先日、ある方とお話していて、日本の読み方は「ニホン」が正しいのか、「ニッポン」が正しいのかというお話になりました。
答えは、「両方正しい」です。
ちなみに「日」は「ジツ」とも読みますが、そのため「日本」は「ジッポン」とも発音されていました。
これを西洋の人が聞き取って「ジパング」となり、「ジャパン」とも呼ばれるようになっています。
つまり、「ジャパン」の起源も「日本」だったわけです。
日本の国号は、古くは「やまと」と呼ばれていました。
これは奈良県の大和地方に国の都があったことからきている名称で、都が「山のふもと」にあるから「やまと」となり、それが日本全国を示す言葉となったというのが通説です。
ただ、これにはもっと古くから「やまと」と呼ばれていたという説があり、それは稲の渡来に由来します。
実は日本における稲作は、約八千年前からはじまったということが考古学の検証で明らかになっています。
岡山県の彦崎遺跡や朝寝鼻遺跡で、8000年前のものとされる水田跡や大量の籾(もみ)の化石が見つかっているからです。
稲というのは、そもそも熱帯性植物です。
その熱帯性植物を、約八千年前に、温帯地方の日本で育てたわけです。
あたりまえのことですが、そのままで稲は育ちません。
そこで何が行われたかというと、灌漑(かんがい)農業です。
ご存知の通り、熱帯地方には、雨季と乾季があります。
その雨季と乾季を、田で人工的に演出したのが、灌漑農業なのです。
水田は、田植えの頃に水をいれ、稲の生育に合わせて田から水を抜いて乾田にします。
つまりこれは、熱帯地方の雨季と乾季を人工的に現出させているわけです。
考えてみるとこれはすごい技術です。
広大な田の水位を変えて、水を入れたり抜いたりするのです。
いまどきの言葉で言ったらイノベーションです。
革命的技術革新ですが、古来、この手の創意工夫は、日本人のお家芸です。
一般に稲作が始まったとされる弥生時代は、いまから約3000年前から2000年前頃までの時代とされていますが、実はそれより5千年も古くから、日本では稲作が行われていたわけです。
ではその稲が、どこからやってきたかというと、インドの南東部、スリランカ島の対岸あたりにある、タミール地方からといわれています。
おもしろいもので、このタミールの古代語で、稲は、ine です。
姉は ane 、兄は ani 、話すは fanasu など、古い単語のオンがたいへん日本語とよく似ていて共通しています。
で、実はこのタミール語で、太陽が ya 、下が moto と発音されます。
つまりタミール語で、ya-moto は、太陽の下、東の方を指しています。
ということは、ヤマトは、稲そのものの発祥の地から見て、東の外れの国という意味で、yamotoであり、これがなまってyamato、つまりヤマトとなったのかもしれません。
ヤマトが、太陽の下という意味なら、ヤマトの国は太陽の恵みと稲作による豊かな食に彩られた国という意味になります。
そしてヤマトの民の最高神は、アマテラス。つまり太陽神であり、日本の国旗も太陽をあらわす日の丸です。
こういうことは考えて行くと、なんだかワクワクしてきます。
そのヤマトに私達の祖先が、「大和」の文字をあてている点も、実におもしろいことだと思います。
「大和」は、誰がどう読んでも「だいわ」であり、ヤマトとは読めません。
にもかかわらず、ヤマトに「大和」の漢字を充てているわけです。
「大和」は、おおきな和と書きます。
「和」は「輪」でもあります。
そして「輪(わ)」というのは、上も下も始まりも終わりもありません。
つまり、「ワ」の民、大いなるワの民というのは、上下関係、つまり支配と隷属の関係を否定し、みんなが等しく努力して大きな輪となって暮らしを築く民です。
しかもその「ワ」を「和」と書くと、和は「なごみ」とも読みますから、その「ワ」はなごやかな輪であることがわかります。
古来、日本の古典文学や絵画などは、ひとつの言葉の中に、さまざまなメッセージを込め、それを伝えるという特徴があります。
時代は変わりますが、たとえば
古池や
かわず飛び込む
水の音
なんて芭蕉の俳句なども実に特徴的なのだけれど、飛び込んだのがカエルですから、それは隕石の落下のようなすさまじいものではなくて、ほんの小さなポチャンという水音だろうとわかります。
その小さな水音が聞こえるということは、あたりが静寂に包まれているということです。
でなければ、そんな小さな音は聞こえません。
そしてカエルが飛び込んだのは、古い池というわけです。
古い池ですから、あたりにはきっと雑木が茂っていたことでしょう。
そしてカエルのシーズン、それもウシガエルのような巨大なカエルではなくて、小さな水音というのですから、そのカエルはきっと、アマガエルのような、ちいさなカエルです。
ということは、季節は、6月の梅雨頃のこととわかります。
その季節というのは、新緑、つまり若葉の季節です。
古池の雑木のまわりには、若葉が茂っている。
そして若葉というのは、たいへん良い香りがするものです。
つまり、若葉が茂り、新緑の香りが包んでいる、古い池がそこにあって、あたりはシーンと静まり返っている。
季節は6月ですから、雨上がりのときかもしれません。
雨が軽塵をうるおして、空気がとっても澄み切っている。
そこに小さな池があり、その池に、これまた小さなカエルがポチャンと飛び込む。
静寂の中にも、若葉とカエルという生命の息吹が芽生えている。
そういう様々なメッセージを、短い言葉の中に込める。
それが日本の古典というものの特徴でもあるわけです。
ヤマトは、「太陽のもと」と書きました。
これを漢字にしたら、「日の本」です。
つまり、日本です。
私達の祖先が、私達の国の名前を公式に「日本」としたのは、飛鳥浄御原令(あすかきよみはられい)という法律で、持統3(689)年6月のことです。
以来1324年、日本は変わらず、その日本という国号を用いています。
私達の国、日本が、その間ずっと国名を変えなかったのは、支那や西洋の諸国のように、途中で国が途絶えたり、他の民族にとって変わられたりすることがなかったからです。
そして、日本は、世界でもっとも古くて長い歴史を持つ国です。
素晴らしいです。
(参考:新しい歴史教科書、自由社)