陛下、心臓手術から順調なご回復。
悠仁親王殿下、愛子内親王殿下、すくすくとご成長。
写真とともに振り返る。
花束を手に東大病院を退院される天皇陛下と皇后陛下。執刀した天野篤医師(右から3人目)とあいさつを交わされた=3月4日、東京都文京区(代表撮影)
今年の皇室は、天皇陛下の心臓ご手術という国民にとって心配なニュースがあった。その後、陛下は順調に回復、英国訪問や東日本大震災被災地へのお見舞いなど、ますます精力的に公務に臨まれている。寛仁(ともひと)親王殿下が薨去(こうきょ)されるという悲しい出来事もあった。“新世代”の皇族方はすくすくと成長されている。「皇室の平成24年」を、写真とともに振り返る。
退院後は精力的にご公務
天皇陛下のご手術は2月18日、東京大学医学部付属病院(東京都文京区)で行われた。心臓の血管の血流の悪さを解消するための冠動脈バイパス手術で、無事に成功。退院後は英国訪問をはじめとする公務や宮中祭祀(さいし)などに精力的に臨まれた。
陛下は手術1週間前の検査で、心臓周辺の筋肉に酸素や栄養を送る左冠動脈の「回旋枝(かいせんし)」と「前下行枝(ぜんかこうし)」の狭窄(狭くなった部分)の一部が、前年の検査より「やや進行した」との診断を受けられた。医師団は別の部位の血管である内胸動脈をつなぎ、血流の回り道をつくるバイパス手術を行うことが適切と判断した。
陛下が手術を受けるのは平成15年1月の前立腺がん摘出以来で、心臓に関する手術は初めてとなられた。手術は東大の医師と、この手術で実績がある天野篤氏ら順天堂大の医師が合同チームを組んで担当。執刀時間は約4時間で、会見した医師団は「出血はほとんどなく、麻酔からのお目覚めも順調。手術はベストのタイミングだった」と笑顔を見せた。
お目覚めの際には、皇后さまと長女の黒田清子(さやこ)さんが一緒に病室におられた。陛下はうなずき、清子さんが手をさすると、「気持ちいい」と話されたという。
手術後の経過は順調で、陛下は3月4日にご退院。強く出席を希望されていた同11日の東日本大震災1周年追悼式が、手術後初めての公務となった。陛下は「国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています」とお言葉を述べられた。
気候が暖かくなるにつれて、陛下の体調はさらに回復し、皇后さまとのテニス、散策などのご運動を徐々に増やされた。5月には5日間の日程で英国訪問を果たし、前後の週には宮城、山口両県もご訪問。その後も長野(7月)、岐阜(9月)、山梨、福島(10月)の各県を訪問された。
10月24日には宮内庁が、ご手術後の経過観察の検査結果は「おおむね良好」だったと発表。ご運動を通じてリハビリテーションを進めていただきながら、今後も経過観察を慎重に行うと説明した。
陛下は以降も皇后さまとともに11月に沖縄、12月に京都・岐阜を訪問し、忙しい日々を過ごされた。宮中祭祀で最も重要とされる11月23日の新嘗祭(にいなめさい)にも、2年ぶりに臨まれた。
午餐会が開かれるロンドン近郊のウィンザー城で、エリザベス女王夫妻に迎えられる天皇、皇后両陛下=5月18日(PA=共同)
英女王在位60年をお祝い
天皇、皇后両陛下は、エリザベス女王の在位60年を記念した午餐(ごさん=昼食)会などの行事出席のため、5月16日から20日にかけて英国を公式訪問された。両陛下での外国ご訪問は平成21年7月のカナダ、米ハワイ以来約3年ぶり。陛下は心臓手術からわずか3カ月での海外ご訪問となった。
両陛下は女王や各国の王族らと親交を深めたほか、各訪問先でも熱烈な歓迎を受け、英国の人々や在留邦人とご交流。国際親善に努められた。
手術から約3カ月という状況で訪英が実現した背景には、陛下の「強いご意向」もあったという。陛下は19歳だった皇太子時代の昭和28年、昭和天皇の名代としてエリザベス女王の戴冠式(たいかんしき)に出席されていた。
東日本大震災の復興を支援した英国の関係者が集まった会合で陛下は、「思いやりあふれ、実効性に優れた救援活動は、これまで日英両国民の間で長きにわたって育まれてきた深い友情を、さらに強めるものだったと感じております」と英語で感謝を述べられた。
午餐会はロンドン郊外のウィンザー城で開かれ、約30カ国の王室の君主や旧王族が、86歳のエリザベス女王を祝福。陛下にはメーンテーブルの女王の隣席が用意されていた。同夜にはバッキンガム宮殿でチャールズ皇太子夫妻主催の晩餐(ばんさん)会も開かれ、続けて両陛下で臨まれた。
仮設住宅を訪問し、被災者に声をかけられる天皇、皇后両陛下=5月13日、仙台市若林区(代表撮影)
被災地お見舞い、強くご希望
天皇、皇后両陛下は今年も、東日本大震災の被災地に心を寄せられた。3月11日に1周年追悼式に出席されたほか、宮城、福島両県で、それぞれ被災地や被災者のもとを訪問された。
国際会議出席のために5月に1泊2日で訪問された仙台市では、市長や津波の研究者らから被災状況などを聞いたほか、若林区の仮設住宅をご訪問。陛下は住民らに「冬はずいぶん寒くて大変だったでしょう」と声をかけ、皇后さまと住宅を歩いて回られた。
宮内庁幹部によると、陛下は心臓手術から間がなく、翌週には英国訪問も控えられていたが、被災者へのお見舞いを強く希望されたという。
10月には民家の除染作業や仮設住宅を視察する目的で、福島県川内村を日帰りで訪問された。同村は原発事故の影響で一時的に全村避難が行われたが、村民の一部が戻っており、両陛下はそうした人々を心から励まされた。早渡地区の除染現場では、陛下は作業員らに「どうもご苦労さま」と声をかけてねぎらわれた。
つかまえたバッタを手に持たれる悠仁親王殿下=8月4日、東京・元赤坂(宮内庁提供)
段ボールと針金で作った花に色付けされる愛子内親王殿下=11月18日、東宮御所(宮内庁提供)
悠仁親王殿下、愛子内親王殿下 すくすく
秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは9月6日に6歳となり、来春にはお茶の水女子大付属幼稚園を卒園、同大付属小学校に入学される。学習院初等科5年生で皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまは今月1日で11歳となり、通学への不安を乗り越え、学業や音楽、スポーツなどに励まれている。お二人とも、健やかに成長されている。
悠仁さまは、7月にご一家で、パラグアイにある「日本パラグアイ学院」の日本研修旅行に参加した児童、生徒とお住まいの宮邸で交流し、“初めてのご公務”に臨まれた。
宮内庁によると、幼稚園では年下の子供たちの世話もしておられる。ご家族やお友達、地名などの漢字に興味を持っており、「秋篠宮悠仁」と名前を書かれるという。
夏にたびたび皇居を訪問して行われた虫取りには、天皇陛下が付き添われることもあったという。11月には奈良県橿原市の神武天皇陵を参拝、真剣な表情で陵前に玉串をささげられた。
秋篠宮さまは、11月のご自身の誕生日会見で、今年の運動会を見た感想として「随分子供というのは大きくなるというか、成長するものだなという印象を持ちました」と述べられた。
一方、愛子さまは、今年は通常のご通学に皇太子ご夫妻が付き添われることはなく、元気に過ごされた。2月の陛下のご手術後には、皇太子さまを通じ、お見舞いのメッセージ入りカードを渡されたという。
今年はバスケットボール部に入られた。英語のセミナーに継続的に参加しているほか、管弦楽部で担当するチェロの練習も続けており、忙しい日々を過ごされている。
インタビューに答えられる寛仁親王殿下=平成19年11月
寛仁親王殿下薨去「ヒゲの殿下」福祉ご尽力
三笠宮家の長男で、天皇陛下のいとこにあたる寛仁親王殿下は6月6日、多臓器不全のため東京都千代田区の杏雲堂病院で薨去された。66歳で、皇位継承順位は第6位であられた。
「ヒゲの殿下」の愛称で国民から親しまれた寛仁さまは、長年障害者福祉に心血を注ぎ、昭和57年には「社会福祉活動に専念したい」と皇籍離脱を申し出られ、波紋を呼んだ。平成17年から18年にかけての小泉政権の皇室典範改正論議では、女性・女系天皇を容認する姿勢を「拙速」として批判されたこともあった。
近年はがんに関連した手術を繰り返して闘病生活を送り、3月ののどの手術で16回目となられていた。
容態が悪化されてから、研究のため海外を訪問していた長女の彬子さまが予定を早めて6月6日朝にご帰国。次女の瑶子さまと「お父さま」と励まされたという。病室では母の三笠宮妃百合子さま、姉の近衛●(=ウかんむりの下に心、その下に用)子(やすこ)さんも看取られた。
東日本大震災の復興期であることを踏まえ、「可能な限り葬儀は簡素に」と遺言を残された。本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」は6月14日に豊島岡墓地(東京都文京区)で執り行われ、墓所には愛用されたゴルフ、スキー用品などが納められた。