8回の交渉で外務省 は一度たりとも出さず、「なかったこと」にされた。


 私は金丸訪朝の直後である19911月に月刊「諸君!」に日本人が拉致されているという論文を寄稿した。学者として日本で初めて拉致について書いた論文だった。まわりから身の危険はないかと何回も質問され、匿名の脅迫状をもらった。


 この大きな壁を打ち破ったのが家族会の戦いだった。平成9年韓国の公安機関からの情報により横田めぐみさんが拉致されていることが判明した。そのとき、横田さんのご両親は実名を出すかどうかで悩まれた。名前を出して訴えると北朝鮮 が証拠隠滅のため被害者を殺害する危険がある。しかし、これまで20年政府は何もしなかったから、家族が沈黙すれば2030年が何も起こらずに過ぎ、親はみな死んでいき、被害者らも北朝鮮 にとらわれていることさえ明らかにされずに苦しみ続ける。危険はあるが世論に訴えることを選ぼう。他の家族らも同じ決意を固め同年3月に家族会 が結成された。それを受け、筆者を含む全国の有志が支援組織救う会 を作り、ともに運動してきた。

 

 世論の盛り上がりが20029月の小泉訪朝における部分的勝利につながったが、やはり外務省 が被害者救出より国交交渉を優先したために横田めぐみさんら多くの被害者はいまだに彼の地で抑留されたままだ。

 

 テロと戦わないと新たなテロを招く。自国と自国民の安全は戦うことなくして守れない。戦争する覚悟と準備なくして平和は来ない。私たちはこの現実を直視しない憲法の精神から早く抜け出さなければならない。その意味で、憲法 改正を正面から掲げる安倍政権が拉致被害者救出を政権の最重要課題としていることに期待をかけている。  了