国家観喪失と反原発・脱原発。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【解答乱麻】元高校校長・一止羊大




わが国の反原発・脱原発の動きに、私は、次のような理由から強い懸念を抱いている。

 一、原発は、エネルギー政策の根幹に関わるものであり、わが国の浮沈を左右する根本問題だ。太陽光などを利用した代替エネルギーの道があるとはいえ、原発に代わるほどの経済性や効率性は今のところ確認されていない。原発に頼らぬエネルギーの方途を探るのは良いとしても、反原発・脱原発の主張は初めに結論ありきの感情論であり、問題の本質から目を背けるものだと言わざるを得ない。

 二、日本が原発から手を引けば、大きなリスクを抱え込むことになるのは必定だ。原発に関する優れた日本の技術や技術者が日本を敵視する国にも流出しかねない。電力不足やコスト高で国民生活が圧迫され、多くの企業が日本を去り、科学的知見の積み上げも止まり、国力が衰退して、日本は国際社会から落ち零(こぼ)れてしまうだろう。石油や天然ガスなどによる発電が増えれば、地球温暖化に悪影響を与えることも明らかだ。

 三、危険だから原発をやめようと言うのは、たとえば、危険だから飛行機を世の中から無くそうと言うのにどこか似ている。文明に対する後ろ向きの姿勢だ。原発に限らず、文明の利器には多かれ少なかれ危険がつきものだ。人類は、その危険を軽減克服するために弛(たゆ)まず技術を革新し、利便性を高めてきたのである。危ないからやめるというのでは、利便性の向上は望めない。文明の発達も行き詰まる。

四、有用性がある限り原発が無くなることはない。たとえば、何かにつけて倫理性が問題となる中国でもすでに十数基の原発が稼働している。近い将来二百数十基に増設する計画で、現在二十数基を建造中だという。日本が原発をやめても、かの国で事故が起きれば、日本が安全だという保証はどこにもない。高い技術力と真摯(しんし)な国民性を生かして安全な原発を造ることこそ、わが国の使命ではないか。

 五、原発の技術は、核爆弾製造の技術と密接に繋(つな)がっているという。ならば、反原発・脱原発への移行は、核爆弾製造の技術からも遠ざかることを意味している。世界情勢の厳しい現実を考えれば、いつでも核爆弾を造る能力を備えているぞとの姿勢を示すだけでも防衛上の強い発信力になるはずだ。反原発・脱原発の道を行けば、日本はこの大切な発信力を失い、国力を削(そ)がれるのは目に見えている。

 要するに、反原発・脱原発の動きには、国益や文明への貢献などの観点がすっぽりと抜け落ちているのだ。ここでも、戦後の自虐教育の禍(わざわい)が深い影を落としていることが窺(うかが)える。まともな国家観を持たない政治家たちは、選挙のことばかりに執着し、民意という名の感傷的な国民意識に迎合して、原発の必要性を堂々と説くこともできない。

民主党政府は、具体的な裏づけも見通しも示さず、2030年代に原発ゼロを目指すと言う。世論調査の結果を盾にして、「国民の覚悟に応える」などと綺麗(きれい)なことを言っているが、これは、政府の責任放棄でしかない。

 自虐的戦後教育の禍から早く脱却し、国益や文明の発達に適(かな)う国家観と国民意思を再構築しなければ、わが国の未来は危うい。公教育が果たすべき役割は、極めて重い。





一止羊大

 いちとめ・よしひろ(ペンネーム) 大阪府の公立高校長など歴任。著書に『学校の先生が国を滅ぼす』など。