仮にいまから千年後の人たちが、世界史の授業で20世紀という時代を習うとします。
そのとき、20世紀を代表する人類史上最大の出来事とはいったい何だと教わるでしょうか。
みなさんは、どう思われますか?
人類史上で20世紀を代表する最大の出来事とは・・・?
ちなみに「世紀(century)」とは、西暦を100年単位で区切った呼称です。
私は間違いなく、「植民地支配の終焉」を挙げることになるだろうと思います。
人が人を差別する時代。しかもそれを国家ぐるみ、民族ぐるみ、人種ぐるみで差別し、収奪した時代。
これがはじまったのは、16世紀の大航海時代から以降のことです。
もちろん古代においても奴隷支配を意味する植民地の原型はありましたが、対等な戦う相手から、勝負の結果支配する者と支配される者に別れ、その地位が度々逆転した中世以前の戦勝国による植民地支配と、大航海時代以降の、民族ぐるみ、国家ぐるみの支配、あるいは人種そのものを差別した「植民地時代」では、その規模も内容もまるで異なっています。
アジアやアフリカの有色人種諸国は、白人国が入植する植民地となり、現地の人々は収奪され、人として扱われず、そして愚民化政策によってただ隷属するだけの民族に仕立て上げられていきました。
当時の白人たちにとって、被植民地に住む現地のカラード(有色人種)は、人間ですらありません。獣であり道具であり、ロボットです。
ですから、有名な話ですが、植民地支配されている国において、支配者層である白人の邸宅内で、娘さんが部屋で素っ裸になって着替えているところに、有色人種の男性が入ってきても、まったく騒ぎにさえならない。
要するに室内に犬や猫が入ってきたのと、まるで同じでした。
(もちろん白人女性のそのような状況のところに、白人男性が入ってきたら、それはもう大騒ぎになります)
こうした欧米列強による有色人種への植民地支配は、約500年続いたのです。
その間、何度かカラード(有色人種)による大規模な叛乱なども起こっています。
インドで1856年に起こったセポイの乱などもその一例です。
暴動は白人たちの圧倒的火力の前に鎮圧され、首謀者たちは大砲の前に縛り付けられた状態で、大砲を発射され、五体をバラバラに飛ばされて処刑されました。
なぜそのような残虐な振る舞いができたのかといえば、異人種は人間とみなされなかったからです。
ところがそうした植民地時代が、20世紀の終わり頃、突然各地で終焉を迎えたのです。
世界中の被植民地国家は次々と独立を果たし、欧米諸国はその富の源である植民地をことごとく失いました。
それだけではありません。
かつて被植民地として支配されたカラード(有色人種)国家は、経済面でも急激な成長を遂げ、21世紀となったいまでは、世界の経済の牽引役にまで育っています。
この突然の変化の背景には、何があったのでしょうか。
500年続いた絶対的優位の植民地支配が、なぜ、こうも短期間に突然の終息を迎えたのでしょうか。
これをお読みのみなさんなら、もうおわかりと思います。
答えは、日本にあります。
東洋の辺境にあった島国の日本が、世界でただ一国、カラードでありながら自尊独立のために短期間で国をまとめ、積極的に欧米の文物を採り入れ、またたく間に欧米列強と肩を並べる強国になったかと思うと、ただ一国で世界最強の誉れ高いロシア陸軍を、彼らの最も得意とするその陸戦で打ち破り、さらに世界最強艦隊を壊滅させたのみならず、昭和16年には絶対に負けることがないと信じられた大英帝国の東洋不沈艦隊を壊滅させてしまいました。
さらに日本は、植民地支配されていた諸国で白人支配者を追放すると、現地の人々に行政を教え、教育を施し、軍事を磨かせ、彼らの独立自尊を手助けしました。
その結果、日本は満身創痍の焼け野原になりましたが、ついに世界は、植民地支配という構図を失うに至ったのです。
その象徴となったのが、昭和39(1964)年の東京オリンピックでした。
東京オリンピック参加国は、その時点で史上最多の93カ国です。
なぜ最多なのか。
新たに独立した世界中の元植民地国が参加してくれたからです。
東京オリンピックのマラソンで優勝したアベベ選手は、イタリアの植民地から独立したばかりのエチオピアからの参加です。
ちなみに東京オリンピックの前に開催された1960年のローマオリンピックの参加国は83です。
1956年のメルボルンオリンピックでは、参加国は67でした。
1896年に行われたアテネオリンピックでは、参加国はわずか14です。
東京オリンピックの次に開催されたメキシコシティ五輪では参加国は112となり、今年行われたロンドン五輪では、ついに参加国は204となりました。
参加国が増えたということは、それだけ独立国が増えた、といことです。
そしてそうなった原因には、間違いなく日本の働きがそこにあります。
そして、20世紀までの世界で、自国の利益を度外視してまで周辺諸国の独立と平和のために戦い、勝利を得、それら諸国に莫大な経費をかけて自立を促したという、まさに神様のような国は、歴史上、日本以外に存在しません。
韓国人で、韓日文化研究所の朴鉄柱は、次のように述べています。
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大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろイギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
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まさにその通りです。
昨今の韓国は、国を挙げて反日に傾いていますが、その韓国人の歴史家が、ちゃんとこうした事実を認めているのです。
そういうことを韓国人は学ばなければならない。
おそらく、五百年後、千年後の世界の歴史教科書には、20世紀に関する記述として、間違いなく「植民地時代の終焉」という語句がはいるものと思う。
これこそ20世紀最大のエポックであり、人類史に残る偉業といえることだからです。
そしてこれを成し遂げたのは、まぎれもなく、私達と血のつながった、若き日の私達の父祖たちだったし、それをひき起こしたのは、間違いなく日本でした。
そのことを私達は、あえて誇る必要はありませんが、しっかりと知っておく必要があると思います。
ちなみに、ちょっと余計なことを書くと、植民地というのは英語で「colony(コロニー)」です。
ですがおもしろいもので、日本語でカタカナ英語のコロニーと書かれる時は、生活共同体の意味に用いられるようです。
英語で「colony」と表記されるものが、日本語では「植民地」、「コロニー」でまったく別な意味に訳されて使われている。
ちょっとおかしな話です。
さて、せっかくここまで書いたので、もうひとつ。
21世紀にはいって12年目の年が、あと少しで終わろうとしていますが、では20世紀の終わり頃から21世紀にかけて、世界の人類に起こった最大のエポックは何でしょうか?
第一次、第二次世界大戦ではありません。
それらはいずれも20世紀に終わっています。
米ソの冷戦でしょうか。
それも20世紀に終わっています。
核の開発と利用、人類初の月面着陸、火星探査機の打ち上げ、もちろんそれもあるでしょう。
けれどそれよりなにより、もっとはるかに大きな出来事があります。
それは、世界の人口が70億に達しようとしていることです。
大東亜戦争が終結した頃、世界の人口は約20億人だったのです。
それがわずか70年足らずで、70億人へと三倍半も増加したのです。
これは人類史上、初の出来事です。
地上にこんなにたくさんの人間が住むようになったのは、人類史上、他にありません。
1798年に、英国のトマス・ロバート・マルサス(Thomas Robert Malthus)という学者が、「人口論」という本を書きました。
この本は、まさに歴史的名著とされた本なのですが、その中で彼は、次のように述べています。
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人口は、幾何級数的に増加する。
一方、食料の生産能力には限界がある。
だから人口の増加には一定の限界がある。
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これはとても重要な指摘です。
なぜならここに指摘されている通り、人類は食料の生産能力を超えて生き残ることは不可能だからです。
このときマルサスは、本の中でいろいろな研究調査の結果として、最終的に世界の人口は20億人が限界で、それ以上は食糧生産高が間に合わず、人口は増加しない、と述べています。
そしてマルサスの本から150年後の世界は、まさに20億の人口となっていたのです。
第二次世界大戦については、その発生原因にについて、政治的に述べたもの、あるいは地政学的に述べたもの等々、さまざまな研究がなされています。
つまり諸説ある。
そしてそれら諸説を究極的にみれば、結局のところ、戦争の原因は貧困と飢え、つまり食料供給が限界点に達した世界が、その食料の供給を求めて大戦を起こし、食料生産力の奪い合いをした、とみることもできます。
けれどここに、やはりおかしな国が、世界に一国だけありました。
日本です。
日本は、満州や支那大陸、東亜諸国や南洋諸島に進出しましたが、そこで何をやっていたかというと、もちろん政治経済軍事的側面もありますが、同時に大変熱心に農業指導をしているのです。
世界が、「自分たちが食うため」に他国を侵略し、その国の食い物を横取りするという挙に出ていた時代に、世界でただ一国、そうした暴力集団を追い払い、現地の人々と一緒になって汗を流して食料生産高の向上を図ろうとしていた国、それが日本だったのです。
けれど事態はそれだけに止まりません。
日本はたいへんな国費をかけて農業生産物の改良をし、なかでも稲塚権次郎博士の開発した小麦は、なんと収量がそれまでの小麦の5倍という凄まじい品種となったのです。
その稲塚権次郎博士が直接指導した支那の華北産業科学研究所では、まさに支那全土にこの新種の小麦の普及促進と農業指導をしてまわっていました。
おかげで華北産業科学研究所の職員は、大東亜戦争終結後も支那に2年間とどまり、その普及活動を継続せられています。
その結果何が起こったか。
支那の人口は、大東亜戦争当時、5億でした。
それがいまや15億です。
人口が3倍に増えた。
3倍の人が「食って生きて」いくことができるようになったのです。
さらに稲塚博士の開発した小麦は、戦後に起こったインドの大飢饉を救っています。
飢饉によって1億人以上が死ぬと思われたこのときに、博士の小麦がインドにもたらされ、結果として、インドも小麦の収量が3倍に増大。
結果、いまや人口まで3倍に増えたのです。
そして、こうしたことの積み重ねによって、世界の人口は爆発的に増大し、いまや70億に達しようとしています。
つまり、20世紀の後半から21世紀初頭にかけて、人類が爆発的にその人口を増した原因にも、やはりそこに、日本という国の働きがある。
誰しも、人が死ぬのは悲しいことです。
まして飢えて死ぬなどということは、もっと悲しいことです。
飢えによって我が子を死なせることになったら、それが人の親なら、悔いても悔いても悔やみきれない悲しみが残ります。
そうした飢えから多くの人々を救い、子孫を増やすことができるようにしたのだとすれば、それはまさに神の行いといっても過言ではないかもしれません。
そしてそれを行ったのは、間違いなくかつての日本でした。
くりかえしますが、そのことを私達が「誇る」必要はありません。
世界にそうした小麦が普及拡大した背景には、日本以外の多くの国の良心と協力と努力がそこにあったからです。
それに、そうした偉業を成し遂げたのは、私達自身ではない。
私達はそうした先人達の努力に学び、見倣って未来を担う役割が課せられているだけです。
せっかくここまで書いたので、もうひとつ書いておきたいと思います。
エデンの園のことです。
エデンの園というのは、西洋ではまさに神の楽園といえる園で、大昔に存在した、食べ物が豊富で緑豊かな楽園とされている場所です。
いろいろな研究の結果、そのエデンは、いまは砂漠となっているサウジアラビアの大地の中央部であったろうとされています。
ミトコンドリアDNAの研究などによると、人類はいまから15万年くらい前にアフリカ中央部で誕生し、5万年ほどまえに、その中央サウジあたりに住み着いた。
そこはまさに緑の大地で、森には鳥が舞い、果実が実り、小動物がたくさんいて、人類は平和で幸せな日々を送っていたのだそうです。
これまたいろいろな研究で、当時のエデンにいた人口は150人ほどだったのだそうです。
そこで人類は、火を使うことを覚えます。
肉も野菜も、火を使えば柔らかく食べやすく、美味しくなり、しかも雑菌が死に食中毒も起こりにくくなります。
火を使うのは主に女性たちだったことでしょう。
食事を作るのに火を使うからです。
けれど火を使うためには、森の木々を燃やさなければなりません。
燃やすのは一瞬ですが、木が育つには何十年、何百年とかかります。
つまり、燃やせば、木々はなくなってしまう。
木は、果実と小動物、そして水を育みます。
木がなくなると、森が消え、そこが砂漠化していきます。
森がなくなれば、小動物たちはいなくなり、木の実も採れなくなり、水もなくなる。
そこで新たな森を求めて、人類は再び移住が始まったようです。
これがアダムとイブの神話で、イブが食べたリンゴというのは、実は「火=赤=リンゴ」の象徴で、人々が食べるために火を使い、そのため木が燃やされ、森がなくなり、人々はエデンを捨ててどこか他の地に移住せざるを得なくなった。
エディエンの住民たちのうち、ある者たちは北へと向かい、ヨーロッパに住み着きます。
アングロサクソン族です。
一説によれば、そこはネアンデルタールのような猿人たちの生息地で、2メートルを超す体の大きな猿人族たちと、現世人類族は長い間テリトリー争いを続け、結局現世人類族がその地を確保した。
戦うことを至上課題とした西洋族は、武器を持ち、体も戦うことに便利なように肺が大きくなり、胸が厚くなり、筋肉が進化した。
一方、争いを好まなかった者たちは、猿人族のいない東へと長い旅を続けます。
そして水のきれいなバイカル湖のほとりに住み着いた。
モンゴロイド族です。
モンゴロイド族は、武器を持って戦うことよりも、自然と調和し、自然とともに生きる道を選んだ。
ところがいまから3万年ほど前、地球気温が急速に寒冷化します。
このことも、地球気温の変化の記録から明らかになっている。
おかげでバイカル湖のあたりはものすごく寒い地となってしまいます。
この寒さでは、食料がない。
やむなく、モンゴロイド種たちは、四方に分散します。
当時の地球気温は、地質学の進歩で、年間平均で7度近くも下がったことがわかっています。
このため南極、北極の氷が増え海面がいまから140メートルも下がった。
このためユーラシア大陸と北米大陸は陸続きとなり、ある者たちはそのまま北米に住み着き、アメリカインデアンとなり、もっと南下して南米まで至った者たちは、インディオとなりインカ文明を築きます。
一方、ユーラシア大陸で太平洋を南下した者たちは、樺太、北海道、本州、四国、九州が陸続きだったことから、日本に住み着いた。
そして日本人の祖先となります。
これがいまから3万年前のことです。
という話は、またこの次の機会に送るとして、要は、人類が「火」を使うようになったことで、これはエデンに限らず、世界中の古代遺跡のあるところ、そこはことごとく砂漠化していってしまいました。
ちなみに、いちど砂漠化した土地に、自然に緑が戻るためには最低でも五千年の歳月がかかるといわれています。
ところが、最近になって、そうして砂漠化した古くから人類が住んでいた土地に、緑が戻りつつあるのです。
何が起こっているかというと、クズの普及です。
クズというのは、感じで「葛」です。
そうです。葛根湯のクズ、大好きな葛切り(くずきり)のクズです。
葛は、根が丈夫で、荒れた土地でも生息が可能です。
日本生まれのこのクズが、世界の砂漠地帯で、いま徐々に、砂だらけの砂漠をおおいつつあります。
もちろん、日本人の指導によって、人が植えているのです。
葛は、砂漠を覆い、葉の緑が土地を潤ませます。
そして葉が落ちると、それが腐って腐葉土となる。
地面に栄養分が戻りはじめるのです。
そうして何年か経つと、その土地が蘇(よみがえ)り、そこで芋(いも)などの栽培ができるようになります。
するとますます地味が肥え、さらに灌漑によって水が引かれることによって、いままで何もないただの砂漠だった土地に、なんと何万年ぶりに緑が蘇るのです。
見ていて下さい。
10年後、50年後、100年後、1000年後、私達が学生時代に、何もない砂漠地帯と教わり、三菱パジェロがラリーで走るくらいしか使い道のなかった白い大地が、緑豊かな大地として蘇るのです。
日本を神の国だという人がいます。
日本人は神々の子孫だともいいます。
私には、ほんとうにそうなのかどうかは、わかりません。
けれどひとついえるのは、私達日本人が戦後失った日本の心というものは、実は、世界の人々が本当に待ちわびる神の心に通じる何かが、そこにあるのかもしれない。
そんな気がします。
いま「日本を取り戻そう!」という言葉が、私達の合い言葉になっています。
取り戻されたら困る、魑魅魍魎悪鬼羅刹のたぐいも、猛烈な反撃をすることでしょう。
けれど、人々にとってほんとうに幸せをもたらすものは何なのか。
わたしたちは、それをいま、取り戻せるかどうかの瀬戸際に立っている。
私はそのように思います。