常識のウソが国を滅ぼす。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ねず様のブログ・ねずさんのひとりごと より。





草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ。 



史実を世界に発信する会の茂木先生から、貴重なメールをいただきました。
みなさんに内容をご紹介したいと思います。

内容は、原発のことです。
実は、昨今、環境主義者も反原発から転向しつつあります。

今年のサンダンス映画祭 (Sundance Film Festival) にロバート・ストーン(Robert Stone) 監督の作品 で「Pandora’s Promise(パンドラの約束)」という映画が発表されています。

ロバート・ストーン監督は、もともとは反原発派の環境主義者でしたが、この作品では一転して、「多くの環境主義者は過去何十年もの間、反核を正義としてきたが、その恐れていた技術こそが実は人類にとって最大の希望だと信じるようになった」と述べています。
(作品紹介より)
http://www.sundance.org/festival/release/2013-sundance-film-festival-announces-films-in-premieres-and-documentary-pr/


現実の問題として、2050年までには、世界のエネルギー消費量は現在の3倍になると予測されています。
これは当然のことで、世界の資源エネルギーを一部の先進諸国だけが独占していた時代から、かつて後進国と呼ばれた世界各国が、次々と近代化を遂げているのです。

ということは、これを化石燃料で補おうとすれば、それによるCO2排出量は膨大なものとなるということです。
しかもその化石燃料は、年々、残量が減っているのです。

資源が必要なのに、その資源が減っていくとなれば、世界は、残りすくなくなる資源を求めて、再び動乱に至ることになります。

以前、英国のトマス・ロバート・マルサス(Thomas Robert Malthus)という学者のことをご紹介させていただきました。
彼は、その著書である「人口論」(1798年)の中で、「世界の人口は幾何級数的に増加するが、食料の生産能力には限界がある。だから人口の増加には一定の限界がある。世界の人口は世界の食料生産量から計算して、20億人を超えることはない」と予測しました。

この本は、当時、歴史的名著とされたのですが、案の定、彼の予測はあたり、世界の人口が20億を超えようとした1940年代には、第二次世界大戦が勃発しています。

当時ドイツでは、ヒットラーが躍進しましたが、ドイツが過激なナチス党になびいたのは、ひとつには不況で失業者が増えたということもありますが、それ以上に、食い物がなくなったということが大きなファクターになっています。
仕事もなく、食い物もない。
その一方で、ユダヤ人たちが贅沢な飽食の暮らしをしているとなれば、あいつらを殺せ、奪え!という過激な運動が、力を得たのも、ある意味やむを得ない動きだったといえるかもしれません。

そんなことはないのではないか。現にいま世界の人口は70億人を突破しようとしているではないか、とおっしゃる方もいるかもしれませんが、それは、収量が従来種の5倍もある新種の小麦を日本が開発したからです。
そのお話しは、当ブログの「小麦のお話」で詳しくご紹介していますので、ここでは割愛します。

ですが、資源が乏しくなれば、それを持つ者、持たざる者との間で、まさに血で血を洗う戦闘が起きるのは、これは世界の歴史が証明している事実といえます。

CO2の問題に加え、世界の資源需要の前に、では、いかにして安全に原発を活用するか、あるいは何よりも安全な原子力エネルギーを開発するかは、まさに日本に与えられた使命といえるものなのかもしれません。

適切にコントロールすれば、核はもっともクリーンで、廃棄物を出さず、又資材消費が少なく、安全で、安価なエネルギーです。
けれど、そのためには、まさに「適切なコントロール」が何よりも大事です。
そしてそれができるのは、私は、日本の技術だと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

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《放射能と原発問題―常識のウソが国を滅ぼす》
 史実を世界に発信する会」事務局長

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1 太陽=核エネルギーを国旗としている日本
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古事記・日本書紀に放射線など出てこないのだから、放射線という人工物は日本の伝統に合わないという人もいる。
古事記に出てこないからということになると、その人は自動車を使わないのかというと、言動は全く一貫していないようだ。そもそも、古事記をこういう問題に持ち出すことは、古事記を汚すものというべきである。

札幌医科大学の放射線防護学の教授である高田純博士は、太陽エネルギーは核即ち放射線エネルギーであり、その太陽の象徴である日の丸を国旗としている日本の国柄が核、放射線と相いれないどころか全くその逆であるという。
むしろこの方が正解というべきだろう。

確かに太陽エネルギーの元が核であり、放射線であるということは、昔はわかっていなかったが、日本はこの太陽を敬い、国旗にもしてきた。国旗日の丸が世界唯一である、ということは日本人の
先人の知恵を誇りたくなることではないだろうか。

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2 放射線は生命に必要なもの
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なぜならそもそも太陽からの核放射線なしに地球の生命は存在できないのだ。
勿論エネルギーである放射線は、生命にとっての適量がある。
多すぎても少なすぎてもいけない。

太陽系の惑星のうち、水星と金星は、太陽に近すぎてエネルギーが生命誕生には多すぎる。
地球より太陽から遠い惑星では、エネルギーが足りないので生命が存在できない。
地球は、生命存在に丁度適量な範囲のエネルギーを受けているがゆえに生命が存在している訳である。

そして人間は放射性物質カリウム40を体内に取り入れて、大体成人では4000ベクレルの放射線を有し、また放射している。
赤ん坊は母の放射線を「被曝」しながらお乳を飲んでいるのである。
このカリウム40の放射線は、生命に絶対的に必要なものであり、これを除くと生命は死滅する。

放射線のおかげで生きているにもかかわらず、少しの放射線も悪と嫌う放射線アレルギーは、未開人並みの知識がもたらす非科学的迷信の極みである。

実は、地球上の生命誕生の過程では、今より多すぎる放射線と闘いながら、生命は進化を遂げてきたようである。
従って、現在の自然放射線量よりも、かなり高いレベルの放射線にも基本的に適応できる仕組みをそなえていることが分かってきた。
ここ30年くらいの間に急速に発展したDNA修復機構の研究からそれが解明されつつある。

ラッキー博士の、年間2.4ミリシーベルトほどの自然放射線量の50倍ほどの100ミリシーベルトくらいの放射線量が、人間の体に最も良い、との主張はこうした研究から確証されてきているのである。


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3 ICRP(国際放射線防護機構)基準の非科学性
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福島の事故でどのくらいの放射線量が放出されたのかというと、人体が受ける放射線量でいうと、年間で5ミリシーベルトから、高いところでも50ミリシ-ベルトにはならない程度のレベルである。

つまり今でも帰還が制限されている地区でも全く「避難する必要なし」なのだ。
『放射能と理性』(徳間書店)の著者オックスフォード大学のウェード・アリソン博士は、事故から半年後に来日し、福島も調べ、10月に外国人特派員協会で講演したが、全員帰還して差し支えないと断言した。

ところがICRP基準を盲信し、さらに緊急時100~20ミリシーベルト、緊急事故後20~1ミリシーベルトというのを厳しく解釈する論者に引きずられたために、30キロ圏避難という非人道的な対応をしたのが政府である。

ICRP基準についてアリソン博士は、人体にどのくらいの影響があるか、ということで決められた基準なのでは全くなく、単に低ければ低いほどよい、どこまで低くすることが可能か、という目標値に過ぎないと断言している。

ところが、反核派の人々によってICRPは原発推進派の人々によってつくられた、原発産業寄りの組織である、というデマが強く主張された。
実際には、1997年にセビリアで開かれた国際学会(500人参加)でDNA修復研究者によ
ってICRP側は完敗したにもかかわらず、基準見直しは行われなかった。

しかし、現実は、左翼、緑の党など反核派はどんなウソでも平気で繰り返すという厚かましさによって、このウソがマスコミを支配してしまっている。
NHKがこうした連中のウソをそのまま載せたのが、2011年末放送の「追跡!真相ファイル<低線量被曝が低線量被曝のリスクを半分に評価しているなどと述べている。

しかし、実際は前よりも厳しくしているとICRP委員を務めたことのある中村仁信大阪大学名誉教授は述べている。(『原発ゼロで日本は滅ぶ』(中川八洋・高田純共編/オークラ出版)


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4 3月16日「永田町都市伝説」にやられた人々
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事故後間もない3月16日ころから永田町界隈では「数日のうちにとんでもないことが起こる・・・みな逃げよ」という都市伝説のようなオバケが跋扈していたようだ。
(『誰も書かなかった福島原発の真実』(澤田哲生/WAC)

「福島原発事故で、使用済み核燃料プールが爆発を起こさなかったのは全くの偶然。『神風が吹いた』とアメリカの専門家は言った。全電源喪失で水素爆発を予想し、首都圏3千万人の退避を覚悟した。」などと左翼の高野孟も言っているが、似たような風評がネット上でも流れたようである。

しかし、こんなことは科学的原理的にあり得ないことである。
服部禎男博士(元電力中研理事で2005年には以前から発案していた超安全小型炉(スーパー・セーフ・スモール・シンプル)のUS Patentを取った)から詳しくその説明を聞いた。
またそのころプルトニウム角砂糖5個分で日本全滅とかいう風評が流れたが、博士はプルトニウム被曝で死んだ人はいないし、プルトニウムが猛毒だなんていうのも全くのウソ、と教えている。(『「放射能は怖い」のウソ』(服部禎男/ランダムハウスジャパン)

要するに全く科学的根拠のない「デマ」であったのだが、このデマにやられた人がかなりいるらしいのは困ったことである。
保守派の著名な言論人でこれをまともに信じて、孫を疎開させたという例もあるらしい。
また高野の言っている非科学的デマをまともに受け取っている民族派がいるらしいのは信じられ
ないことである。

こういう問題を科学的に考えるのではなく、「放射能は怖い」の思い込み、又「アメリカ様」が言っているから、ということでデマを信じてしまうなどということは、情けない限りである。
自主的主体的思考力を欠いた民族派とはいったい何なのだと言いたい。


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5 コントロール不能は自然であり、原発ではない
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核、原子力発電は人間のコントロールの効かない怪物であるかのような前提で、福島原発事故を議論する傾向があるが、これはよく考えると全く間違っている。

マグニチュウド9という地震学会想定の16倍(関東大震災のほぼ50倍)の地震にもかかわらず、原発本体は即時に核分裂反応を停止させた。
しかし、この想定外の規模の地震は、それまで来たことのなかった規模の津波を福島にもたらした。

昭和8年三陸大津波の時、女川では15メートルの津波がきた。
従って、それに備えた立地、堤防となっていたため住民避難所にまでなった。

ところが、福島に来た津波は1.5メートルだったのだ。その10倍の津波が来ると予想できなかったのは致し方ない。
要するに自然のコントロールが利かなかったというべきなのだ。

そして電源喪失という事態になり、簡単にいえば水がかけられなくなった。
火事で、水がかけられなかったら、大災害になるのは当然である。
原発でもこれにより炉心溶融が起こり、ジルコニウムと反応して水素が発生し、これを放散するのが遅れたため、爆発が起こった、というのが事故の実態である。

こうした事故にも拘らず、一人の死者も、一人の放射線障害者もなかったという事実をよくよく考えるべきである。
思い込みによってとんでもない見当違いをしているのではないですか、ということだ。


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6 最も安全なのが原子力発電であるという厳然たる事実
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京セラの稲盛和男会長は、昨年外国人特派員協会での記者会見で、「なんとか原発なしで高度な文明を維持していければいいのですが、現在の科学技術ではそれは不可能だと思っています。必要悪として、どうそれをコントロールして使っていくかということに力を入れなければならないと思っています。」と述べた。

脱原発一色であるかのような風潮の中で、勇気ある発言と言うべきだろう。

しかし、本当に原発は必要悪なのかというとそれは論理的おかしい。
何故なら火力その他の発電と比べて、単位発電量当たりの死者を見ると、図にみるように、原発が最低なのである。

*『「反原発」の不都合な真実』(藤沢数希・新潮新書p.28)

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この数字は、WHO、IEA、IAEAその他研究者のデータをもとに作られた、かなり信憑性の高いものである。原子力発電50年の歴史で、死者数は多めの推計で4000人ほどなので、TWh(兆Wh)当たりの死者は0.03人。
これに対して、火力発電の場合、21人なので、700倍である。

ソーラーも死者が出ないわけではない。
屋根の転落事故、又膨大な敷地に設置する作業過程での事故等々ある。
原発の15倍ほど危険なのである。


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7 最も環境にやさしい原発
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さらにもう一つ付け加えておくと、廃棄物という点でも原発は、火力に比べて1万分の1しか出ないという意外な事実である。
下表のとおりである。
しかも放射性廃棄物のうち、高レベル廃棄物はその0.6%である。

中低レベルの廃棄物は有効活用の道すらある。
高レベルについてもガラス固定化による廃棄方法はできているのであるが、過度に放射線を恐れる風潮のため、進行が妨げられ、又高コストになっている。

しかし、ガイア理論で有名な地球物理学者ジェームズ・ラブロックは、全世界の高レベル放射性廃棄物を自分の私有地に引き受けてもよいと宣言している。(『ガイアの復讐』(中央公論新社)

本質的には実はその程度の問題なのである。
今後エネルギー消費拡大に伴い、CO2その他で地球環境が汚染されるのを防ぐ救世主の役割が原発には期待されているのである。 


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このように、相対的最も安全であり、また廃棄物が圧倒的に少ない原発は、必要悪どころではない。
今後最も力を入れて活用すべきものなのである。

世の中の常識とされることが往々にして間違っていることがある。
放射能、原発に対する世の常識となっているものは、完全な間違いである。

常識の間違いにいつまでも惑わされ、またそれを特定のイデオロギーに利用され、脱原発などと叫ぶひとには、仙谷由人の言った後世に残る名言を贈りたい。

「脱原発など集団自殺である。」

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私は、原子力科学者ではありませんので、放射線云々の難しい話は、正直、わかりません。
わからないのに、これを書くのは何故かといえば、原発論が科学や倫理の問題ではなく、利権がらみの政治問題になってしまっていると思うからです。

原子爆弾を投下され、一般人に多数の死者を出したという経験を持つ日本人が、原子力や放射能といったものに、得体のしれない恐怖を感じるというのは心情としてはよく理解できることです。

私などは、子供の頃学校で教師から「広島、長崎は原爆が投下されたため、向こう100年は人が住めない」と教わりました。
で、言うのには、当時「ミュータント」なんて言葉が流行っていましたから、原爆で放射能汚染された広島、長崎の人たちは、顔が二つあったり、足が三本あったりするようなミュータントになっていると。

子供達にとっては、これは恐怖です。
古い話ですが、当時「マタンゴ」なんていう映画が大流行していて、イメージの中では、同地の人たちがまさにその「マタンゴ」になっている。
「こわいねー」と子供たちで語り合ったものです。

地理の授業では、広島は政令都市で人口が100万を超えているという。
子供心に、これは恐怖です。
なにせミュータントが100万人!(笑)
(広島、長崎の人、ごめんなさい)

ところが高校生くらいになると、フォークソングが大流行して、友人たちがバンドを組んだりしていたのですが、そのフォークの神様が吉田拓郎(よしだたくろう)、彼は広島出身です。
しかも五体満足な普通の人間です。
マタンゴのようなミュータントではない。

西城秀樹もデビューしました。
YMCAなどと元気よく歌い、同級生の女の子たちがキャーキャー言っていました。
これまた広島のご出身です。
もちろん西城秀樹も、ちゃんとした人間です。

また同じ頃、終戦後の広島ヤクザを描いた「仁義なき戦い」などが大ヒットして、友人たちと映画館によく足を運びましたが、これまた広島の物語で、不思議なことに、終戦直後、つまり原爆が投下されたばかりの広島で、普通に生きてドンパチやったり、闇市で暴れ回ったりしている。
そこにあるのは全国の焼け野原になった主要都市と同じ光景です。

結局、大人になった自分が就職したのは、広島に本社のある会社で、もちろん周囲は広島県人ばかり。社会人になってからの会社関係の友人の多くも広島県人がほとんどです。
みんな普通の人です。

いったい「100年は人が住めない」、「放射能汚染によってミュータントになっている」というアノ話は何だったのでしょうか。
要するに政治的に偏向して歪められた話というのは、まるで信頼に値しない、ということです。

だいたいいますぐ原発を廃止したら、日常使うエネルギーが高騰して困るのは、庶民である私達です。会社関係でも、原材料費は上がるし、電機代はあがるし、これまた経営ができなくなってしまう。

要するに、いますぐ原発を廃止したとしても、資源需要がなくなるわけではない、ということです。

さらにいかがわしさを感じるのは、反原発を唱える左翼の人たちが、尖閣の下に眠る海底資源の確保について、何も語らない、何も言わないことです。

すでに支那は、日本との約束さえも破って、尖閣からの盗掘を開始しているのです。
必要な我が家の資源を、お隣の横暴な暴力団みたいな国に盗られていて、そのことについて、何も言わない。
何か裏があると思わない方がどうかしています。

しかもお隣の韓国も、中共も、一緒になって「今後原発を大増設する」と言っているわけです。
支那産、韓国産の製品が、なにかにつけ粗悪品であることは、普通の日本人なら、誰でも知っています。
クルマひとつまともに作れない国が、原発を大増設するというのです。
それって大丈夫なんでしょうか。
万一のことがあったとき、日本に影響はないのでしょうか。
なぜそのことについて、メディアでは誰も指摘しようとしないのでしょうか。

しかも人によっては、「国内の原発停止によって失われる電力は、今後韓国から買えばよい」などと公然と発言している猛者もいます。

ここまでくると、裏金でも動いて、適当なことを言って世論操作して金儲けを企んでいるのではないかと疑われてもしかたのないことなのではないでしょうか。

原発にリスクはあると思います。
だからこそ、日本は、そのリスクを限りなくゼロに近づける努力をする。
それができるのは日本だし、世界に先駆けて安全な原発を開発し運用する国民性を持っているのも日本です。
そしてそれが、「日本の底力」なのではないかと思います。

他国のスパイの工作や、向こう100年は人が住めないだの、ミュータントになっているだのというデタラメに惑わされたら、国を誤ります。
そのような余計なことに時間や労力を使うくらいなら、むしろ、原発の安全を徹底して追求し、原発を堂々と運用できるように、最大限の努力を払うことに、力を注いだ方が、はるかに建設的なのではないかと思います。