政府が拉致を最初に知ったのはいつか2 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





西岡 力ドットコム より。




読売新聞平成141220日夕刊記事に戻ろう。

〈高岡では、沿岸を高速で走る不審な船が目撃されていた。現場に残されていた猿ぐつわを、ICPO国際刑事警察機構 )を通じて韓国 当局に照会すると、「我が国に不法侵入し、死亡した北朝鮮 工作員が所持していたものと極めて似ている」という回答が返ってきた。不安は確信に変わった。

 「北朝鮮 が拉致しています」。報告を受けた上司たちも「これは間違いない」と声をそろえた。だが、「一体、何の目的で--」。〉

 ここに出てくる高岡での事件とは、78815日夕刻、富山県高岡市の雨晴海岸で2人の男女がデートをしていたところ、4人の不審な男に襲われ、ゴム製の猿ぐつわをされ、真ちゅうの手錠をかけられ、手ぬぐいで足を縛られてずた袋のようなものにすっぽり入れられて近くの林の中に置かれた。日本語が母国語ではないような発音で「静かにしなさい」といわれ、しばらくすると遠くで犬の鳴き声がした後、周囲に人の気配がなくなったので2人は縛られたまま自力で兎跳びをして近くの民家に飛び込んで助けられたという、拉致未遂事件のことだ。

 そのとき、現場に遺留品があった。猿ぐつわと手錠と手ぬぐいとずた袋だ。手ぬぐいだけは日本製だったが、残りの3つは日本より工業水準の低い外国製という鑑定結果が出ていた。この記事によって、私は初めてゴム製の猿ぐつわが韓国 に侵入した北朝鮮 工作員の持っていたものに「極めて似ている」という事実を知ったが、この事実は事件直後に分かっていたのだ。高岡の事件の時も電波情報があって警察庁から富山県警に「沿岸警戒活動」指令が出ていた。電波情報と遺留品がそろったのだから、北朝鮮 による拉致がこの時点で証明されたのだ。記事に戻ろう。

 〈元幹部は以前から、「北朝鮮の不法活動を明るみに出さなければ」との思いを抱き続けてきた。前年の七七年、久米裕さんが石川県の海岸で連れ去られ、工作員に引き渡した在日朝鮮人の男が、外国人登録法違反容疑で逮捕される事件があった。男は「久米さんの背中を押し(て引き渡し)た」と拉致関与を認めていた。

 この時も、警察は付近を航行していた工作船の暗号電波を傍受していた。男の自宅から押収した乱数表も添えて、詳しい解析を韓国 当局に依頼したところ、暗号は「ニガサナイヨウニウマクツレテコイ」という指示だったことが分かった。

「これだけ証拠がそろえば、罪の重い国外移送罪で立件できる」。しかし、検察庁に自ら乗り込んだ元幹部は、検事から「ひとつの事件で二度逮捕するには、絶対に有罪にできる確証がなければダメ」と突き放された。裁判で男が否認したら、公判維持ができないのではないか。元幹部は、「検察には、北朝鮮 相手に無罪を出したら、えらいことになるという雰囲気がありありだった」と振り返る。男は、起訴猶予処分になった。〉

 ここで言及されている久米裕さん拉致事件 は日本政府認定第1号である。19779月、東京三鷹市のガードマン久米裕さんが田無市(現在の西東京市)在住の在日朝鮮人李秀吉に密輸で一儲けできるとだまされて、石川県宇出津海岸に行き、そこで待ち構えていた北朝鮮 工作員とともにゴムボートに乗って姿を消したという事件だ。やはり、電波情報により石川県警が警戒をしていて、李らが泊まった旅館の通報により李が逮捕された。逮捕の容疑は外国人登録証不携帯だが、取り調べの中で李は久米裕さん拉致を自白していた。しかし、李は不起訴処分になり現在までのうのうと東京都に暮らしている。この事件では李の自宅から乱数表と暗号解読表が押収されていた。久米裕さんが拉致された次の月に松本京子さんが、2ヵ月後に横田めぐみさんが拉致された。久米裕さん事件で犯人を逮捕しておきながら、事件を隠蔽した結果、罪もない日本人が次々に拉致されていった。