夕刻の備忘録 様のブログより。
経済危機であり、領土の危機である今、財政規律がどうの、道州制がどうの、地方自治がどうの、財源の移譲がどうの、とうるさい連中には、道州制は「四国だけ」の問題であることを知らしめてやればいい。
北海「道」に、九「州」。そして本「州」。
道でも州でもないのは、四国だけである。
これは冗談でも語呂合わせでもなんでもない。関東や中京、関西などという括りでは、国家に近い形態を持つ「州」を唱えるには小さ過ぎる。日本の規模ではこうした四分割、精々本州をさらに東西の二つに分ける五分割が限界である。従って、道州制なるものは、単に「四国だけの問題」であり、これを実現したい個人は、先ず四国の首長に立候補するべきである。それを大阪で何を遊んでいるのか。関西広域連合程度の区切では、州に足る要件を満たしていないのである。
そもそも連中は「二重行政のムダ」を主張して、この珍妙な枠組をゴリ押ししているのであるが、それは国家内に国家を作ろうとする「二重国家」の推進に他ならず、まさに自らの主張に反する。「二重のムダ」を県レベルに留めるか、それを国家規模まで拡げるかという話になる。
要するに、この種の手合いは「より大きな枠組での独裁的権力」を欲しているに過ぎない。地方のムダは地方のみで解決可能である。解決する責務を持つのが自治体の長の仕事である。それを国の責任に転嫁して、「国家の枠組を変えなければ無理だ」とまで飛躍するのは、他者攻撃でしか自己を規定することが出来ない「ある種の病気」である。
★ ★ ★ ★ ★
我が国の「只今の最重要課題」は、被災地域の復旧復興である。日本国民の命が、日々の生活が掛かっている最重要問題であり、これに対する真摯な取り組みなくして国政に関わる資格は無い。「ムダ論者」にはこれがない。
あの日以来、募金もした、ボランティアにも出掛けた。関連するイベントや、地域産品の積極的購入による間接的な支援にも参加した。そうして何とか被災地の明日のために役立とうと志した人が多く居る。しかし、如何にその志が崇高であり、他に波及するものであっても、それはあくまでも補助的なものに過ぎない。
ここは個人でもない、NPOでもない、地域行政でもない、まさに国家の出番である。国家がその意志として、復旧復興対策に全力で当たらねば、個人の精一杯の努力もその効果が著しく減殺されてしまう。このことを本当に理解している政党だけが、「国民政党」を名乗るに相応しい。各地方、各地域の小さな声まで吸い上げることが可能な細かいネットワークを持ち、それを有効に機能させる本部を持っている政党だけが、有事に対応することが出来るのである。
民主党には党綱領が無い。各種団体から推薦された候補の世話をするだけの「選挙互助会」であることは、多くの人が繰り返し指摘してきた。加えて、彼等は結党以来、こうした地域ネットワークの育成にすら尽力してこなかった。彼等が頼りにしているのは、各候補の後ろ盾になっている各々の団体のそれであり、党としての「一元化された情報ネットワーク」ではない。
こうしたネットワークは一朝一夕には作れない。それを作る気もなく、既存の枠組を育てる気もなかった民主党が現状のように零落れ果てるのは、理の当然であり、そこに何の不思議もない。彼等には党綱領が無いだけではなく、国家も、国民も存在せず、あるのは偏に「支持母体の利益」だけなのである。彼等が官僚批判に熱心なのは、官僚組織の中核を支持母体としないから、ただそれだけの理由である。
今必要なものは何か、被災地の復旧復興対策に何が必要か、何が求められているかを調べ尽くし、それが如何にして実現可能か、あらゆる国内の知恵と技を注ぎ込んで、どれほど短期に効率的に実現出来るかを判断し得る政党であり、その政党を軸とする強力な政府である。
今必要なものは、財政規律や官僚支配の打破や、ましてや有害無益な「道州制の推進」などではない。それを主張する政党は、「それしか主張出来ない政党であること」を自ら明らかにしているだけだ。最も重要な問題を解決する意志も、仕組も持ち合わせていないから、そうした「平時の問題」に逃げ込んで、有事問題に頬被りをしているのだ。
★ ★ ★ ★ ★
仮設住宅から次のステップに進むことすら叶わない多くの人達を置き去りにしたままで、何故「単式簿記がどうの、大阪都がどうの」などという寝言を国政にまで持ち込もうとするのか。国の在り方を変えるのは、国が元通りになってからだ。
病人の前で執拗にダイエットを説き、付添人の前で患者の日頃の生活を詰り、それを理解しない限り、「見捨てるぞ」「見捨てられて当然だぞ」というヤクザの恫喝を、平然と繰り返す政党、党首に何故票を投じようとするのか。「まともに坂すら登れない隣国の車が売れている」などと、世界中の誰もが驚くデタラメ演説までして、日本の技術を侮辱する「嘘吐き市長」の評価は、あの「トップ・ギア」の名物司会者ジェレミーにでもしてもらおう。
嘘を吐かない、出来ることしか言わない人は、何事にも慎重であり、その風采は冴えないものである。嘘でいい、出来ても出来なくてもそれは運次第と開き直る博打打ちは、時に魅力的に見えもする。自覚的に嘘をいい、出来ないことを知りながらそれを隠して事を進める詐欺師、ペテン師達は、常に大袈裟な身振りで「敵」を糾弾する。その姿に「やる気」や「潔さ」を感じ、「信頼」すら感じる人が居る。詐欺師、ペテン師が世の中から消えない所以である。
しかし、同じ詐欺師に、同じ手口で連続して騙されることは愚かである。愚かの極みである。姿も同じ、顔も同じだが名札だけが異なっている。昨日言ったことと、今日言ったことが正反対でも、同じ姿で、同じ顔で平気な風を気取っている。それが大手を振って歩いている。要するに、大衆の純朴は「詐欺師の厚顔無恥」には勝てないのである。
我々有権者は、この種の詐欺師を根絶やしにし、二度と同じ顔で目の前に現れないように、「甘い世の中」を「厳しい世の中」に変えていかねばならない。世の中が厳しいのは正直者にとってだけで、詐欺師連中にとっては、今ほど甘い世の中はないのである。
「大阪発、東京補完による嘘吐き政党」に、比例票が集まることを心の底から恐れる。震災復興に何の興味も示さず、日々その発言内容を変え、遵法精神すら無く、大衆煽動のみによって、地位を得ようとする「掃きだめ集団」。東京で、横浜で、宮崎で、そして大阪で失敗を繰り返して「厳しく批判」されてきた輩が、経歴ロンダリングの末にそれを「名声」にすり替え、国政での地位を得ようとしている。党幹部に従順であり、その振り付けに全面的に従う旨の念書を提出した素人達が、立会演説での討論も出来ず、街頭演説すら出来ない素人達が、国の根幹に侵入しようとしている。
それを葬ることが出来るのは、今だけである。我々有権者の判断だけである。嘘吐きを葬り、傷付いた国土を、国民の心を慰撫して、再起に向けて共に汗を掻き、血を流すことすら厭わない本物の政治家、本物の政党を選ばねばならない。偽物を排除するだけで、日本は美しく強い国に変貌する。我々有権者は、「嘘を見抜くこと」にのみ集中すればいいのだ。口八丁手八丁で他人を利用することだけ繰り返し、「他人の幸せを願ったことの無い人間」を、絶対に国政に出してはいけない。
北海「道」に、九「州」。そして本「州」。
道でも州でもないのは、四国だけである。
これは冗談でも語呂合わせでもなんでもない。関東や中京、関西などという括りでは、国家に近い形態を持つ「州」を唱えるには小さ過ぎる。日本の規模ではこうした四分割、精々本州をさらに東西の二つに分ける五分割が限界である。従って、道州制なるものは、単に「四国だけの問題」であり、これを実現したい個人は、先ず四国の首長に立候補するべきである。それを大阪で何を遊んでいるのか。関西広域連合程度の区切では、州に足る要件を満たしていないのである。
そもそも連中は「二重行政のムダ」を主張して、この珍妙な枠組をゴリ押ししているのであるが、それは国家内に国家を作ろうとする「二重国家」の推進に他ならず、まさに自らの主張に反する。「二重のムダ」を県レベルに留めるか、それを国家規模まで拡げるかという話になる。
要するに、この種の手合いは「より大きな枠組での独裁的権力」を欲しているに過ぎない。地方のムダは地方のみで解決可能である。解決する責務を持つのが自治体の長の仕事である。それを国の責任に転嫁して、「国家の枠組を変えなければ無理だ」とまで飛躍するのは、他者攻撃でしか自己を規定することが出来ない「ある種の病気」である。
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我が国の「只今の最重要課題」は、被災地域の復旧復興である。日本国民の命が、日々の生活が掛かっている最重要問題であり、これに対する真摯な取り組みなくして国政に関わる資格は無い。「ムダ論者」にはこれがない。
あの日以来、募金もした、ボランティアにも出掛けた。関連するイベントや、地域産品の積極的購入による間接的な支援にも参加した。そうして何とか被災地の明日のために役立とうと志した人が多く居る。しかし、如何にその志が崇高であり、他に波及するものであっても、それはあくまでも補助的なものに過ぎない。
ここは個人でもない、NPOでもない、地域行政でもない、まさに国家の出番である。国家がその意志として、復旧復興対策に全力で当たらねば、個人の精一杯の努力もその効果が著しく減殺されてしまう。このことを本当に理解している政党だけが、「国民政党」を名乗るに相応しい。各地方、各地域の小さな声まで吸い上げることが可能な細かいネットワークを持ち、それを有効に機能させる本部を持っている政党だけが、有事に対応することが出来るのである。
民主党には党綱領が無い。各種団体から推薦された候補の世話をするだけの「選挙互助会」であることは、多くの人が繰り返し指摘してきた。加えて、彼等は結党以来、こうした地域ネットワークの育成にすら尽力してこなかった。彼等が頼りにしているのは、各候補の後ろ盾になっている各々の団体のそれであり、党としての「一元化された情報ネットワーク」ではない。
こうしたネットワークは一朝一夕には作れない。それを作る気もなく、既存の枠組を育てる気もなかった民主党が現状のように零落れ果てるのは、理の当然であり、そこに何の不思議もない。彼等には党綱領が無いだけではなく、国家も、国民も存在せず、あるのは偏に「支持母体の利益」だけなのである。彼等が官僚批判に熱心なのは、官僚組織の中核を支持母体としないから、ただそれだけの理由である。
今必要なものは何か、被災地の復旧復興対策に何が必要か、何が求められているかを調べ尽くし、それが如何にして実現可能か、あらゆる国内の知恵と技を注ぎ込んで、どれほど短期に効率的に実現出来るかを判断し得る政党であり、その政党を軸とする強力な政府である。
今必要なものは、財政規律や官僚支配の打破や、ましてや有害無益な「道州制の推進」などではない。それを主張する政党は、「それしか主張出来ない政党であること」を自ら明らかにしているだけだ。最も重要な問題を解決する意志も、仕組も持ち合わせていないから、そうした「平時の問題」に逃げ込んで、有事問題に頬被りをしているのだ。
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仮設住宅から次のステップに進むことすら叶わない多くの人達を置き去りにしたままで、何故「単式簿記がどうの、大阪都がどうの」などという寝言を国政にまで持ち込もうとするのか。国の在り方を変えるのは、国が元通りになってからだ。
病人の前で執拗にダイエットを説き、付添人の前で患者の日頃の生活を詰り、それを理解しない限り、「見捨てるぞ」「見捨てられて当然だぞ」というヤクザの恫喝を、平然と繰り返す政党、党首に何故票を投じようとするのか。「まともに坂すら登れない隣国の車が売れている」などと、世界中の誰もが驚くデタラメ演説までして、日本の技術を侮辱する「嘘吐き市長」の評価は、あの「トップ・ギア」の名物司会者ジェレミーにでもしてもらおう。
嘘を吐かない、出来ることしか言わない人は、何事にも慎重であり、その風采は冴えないものである。嘘でいい、出来ても出来なくてもそれは運次第と開き直る博打打ちは、時に魅力的に見えもする。自覚的に嘘をいい、出来ないことを知りながらそれを隠して事を進める詐欺師、ペテン師達は、常に大袈裟な身振りで「敵」を糾弾する。その姿に「やる気」や「潔さ」を感じ、「信頼」すら感じる人が居る。詐欺師、ペテン師が世の中から消えない所以である。
しかし、同じ詐欺師に、同じ手口で連続して騙されることは愚かである。愚かの極みである。姿も同じ、顔も同じだが名札だけが異なっている。昨日言ったことと、今日言ったことが正反対でも、同じ姿で、同じ顔で平気な風を気取っている。それが大手を振って歩いている。要するに、大衆の純朴は「詐欺師の厚顔無恥」には勝てないのである。
我々有権者は、この種の詐欺師を根絶やしにし、二度と同じ顔で目の前に現れないように、「甘い世の中」を「厳しい世の中」に変えていかねばならない。世の中が厳しいのは正直者にとってだけで、詐欺師連中にとっては、今ほど甘い世の中はないのである。
「大阪発、東京補完による嘘吐き政党」に、比例票が集まることを心の底から恐れる。震災復興に何の興味も示さず、日々その発言内容を変え、遵法精神すら無く、大衆煽動のみによって、地位を得ようとする「掃きだめ集団」。東京で、横浜で、宮崎で、そして大阪で失敗を繰り返して「厳しく批判」されてきた輩が、経歴ロンダリングの末にそれを「名声」にすり替え、国政での地位を得ようとしている。党幹部に従順であり、その振り付けに全面的に従う旨の念書を提出した素人達が、立会演説での討論も出来ず、街頭演説すら出来ない素人達が、国の根幹に侵入しようとしている。
それを葬ることが出来るのは、今だけである。我々有権者の判断だけである。嘘吐きを葬り、傷付いた国土を、国民の心を慰撫して、再起に向けて共に汗を掻き、血を流すことすら厭わない本物の政治家、本物の政党を選ばねばならない。偽物を排除するだけで、日本は美しく強い国に変貌する。我々有権者は、「嘘を見抜くこと」にのみ集中すればいいのだ。口八丁手八丁で他人を利用することだけ繰り返し、「他人の幸せを願ったことの無い人間」を、絶対に国政に出してはいけない。