【写真劇場】ガダルカナル島
西太平洋ソロモン諸島最大の島、ガダルカナル島。遠い、遠い南の果ての戦場。第二次世界大戦中、日本軍と米軍が総力を投入して死闘を展開した。
航空機が滑走路に着陸した。暗い雲。湿気と熱気。空港前に立つ。驚いた。日本軍の野戦高射砲が空をにらんでいるではないか。砲身。「大阪陸軍造兵廠 昭和十六年製」の刻印があった。
タサファロング。日本軍の上陸・補給地点。駆逐艦隊に守られた輸送船団が派遣されたが、米軍機の猛烈な空襲を受け、次々に沈没していった。人気のない海岸。浅瀬に乗り上げた輸送船「鬼怒川丸」が無残な姿をさらしている。
紺碧(こんぺき)の海は、「鉄底海峡」と呼ばれる。日米両軍の艦隊が激突。海の底は、軍艦の墓場と化した。船で洋上を走った。船上で「海行かば」を歌う。赤い鮮やかな花を手向けた。花はいつまでも沈むことなく、駆逐艦の沈没地点に流れていった。
≪「餓島」 まさに地獄の戦場なり≫
テテレ海岸。米軍の上陸地点だ。青い空に枝を伸ばす巨木の下。米軍の水陸両用装軌車が野ざらしとなっている。生々しい。70年の歳月を経て、赤さびた車内から樹木が突きだす。ガダルカナル島が戦場だったことをまざまざと思い起こす。
1942年8月。日本軍の一木支隊は900人の兵力で米軍陣地に突撃した。機関銃の一斉掃射を浴びて主力部隊は壊滅する。その後、日本軍は3万余の兵力を投入した。しかし、制空権と制海権を米軍に奪われる。補給線を遮断された兵士たちは飢えに苦しみ、密林のなかで餓死していく。ガ島は「餓島」と呼ばれた。
日本軍が最後まで死守した激戦地に「岡部隊」慰霊碑。「撃つに弾なく、食うに糧(かて)なし。まさに地獄の戦場なり」と刻まれていた。
1943年2月、駆逐艦隊を派遣し、撤退作戦敢行。生き残った兵士1万人が生還した。骨と皮。軍服は破れ、幽鬼のようだったという。(塩塚保、写真も/SANKEI EXPRESS)





