絶望的不況が深刻なレベルに。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





コンビニのアルバイトは「負け組」か?

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/02/03/2013020300094.html?ent_rank_news





キム・エラン氏の短編小説『私はコンビニに行く』で、主人公の「私」は、コンビニが醸しだす無関心な雰囲気を楽しむ。だが、コンビニのアルバイトは客に対して私的な会話をしないがなじみの客も覚えていないという事実にがっかりする。匿名性と無関心は心理的な安定を与えるが、同時に暴力にもなり得るというわけだ。


 『コンビニ』という歌謡曲には、このような歌詞が登場する。「どれほど洗っても、どれほど消そうとしても指先から染み出す金の臭い/一つ二つ三つ四つ/レシートはご利用でしょうか?」。この歌のミュージックビデオを見ると、母親からの電話を受けたアルバイトの学生が「今、読書室(図書館の閲覧室のように勉強机などが完備されたスペース)だから話せないんだ」と慌てて電話を切る。レジの前で客が待っているためだ。メロディーは軽快だが、ほろ苦い気持ちになる。24時間コンビニにこもっているアルバイトの一日が、寂しい青春の波として押し寄せてくる。


 ウェブ漫画『来い! コンビニ』では、アルバイトの学生が、時給が上がったときに「奴隷から庶民に昇進した」と表現する。なぜコンビニのアルバイトにとっては「最低賃金」が「最高賃金」と同じ意味なのだろうかという指摘もある。


 「最低賃金(時給4860ウォン=約410円)をもらえなくてもコンビニにはアルバイト(応募者)が列をつくる」という本紙の記事で、あるアルバイトの学生が「私たちにとっては最低賃金が事実上の最高賃金だ」と話した。「悔しかったら出世しなくちゃ、と考えるが、考えるだけで抗議することもできない立場だ」と打ち明ける人もいた。


 だからといってオーナーを「搾取者」として責めることもできない。店を24時間営業しなければならず、売り上げの大部分を本社が吸い上げるというシステムになっているのだ。『来い! コンビニ』で時給をきちんと受け取っているアルバイトが、「生計」に苦心している社長のことを心配するというエピソードが登場するのも、このような状況が関係している。


 しかしアルバイトが直面する現実、低いプライドを単に「負け組の悲劇」に置き換えることはできない。


 最近、英国で出会った作家、アラン・ド・ポトン氏は「われわれが人生で手にする地位が偶然ではなく、各自が招いた妥当な結果だという暴力的な認識が広まっている」と懸念を示した。「勉強ができていい大学に行っていればそんなふうにはならなかったはずだ」という言葉は心配で仕方がない親の愚痴であり、国の政策であってはいけないはずだ。そんな無関心、あるいは無理解が傷をさらに深くする。若い世代のため息と絶望が歌謡曲に、漫画に、小説に、みぞれのように舞い散っている。


朴敦圭(パク・トンギュ)記者