以下は、平成24(2012)年11月28日にソウルで行った、元北朝鮮工作員金賢姫氏に対するインタビューの概要で、国際セミナーで公表されたもの。インタビューを行ったのは西岡力救う会会長。インタビューはすべて日本語で行われた。その要旨は、11月26日付の救う会メールニュース参照。
◆金賢姫氏ビデオメッセージ
(当日流されたビデオの内容)
◆「日本人教官30人くらい」はちょっと多いと思う
西岡 2つのことを聞かせてほしいと思います。1つ目は、1976年の金正日の工作員現地化命令。そして77年、78年に全世界で拉致が起きたのですね。
そして金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんは80年に平壌外国語大学の日本語学科の学生だった時に党に召還されたのですが、1期生だったのですね。まず全体のことについて知ってることをお話ください。
金 70年代後半から金正日が対南工作を直接担当し、指揮しました。前の工作活動を点検し成果が少ない、画期的な対策を立てなければならない。そのためには外国人を利用しなさいと、現地化教育を含めた方針が立てられたようです。
そして70年代後半に、日本人を初め、全世界から拉致が行われましたが、特に日本人が多いのです。それは地理的にも近いので拉致しやすいし、北朝鮮人が偽装するのに顔などが似ているからです。
それ以外にも、中国、東南アジア、ヨーロッパからも拉致しました。この時本格的に拉致が行われました。
西岡 金正日が74年に後継者になって、工作機関の点検をし、外国人による現地化をしなさいと命令したことを、いつ、誰に聞きましたか。
金 私が工作員になってから幹部たちからよく聞きました。私が工作員に選ばれたことも日本人化するために必要でしょう。金星政治軍事大学というのはスパイ養成所です。私はそこの情報部の1期生でした。
西岡 1期生という言葉を当時聞きましたか。
金 ええ。学校で、私たちに1期生だと言いました。情報班といいます。
西岡 同級生が8人いたのですか。
金 6人か7人、そのくらいです。1人のところもあり、2人もあった。会って
はいないのですが。
西岡 (お互いを分からなくするための)ついたてがあるんでしょう。
金 ええ。そこで勉強しました。
西岡 正確には何人か分からない。
金 ええ。
西岡 金賢姫さんと金淑姫(スッキ)さんが女性で、あとは男。
金 ええ。
西岡 残り5人か4人の男の人たちも日本人化教育を受けたんでしょうか。
金 必ずしも日本人化教育ではないと思います。あそこは情報部の工作員ですけど、日本人化だけでなく、他のものもいたようです。
西岡 でも日本から一番拉致をしているわけですから、日本人化教育を受けていた可能性もありますね。
金 後で。あそこは以南化の基本的なこと、軍事、理論などです。それから後に田口(八重子)さんに会って、1対1で(日本人化教育を受けた)。
西岡 残り5人か4人の男の人たちは。
金 どうなったか分からないです。他の人たちについては、あそこでは全部秘密になっていますから。自分のことしか分からないんです。
私は田口さんと一緒にいながら、また淑姫さんと一緒にいながら、いつも二人が一組になっていますから、(横田)めぐみさんのことは自然によく聞いたり、よく知っていました。
また、招待所を廻りながら、夫婦の日本人がいると(まかないの)おばさんたちの話を聞き、相当日本人がいるんだなと。
西岡 何人くらいいたと感じますか。
金 それは正確には分からないですね。
西岡 元作戦部の戦闘員の安明進さん。彼は金星政治軍事大学の後進の労働党中央委員会直属政治学校、後に金正日政治軍事大学になりますが、彼は直属政治学校の教官から「日本人の教官は30人くらいいる」と聞いたと言います。
金 そんなに多いかしら。ちょっと多いと思います。私がいた時は、政治学校で見たことはないんですが、後で拉致被害者たちは教官として使うと思います。日本語を教える先生が必要ですから。
◆現地化教育はずっと続けてやったと思う
西岡 金賢姫さんたちは1980年の現地化教育の1期生ですよね。何年までやったと思いますか。
金 そうですね。それはずっと続けてやったんじゃないですか。しかし、私や淑姫みたいに1対1でやったのはそんなに多くないのでは。2、3人ずつ教えるとか。他の男の工作員がいましたが、日本人夫婦から教えられたと聞きました。招待所が横にあり、そこに行って勉強しました。夫婦ですから一緒には住めなかったのです。
西岡 それは東北里(トンブクリ)の話ですか。
金 東北里ではなく、龍城(ヨンソン)とか他の招待所です。もともと組織の計画では田口さんに日本人化教育をさせて、すぐ日本に浸透させようとしていたんです。しかし、日本で事故が起こったので今は計画通りにできないと、計画が変わりました。それが中国人化です。
中国人化して中国人として浸透します。台湾を廻って日本に浸透するとか。そういう方針だったんです。
西岡 日本に入って何をする予定だったのですか。
金 それは色々あるでしょうね。情報を得るとか、日本に工作員がいますので点検するとか。
私が推測するのは北朝鮮の若い人たちが日本に行って、固定間諜と言いますが、この人たちが活発に活動しないらしいんです。ゆるんでいるらしいです。ああいう人たちを励ましたりする役割が必要という話を聞いたことがあります。
◆外国人拉致の目的は身分盗用、工作員化、教官
西岡 例えばヨーロッパ人が拉致されていますよね。フランス人とか。フランス人は朝鮮人と顔が違うでしょう。だからフランス人に化けることはできないのになぜ拉致するんですか。
金 現地化教育には外国人を拉致する目的があります。1つは、外国人の身分証明書を盗用すること、2番目は、外国人を金日成思想で洗脳教育させ、北朝鮮の工作員にして現地に浸透させること、3番目は教官として使うこと、です。
西岡 そうするとフランス人などは、最初はその人を洗脳して教官にして使おうと思った。
金 そう思います。その話は聞きました。80年代に幹部たち、課長と思いますが、招待所に出てきて私たちに話している途中に、「外国人を使おうと教育して出した。出してみるとだめだった。出すやいなや裏切ってしまった。はやり外国人は信頼できない。仕方がない。北朝鮮の若い人たちや若い工作員に教育する方法しかない」という話を聞きました。それで、最初はあの人たちも使おうと思っていたんだな、と。
西岡 横田めぐみさんは13歳で拉致されたんですが、子どもの方が洗脳しやすいからと、子どもを意図的に拉致した可能性はありますか。
金 その可能性もありますよね。私の考えでは、最初は対南工作必要な人たちを選んで、狙って、誘惑して拉致したらしいですけど、後にどんどん競争的になり、無差別に拉致したんじゃないかと思います。めぐみさんは子どもだから拉致されたと思います。拉致したらさっきの3つに利用されるんです。
元々工作員はそうですよね。韓国人(被害者)も同じなんですが、浸透していて自分の正体が発見されると危ないと思ったら、殺したり、連れていったりします。また拉致して連れていく時、工作員として使う道がないと思ったらそのまま海に捨てるとか。そういうことも聞きました。
対南工作では人権なんか構わないんですから、敵だと思って。蛮行です。もともと南出身の人、南に親戚や友だちがいる人たちを使いましたが、それがどんどんなくなるし、また歳取っていくでしょう。
◆KAL機事件が成功していたら韓国は大打撃に
西岡 それで、ある意味1期生ですね。若い北朝鮮人で、南に関係がない人を選んで、現地化して。
金 私は84年に、金勝一(スンイル、1987年に共にKAL機爆破事件を起こす)と(海外に)出かけましたが、金勝一はもう歳をとっていますので、ここに組織があると、私は若いから交代させるという意味もあったと思います。私があの方を助けながら、次は私が代わりに何かするという。海外実習をしました。
87年のKAL機(機爆破事件)は、それとは別に(ソウル)オリンピックを邪魔することが主な課題でした。前に二人一組で出かけたことがありますから、また日本人になりすますためには、二人がよく似合うから選ばれて、(乗客を)殺しましたけど。
西岡 あの時もし、金さんが逃げるのに成功していたり、あるいは自殺に成功していたら韓国では大きな反日デモが起きましたよ。
金 もしKAL機事件が成功していたら、韓国もものすごく大きい打撃を受けたと思います。当時は誰がしたか分からないんですから。日本人になりすました2人はいるけれど、正確に確かめるものはないし。日本が疑われるし、韓国では反日デモも起きるし、全斗煥政府や安企部は自作自演だと疑われるし、オリンピックがどうなったか分からないですね。
そういう雰囲気では日本もオリンピックに参加できないでしょう。また反日で関係が悪くなっていたと思います。でも歳月が過ぎたら、成功した工作はありませんから、北朝鮮がやったんじゃないかと推測するでしょう。
西岡 その後韓国の取調べを受けられて、最初は北朝鮮人だと言わないで、日本人だとか中国人だとかおっしゃってたわけでしょう。当然死刑ですよね。115人を殺したのですから。なぜ自白するつもりになったんですか。
金 バーレーンでは最初日本人だと言ったけど、でも偽のパスポートだとばれてしまったから日本人はやめて中国人になりすましました。もし、中国に送られたら中国と北朝鮮は親しいから私を助けてくれるんじゃないかと思って。
しかし結局韓国に来ました。韓国に来ても外国語を話しながら、北朝鮮人じゃないと言いましたけど、ここで色々なことを聞いてみて、私がやったKAL機事件が祖国統一を助ける仕事じゃなくて、同族を惨殺する蛮行だと聞いていました。また、韓国は北朝鮮で聞いていたようなそんな悪い社会ではなく、北朝鮮よりももっと発展して、(物が)豊富で自由で、こんな住みよいところなので、嘘の教育をされたと段々悟りました。ちょっと家族のために悩みましたけど。
西岡 収容所に入れられるかもしれませんよね。
金 遺族に私が最後にやることは、真実を明らかにしてあげることだと思いました。
◆金賢姫証言の2か月後に日本政府も拉致を認めた
西岡 日本政府が、最初に日本人が拉致されていることを国会で明らかにしたのは1988年3月でした。金さんの記者会見の2か月後です。それがなかったら、蓮池さんたちもまだ帰ってこれてないと思います。
金 そうですね。2002年に小泉総理が北朝鮮に言って、金正日に会いましたよね。拉致を認めてなかったけどそれを認めたことが大きな発展だと思います。もちろん北朝鮮側がお金を狙っていたことはありますが。しかし、返すと困るので死亡だと言った。5人は帰ってきましたよね。
西岡 それは本当に金さんのおかげだと感謝しています。
金 当り前のことです。私も田口さんと一緒に生活しながら彼女の苦痛、悩み、それをよく知っていますからね。一生懸命私に教えてくれて。私の日本語の先生でしたから。
西岡 そしてもう一つ感謝しなければならないのは、私たちは家族会を作って、そして救う会を作ったのは1997年なんです。それはめぐみさんの拉致が明らかになった年です。
金 それが私は一番謝りたい。ご両親にも言いましたけど。私は知っていましたけど、当時は拉致に関心がなかったんです。そして田口さんを探すのも本当に時間がかかりました。
めぐみさんは名前も知らないし。そして金淑姫に誘われて、秘かに自由主義して会ったんですから。淑姫やめぐみさんが処罰されるかもしれないので、あれは忘れてしまったんです。言わないと心の中で思って。
ところが97年からニュースに出たりしました。ああ、私が知っている人だな、と。何か言いたいし、明らかにしたかったけど、機会がなかったんです。韓国は左派政権になって私はいじめられ。
西岡 私たちは97年からですが、金さんが本を出したのは91年でしたね。その後の6年間、私たちが探さなければいけないのに、田口さんを探す先頭に立っていただいたことも感謝しています。
「田口八重子さんが金正日の秘密パーティに言ったと聞いた」、「そこに日本人の夫婦もいたと聞いた」と本にありますが。
金 ええ、書きましたが、正確には分からないんです。その時は(田口さんが)酔ってうっかりして言った。後で聞いたこともなかったし。
◆金正日の秘密と工作機関を知っている人は返せない
西岡 でも一番の秘密で、そういうことを言っちゃいけないんでしょう。
金 後で聞いたことはありません。
西岡 私は、田口さんが帰ってこない理由の一つは、金正日のプライベートな生活を知っているからですね。
金 北朝鮮ではあれが一番重要なことです。第1の秘密ですから。
西岡 第2が工作ですか。
金 工作です。
西岡 金正日の秘密を知っている人はなかなか帰せないですね。
金 今は金正日は死にました。だからちょっと余裕があるんじゃないかと思います。
西岡 私たちもそう思って希望を持っています。金正恩が拉致を命令したわけではないし。
金 責任感が違いますよね。
◆フランス人拉致被害者の写真を見た
西岡 それからフランス人のことについて聞きたいんですが、本の中で、「フランス人がいるという話を聞いた」と。
金 話も聞きましたし、写真も見ました。
西岡 それは初めてですね。いつ、どこで。
金 私が東北里2号特閣招待所に泊まっていた時、まかないのおばさんが、フランス人の女性が前に泊まっていた、と。最初北朝鮮に来た時には、男の工作員に誘われて恋愛するみたいになって来ましたが、突然その男が消えて、幹部たちが来た時、「その男を出しなさい」と抗議した時なぐられたこともあると。涙をポロポロ流しながら泣いたりしたと言いながら、写真を見せてくれました。
西岡 おばさんたちが写真を持ってるんですか。
金 最初来た時か名節の時か、記念写真を撮ったことがあるそうです。私たちも4月15日の名節の日(金日成誕生日)には撮ってくれます。そうでない時は写真を撮る機会はないです。
西岡 カラー写真ですか。
金 そうです。目が青く、とても美人で。
西岡 小さな証明書のような写真。大きな写真。
金 普通の写真です。
西岡 その話を聞いたのはいつですか。
金 84年だと思います。金勝一と泊まっていた時に聞きました。
西岡 中国人の孔さんのことはもう確実ですよね。
金 孔さんとは84年、めぐみさんに会う前に中国語を教えてもらいました。本人は言わなくても、まかないのおばさんや指導員から聞きました。あの人はマカオから来た、弟がいる、最初来たばかりの時はインドネシア大使館に逃げて行き、連れてきてひどい目にあった、という話を聞きました。
心の中では、自分から来たんじゃなく、強制的に連れてきたんじゃないかなあという疑いがありました。私たちを教える前に、女性3人に中国語を教えたと言っていました。
中国語を教えると、すぐ中国に送るんです。実習しやすいですから。日本は直接行けないから困るんですが、中国に送れば現地化ができます。私がマカオから帰ったらもうみんな結婚していました。
めぐみさんも南朝鮮の人と結婚して娘を産んだという話も聞きました。近いところにいたから、淑姫さんがめぐみさんのところに遊びに行ったんです。その時は招待所ではなく、新婚生活をするようなところだった。納豆プッチム(朝鮮式お好み焼)料理も作ってくれたと。
孔さんのところには一度自由主義をして行きました。淑姫と二人で。結婚してだんなさんもいました。
西岡 どこにいたんですか。
金 龍城(ヨンソン)招待所です。
西岡 子どもは。
金 子どもはいなかった。
西岡 最後に家族会、日本へのメッセージをお願いします。
◆家族へのメッセージ
金 70年代後半から今まで、本当に長い歳月が過ぎました。被害者家族と日本国民が今まで力を合わせて一生懸命闘争してきましたけど、大きな成果がなくてちょっと疲れていると思います。
でも最近北朝鮮では、政権も代わりましたし、また拉致問題を再調査するという話も出ていますから、希望を絶対に失わないでください。
そして北朝鮮も、被害者家族の歳が段々高くなって、いつまでも待ち続けることができないことを分かってほしいんです。
家族のみなさんはいくら辛くても、彼らが帰ってくる日まで、最後まで希望のひもを放さないでください。ありがとうございます。
西岡 解説することはほとんどありませんが、めぐみさんも最初は洗脳して工作員にするために拉致されたのかも知れなかったということですが、これは李英秀さんの話と同じです。
拉致の目的は教官と身分の盗用だけではなく、洗脳して(工作員として)使おうとしたことがあったということが二人の証言から明らかになったと思います。
様々な新しいこともありましたが、これらのことも踏まえ、第2部でどう救出
するかについて話をしたいと思います。
(つづく)
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■野田首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi
葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 野田佳彦殿
■救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆