夕刻の備忘録 様のブログより。
遂に政権交代がなった。
久しぶりに清々しい気持ちの好い朝を迎えた。
投票日からこの日まで、事の流れは分かっていた。しかし、実際にその日を迎えて、新閣僚の会見を見て、またあの忌まわしい日々を思い出して、実に感慨無量であった。そこに中川昭一の姿が無いこと以外、何の不満もない。
民主党は選挙期間中、「時計の針を戻すのか?」と必死に叫んでいた。決断の出来ない男が「決断」を叫び、今の評価にすら耐えない連中が、「歴史の評価」などと意味の分からないことを言いだして、自民党を批判していた。
そうだ、時計の針を戻すのだ。
直接の死亡原因など分からない。しかし、リーマンショックへの対応で多忙を極める中川大臣に、さらに無用の仕事を押し付け、政府専用機の運用にまで難癖を付けて、一時の休息も与えないように、徹底的に妨害したのは民主党であり、それが中川の身体にさらなるダメージを与えていたことは、明々白々たる事実である。中川の首を獲るまで、審議拒否を続け、騒ぎに騒いだ鳩山、菅、小沢、岡田らのことは絶対に許さない。
戻せるものなら、中川が健在であったあの日まで戻したい。こんな切ないことを考えながら、野田の「戻すのですか?」という演説を、怒りに震えながら聴いていた有権者は、決して少なくないと思う。
★ ★ ★ ★ ★
そして今、麻生太郎があの日、あの時、中川が担っていた役割を、即ち「財務大臣と金融担当大臣を兼務」する形をそのまま受け継ぐことになった。かつて二人がタッグを組んで処理しようとしていた景気回復への取組である。
いい加減、こんな長たらしい名称は止めて、「大蔵大臣」に戻せばいいのだ。今は財政・金融を総覧する「大蔵大臣」こそが必要な時代なのだ。そもそも、役所を統廃合したところで、役人の権限は少しも減じない。天下り云々も、そんな小手先の手法では減るはずもないのだ。
「文部省」や「大蔵省」という名称は、日本の歴史に刻まれた由緒正しきものである。それをいとも簡単に捨てたところから、混乱は始まっていたのである。根本的で大規模な対策が求められる時、包括的な権限が必要となる。それが出来る人物が必要となる。大蔵大臣・中川昭一の果たせなかった夢を、麻生が果たす時が来た。
★ ★ ★ ★ ★
日本の明日を取り戻すために、麻生太郎は帰ってきた。
「第二次麻生政権」の誕生を心から祝いたい。
そして、「この言葉の意味」をよく考えて頂きたい。
何故、麻生は新閣僚会見で徹底的に朝日新聞の非を糺したか。幹事社であることを言い訳に、何度も繰り返し質問をする「偏り」に対して、敢然とこれを拒否し、堂々たる「宣戦布告」をした。それは敵の目を引きつけるためである。「安倍が麻生の傀儡である」などという幼稚な意味で書いているのではない。麻生は、「こいつらは俺が引き受けた、オマエらは仕事に徹しろ!」と叫んでいるのだ。
新聞紙面は有限である。テレビの時間も有限である。その多くを一人で割く人物が居れば、他の大臣、とりわけ新人大臣らは雑音に晒されることなく、自らの仕事に徹することが出来る。それは総理にも言えることだ。
従って、我々もこの意図を汲み取って、「これは第二次麻生政権だ」「安倍・麻生の二頭政治だ」「谷垣も含めた三頭政治だ」と書き連ねれば、世の中の視線は全てこの三人の言動に引きつけられることになる。相対的に総理の負担は減り、他の閣僚の負担も減る。
そうだ、ボロボロになるまで麻生を叩けばいい。それが麻生の望むところだろう。仕事も出来、人柄も誠実な極めて優秀な布陣を引くことが出来た。我々は、彼等に少しでも多く、少しでも楽に仕事をして貰い、日本の状況を改善して貰わねばならない。マスコミは、自民党憎さに「景気対策まで妨害するつもり」である。彼等にとって、国家とは私利私欲の対象、収奪の対象にしか過ぎない。日本国の凋落は彼等の幸福、その発展は彼等の不幸なのである。
マスコミを滅ぼさねば、日本が滅ぼされる。我々はあらゆる方法を使って、マスコミを無力化せねばならない。不景気なのも、雇用が無いのも、教育が混迷しているのも、隣国に領土侵犯をされているのも、全てはマスコミの責任である。
これは極論ではない。今晩のおかずが少ないのも、全てマスコミの所為である。マスコミが事実を冷静に、公平にさえ伝えれば、防げた事故も事件もある。そもそも「民主党への政権交代」など起こらなかったはずである。我々の生活を護るためには、先ず第一に現状のマスコミを滅ぼして、ごく普通の常識が広く世の中に広まるような、そんな情報拡散の新しい仕組を構築していかねばならないのだ。
第二次安倍内閣を護るためには、我々が率先して、「麻生一人に注目が集まるように仕向ければいい」のだ。麻生の経済対策は必ず成功する。日本企業に、日本人に再生の意志がある限り、日本の景気は必ず好転する。従って、経済の具体的な数字が、実体経済そのものが麻生を護るだろう。よって、幾らマスコミが麻生を叩いたところで、それは全くの無駄なのだ。
今後、マスコミが麻生に言い掛かりを付け、粘着を繰り返す度に、こちらは「腹の底から笑わせて頂く」ことにしよう。そして、今度はマスコミ諸氏に尋ねよう、「おたくの会社の解散、総解雇は何時ですか?」と。
久しぶりに清々しい気持ちの好い朝を迎えた。
投票日からこの日まで、事の流れは分かっていた。しかし、実際にその日を迎えて、新閣僚の会見を見て、またあの忌まわしい日々を思い出して、実に感慨無量であった。そこに中川昭一の姿が無いこと以外、何の不満もない。
民主党は選挙期間中、「時計の針を戻すのか?」と必死に叫んでいた。決断の出来ない男が「決断」を叫び、今の評価にすら耐えない連中が、「歴史の評価」などと意味の分からないことを言いだして、自民党を批判していた。
そうだ、時計の針を戻すのだ。
直接の死亡原因など分からない。しかし、リーマンショックへの対応で多忙を極める中川大臣に、さらに無用の仕事を押し付け、政府専用機の運用にまで難癖を付けて、一時の休息も与えないように、徹底的に妨害したのは民主党であり、それが中川の身体にさらなるダメージを与えていたことは、明々白々たる事実である。中川の首を獲るまで、審議拒否を続け、騒ぎに騒いだ鳩山、菅、小沢、岡田らのことは絶対に許さない。
戻せるものなら、中川が健在であったあの日まで戻したい。こんな切ないことを考えながら、野田の「戻すのですか?」という演説を、怒りに震えながら聴いていた有権者は、決して少なくないと思う。
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そして今、麻生太郎があの日、あの時、中川が担っていた役割を、即ち「財務大臣と金融担当大臣を兼務」する形をそのまま受け継ぐことになった。かつて二人がタッグを組んで処理しようとしていた景気回復への取組である。
いい加減、こんな長たらしい名称は止めて、「大蔵大臣」に戻せばいいのだ。今は財政・金融を総覧する「大蔵大臣」こそが必要な時代なのだ。そもそも、役所を統廃合したところで、役人の権限は少しも減じない。天下り云々も、そんな小手先の手法では減るはずもないのだ。
「文部省」や「大蔵省」という名称は、日本の歴史に刻まれた由緒正しきものである。それをいとも簡単に捨てたところから、混乱は始まっていたのである。根本的で大規模な対策が求められる時、包括的な権限が必要となる。それが出来る人物が必要となる。大蔵大臣・中川昭一の果たせなかった夢を、麻生が果たす時が来た。
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日本の明日を取り戻すために、麻生太郎は帰ってきた。
「第二次麻生政権」の誕生を心から祝いたい。
そして、「この言葉の意味」をよく考えて頂きたい。
何故、麻生は新閣僚会見で徹底的に朝日新聞の非を糺したか。幹事社であることを言い訳に、何度も繰り返し質問をする「偏り」に対して、敢然とこれを拒否し、堂々たる「宣戦布告」をした。それは敵の目を引きつけるためである。「安倍が麻生の傀儡である」などという幼稚な意味で書いているのではない。麻生は、「こいつらは俺が引き受けた、オマエらは仕事に徹しろ!」と叫んでいるのだ。
新聞紙面は有限である。テレビの時間も有限である。その多くを一人で割く人物が居れば、他の大臣、とりわけ新人大臣らは雑音に晒されることなく、自らの仕事に徹することが出来る。それは総理にも言えることだ。
従って、我々もこの意図を汲み取って、「これは第二次麻生政権だ」「安倍・麻生の二頭政治だ」「谷垣も含めた三頭政治だ」と書き連ねれば、世の中の視線は全てこの三人の言動に引きつけられることになる。相対的に総理の負担は減り、他の閣僚の負担も減る。
そうだ、ボロボロになるまで麻生を叩けばいい。それが麻生の望むところだろう。仕事も出来、人柄も誠実な極めて優秀な布陣を引くことが出来た。我々は、彼等に少しでも多く、少しでも楽に仕事をして貰い、日本の状況を改善して貰わねばならない。マスコミは、自民党憎さに「景気対策まで妨害するつもり」である。彼等にとって、国家とは私利私欲の対象、収奪の対象にしか過ぎない。日本国の凋落は彼等の幸福、その発展は彼等の不幸なのである。
マスコミを滅ぼさねば、日本が滅ぼされる。我々はあらゆる方法を使って、マスコミを無力化せねばならない。不景気なのも、雇用が無いのも、教育が混迷しているのも、隣国に領土侵犯をされているのも、全てはマスコミの責任である。
これは極論ではない。今晩のおかずが少ないのも、全てマスコミの所為である。マスコミが事実を冷静に、公平にさえ伝えれば、防げた事故も事件もある。そもそも「民主党への政権交代」など起こらなかったはずである。我々の生活を護るためには、先ず第一に現状のマスコミを滅ぼして、ごく普通の常識が広く世の中に広まるような、そんな情報拡散の新しい仕組を構築していかねばならないのだ。
第二次安倍内閣を護るためには、我々が率先して、「麻生一人に注目が集まるように仕向ければいい」のだ。麻生の経済対策は必ず成功する。日本企業に、日本人に再生の意志がある限り、日本の景気は必ず好転する。従って、経済の具体的な数字が、実体経済そのものが麻生を護るだろう。よって、幾らマスコミが麻生を叩いたところで、それは全くの無駄なのだ。
今後、マスコミが麻生に言い掛かりを付け、粘着を繰り返す度に、こちらは「腹の底から笑わせて頂く」ことにしよう。そして、今度はマスコミ諸氏に尋ねよう、「おたくの会社の解散、総解雇は何時ですか?」と。