ベールを脱いだ「オール国産化計画」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





偵察・観測用小型ヘリ


草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員一層奮励努力。 








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陸上自衛隊の偵察・観測用ヘリコプター





「今度はヘリが問題になるぞ…」

 1990年、米国の国防省内では、そんな噂がささやかれ始めていた。「今度」とは、モメにモメて決まった次期支援戦闘機(FSX)の次の問題という意味だ。

 日本はF1支援戦闘機の後継機について、国内開発を前提に研究を進めていたが、最終的には米国のF16戦闘機をベースに共同開発する結果に落ち着いたことはよく知られている通りだ。

 しかし、この問題の傍らで、もう1つ航空機をめぐる日米間の火種がくすぶり始めていたことは、あまり知られていない。

 そのころ、日本では偵察・観測用の小型ヘリOH6の後継機の、エンジンも含めたオール国産化を目指し研究開発が進められていたのだ。実現すれば日本初の国産ヘリとなる。当然、米国側としては、FSX同様、OHX(次期小型偵察・観測ヘリ)も日本の自主開発を許さず、共同開発に持ち込むもくろみを持っていた。

 日の丸戦闘機の開発に対する、米国の厳しい干渉を目の当たりにした関係者にとっては「同じ轍を踏むまい」という思いが高まっていたのだ。そして、FSXの雪辱を果たすためにも、何としても国産ヘリを誕生させたいという思いは、ますます熱く燃えていた。

 そのためには、とにかく目立たないように事を進める必要があった。幸い、米国のこだわりも世の中の目もFSXに向けられている。このタイミングに研究のスピードを上げておくことが肝要だった。その水面下での努力は、各企業そして関係者の猛烈な情熱によって、静かにそして確実に推し進められていたのだ。

 一方、当時の米国は、厳しい財政事情からなかなか立ち直れず、軍需産業は一層の苦境に立たされていた。マクドネル・ダグラス社やシコルスキー社といったヘリ製造大手でも数百人~2000人近い規模の解雇が行われており、米国側としては日本の新ヘリ導入は魅力的な事業だった。日本国内の動きに敏感に反応し、独自開発に神経をとがらせるのは当然のことだったのだ。

 米通商代表部が発表した90年の貿易障壁年次報告の中にも、日本政府が推進しているとして「OHX」と列記されている。

 こうした事情からも、OHXの事業はベールに包まれていた。正式に計画が公表されるのは92年だった。やっと公にプロジェクトは走り始める。主契約社は川崎重工。同社はOH6をライセンス国産してきた経験を持っていた。そして同機エンジンのライセンス国産をしていた三菱重工、さらに富士重工が協力会社に決まる。まさにオールジャパンでの取り組みとなった。

 ■桜林美佐(さくらばやし・みさ) 1970年、東京都生まれ。日本大学芸術学部卒。フリーアナウンサー、ディレクターとしてテレビ番組を制作後、ジャーナリストに。防衛・安全保障問題を取材・執筆。著書に「誰も語らなかった防衛産業」(並木書房)、「日本に自衛隊がいてよかった」(産経新聞出版)など。