三種の神器 古墳誕生とともに統一。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







【古事記のうんちく】(9)


草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員一層奮励努力。 


1700年前の輝きを放つヒスイの勾玉(左手前)。三種の神器がセットで見つかった =9月、新潟県胎内市の城の山古墳(荻窪佳撮影)



鏡、剣、玉という皇位の象徴たる「三種の神器」。これと同じ3点セットが今年9月、新潟県胎内(たいない)市の城(じょう)の山古墳(4世紀前半)で発掘された。当時の都である大和(奈良県)から500キロも離れた遠方の地に、神器の権威が及んでいたことが浮かび上がった。

 神話のクライマックス「天孫降臨」は、三種の神器の意義を高らかに唱える。「この鏡はひたすら私の御魂(みたま)としてお祭りしなさい」。天上の神、天照大御神(あまてらすおおみかみ)は、地上世界を治めるために天降(あまくだ)る孫のニニギノミコトにこう告げた。鏡とともに、かつて天照大御神を天の岩屋戸から引き出す際に用いられた八尺(やさか)の勾玉(まがたま)、スサノオノミコトがヤマタノオロチ退治で手に入れた草薙(くさなぎ)の剣も託された。

 三種の神器とひとくくりにされがちだが、考古学的に見ると「出自」はまちまちなようだ。鏡は中国、勾玉は縄文時代に日本独自に誕生し、お守りのような役目があった。剣は中国や朝鮮半島の影響が強く、弥生時代に近畿などで発達したとされる。

大阪大の福永伸哉教授(考古学)は「出現時期や地域が異なる3種類をセットで墓に納めるという、共通の葬送儀礼が古墳時代の幕開けとともにできあがった」と指摘。このときからヤマト王権のシンボルとなり、城の山古墳のある新潟まで瞬く間に伝わった。

 歴代天皇が受け継いできた三種の神器のルーツは古墳誕生とともにあった-と結論づけたくなるが、5世紀になると古墳の副葬品は甲冑(かっちゅう)や馬具が加わり、絶対的な地位が揺らいだ。考古学と神話。合致するようで微妙に異なるところが、歴史の奥深さなのかもしれない。

                            (編集委員 小畑三秋)