製鋼所の片隅に鍛刀所がある意味。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ニッポンの防衛産業

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130219/plt1302190709001-n1.htm



草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ。 

陸上自衛隊の155ミリりゅう弾砲=東富士演習場




戦争経験が生み出した危機感の表れ。



「国防最前線」の観点から防衛力整備を考えれば、これからは長射程のミサイルなど「専守防衛」の枠組みにとらわれない力の充実が求められる。

 しかし、実際に戦いになった場合、段階や規模によって必要な物は変わってくる。それぞれのレベルで多様な種類の武器が必要で、蓋然性が低いなどの理由でそれらを整理整頓することは自分で自分の首を絞める行為なのだ。

 ところが今、日本には制空・制海権を奪われたら「諦めてしまおう」という空気があるようだ。それゆえ、陸上戦力を軽視するような傾向があり、火砲などが常に削減の対象となっている。

 その自衛隊の火砲製造を担う日本製鋼所は、かつて戦艦「大和」や「陸奥」の主砲を製造した、いわば老舗の大砲メーカーだ。明治40(1907)年、日露戦争に勝利はしたものの、それまで輸入に頼っていた兵器を国産化する必要が高まり、英国のビッカース社なども出資してできた国策会社である。

 「兵器の独立なくして国家の独立なし」

 これは、普仏戦争を観戦してきた大山巌元帥が残した言葉であるが、明治期の戦争体験を経た日本にとってはますますリアルなものになっていった。

 そんな経緯で立ち上がった同社、戦後はどちらかと言えば世界で唯一の「継ぎ目のない原子炉圧力容器の製造」で知られるようになった。とはいえ、実はここには大砲作りのノウハウが生かされていて、まさに「スピンオフ」なのであった。

 戦艦大和の主砲の長さは20・7メートルで重さは165トン、撃つたびに砲身内に3000気圧がかかるため約200発で砲齢が尽きる。このような過酷な条件で使用される砲身の製造技術が役に立ったのだ。

 「機械作業のように見えますが匠の技がないとできません」

 1万トン級の超大型プレスも、それまで培われた職人たちの「塩梅(あんばい)」が最後は決め手になるのだという。

 北海道の室蘭製作所には、ちょっと驚く光景がある。敷地内の山すそに鍛刀所があるのだ。今でも実際にここで少ないながらも日本刀が作られている。

 明治維新以降、欧米列強と伍(ご)していくために、兵器の近代化を図った日本であったが、その時に失職した刀鍛冶の技術を継承していくためここに開設したのだという。

 「これがわれわれの技術の原点ですから」

 熱せられて赤くなった鋼をたたいて伸ばす様子はなるほど、超大型プレスと同じである。おそらく、現在とは比較にならないほどの危機感の中にあったであろう時代に、「技術とは何か」を示す遺産を残してくれていたのだ。 

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。