教育委員会制度の改革を。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩





各地で起きているいじめ問題についての無責任な対応をきっかけにして、教育委員会の在り方に多くの人が疑問を感じ始め、制度の見直しを求める声が大きくなっている。

 地域住民から選出された一般人により組織される教育委員会が学校を管理する、レーマンコントロールといわれる仕組みは、敗戦直後に木に竹を継ぐように導入された制度なので、60年以上たった今でも日本の教育風土に定着していない。

 もともと教育行政における一般人統制の理念はアメリカ建国の歴史の中で培われたものである。教育委員会は、昭和21年に来日した「アメリカ教育使節団」の勧告に基づいて、GHQ(連合国軍総司令部)の指導により、戦前の内務省主導の地方教育行政を転換して地方分権の教育を実現する目的で創設された。

 制度の形骸化が指摘されて久しいが、教育委員会制度は何とか致命的なボロを出さずに命脈を保っていた。しかし、大津市立中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺した事件で、これまで隠されてきた制度的矛盾が一挙に噴き出して教育委員会の機能不全が露呈し、国民の信頼に応えられない組織であることが誰の目にも明らかになった。

 ところで教育行政の仕組みと機能は複雑である。文部科学省を頂点にして、都道府県、市町村にそれぞれ教育委員会が設置されているが、その概要は次のようになっている。

 まず首長が議会の同意を得て任命する、原則として5人の教育委員で教育委員会を構成し、代表者である教育委員長を選出する。次に教育長は委員のうちから教育委員会に任命され、教育委員会の決定に基づき事務全般を執行する。教育委員のうち教育長のみが常勤で他の教育委員は非常勤である。会社に例えれば、月に1日出社する社外取締役が社長を務める組織のようなものである。

教育行政組織の機能と役割分担も複雑に絡み合っている。予算については首長が責任を持つが、教育行政の重要事項や基本方針の決定権限は教育委員会に属し、首長の権限は及ばない。さらに教員の給与負担と任命権は都道府県教育委員会に、服務監督権は市町村教育委員会という具合に、責任と権限、決定と実行の主体がバラバラである。

 このように責任の所在が不明確なために、形骸化して無責任体質になるとして教育委員会の廃止が提唱されている。さらに教育委員会を設置するか否かを各市町村が独自に判断する方式も検討されている。

 しかし私は、教育委員会の廃止論や設置を自由に選択する主張に反対である。なぜなら教育委員会が形骸化した根本原因は、現実ばなれした実質的に米国によって作られた制度に60年間も淡い幻想を抱き続けてきたことにあると思うからだ。その結果、権限のあいまいな非常勤の教育委員に責任のすべてを押しつけて矛盾を隠蔽してきた。機能不全を招いた根っこは、地方教育行政組織の制度的な虚構にあると思う。

 どの組織であれ、物事を決定しその責任を負うリーダーがいて初めて組織は機能する。教育委員会は誰が最終的な責任者か不明確な組織だから、学校でいじめ事件などが起きても責任をなすりつけ合うばかりで、素早く有効な手が打てないのだ。

 地方教育行政法を改正し、首長が任命する教育長を教育委員会の責任者として位置づけ、決定権限と責任が明確な組織にすべきである。

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【プロフィル】石井昌浩

 いしい・まさひろ 都立教育研究所次長、国立市教育長など歴任。著書に『学校が泣いている』『丸投げされる学校』。