元都知事の劣等感。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





夕刻の備忘録 様のブログより。




人間であれば誰しも避けられない劣等感。それは時として「特異な才能」を生み出すエネルギーにもなる。しかし、最終的にこれを克服出来ない人物の才能とは、所詮「特異なまま」で終わる。学問・芸術の分野で「特異である」ことは、何の問題にもならない。むしろ、「個性」として珍重されるのかもしれない。

しかし、「国民の生死に直接関係する政治家」の場合は別だ。世に出る切っ掛けとして、自身の劣等感を利用する。それを強調することで、大衆に媚び、取り入ろうとする。生い立ちや、現状の苦しさを滔々と語り、同情を集めようとする。そこから脱した自身の努力を前面に押し出す。そうした全ての行為が、実は劣等感を克服していないことを証明しているのであるが、そんなことを大衆は気にしない。劣等感を売り物にする「劣等感の商人」に拍手喝采を送るのが、大衆というものである。

政治の世界からこうした徒花を追放すること、それは即ち「俗な大衆」が、「真っ当な有権者」に成長することでもある。この時はじめて、「主権在民」に値打ちがでる。

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ここでは石原慎太郎の劣等感について記しておこう。言うまでもない、それは弟へのものに始まる。家族を支える長男としての自負と共に、「本物の天才」を弟にもった兄の苦悩が、その根源である。

同じく「越えがたい才能を持った弟」を実感した兄に、麻生太郎がいる。しかし、事故により夭折した弟を思い、弔う気持ちの中で、政治家として無用である「負の感情」を克服されたように見える。石原と麻生の比較は、「政治家の劣等感」を考える上で、我々に「分かりやすい典型」を与えてくれるように思えるのである。


さて、石原に戻る。石原を理解するための最重要項目は文学である。家族を支える稼業としての「職業小説家」が、そのスタートであった。文学好きが、既存の文学に飽きたらず、「この程度なら俺の方が上手い」として書き出した、その自負が原点であった。それを直接的に証明するためには、「売れる作品」であることが必要であった。そこで、自分自身が弟を通して親しんでいる世界、その風俗を元に創作活動を始めた。それがあのデビュー作である。

そして、それは大成功を収め、これ以上にない形で、自身を世に送り出す結果となった。しかし、その成功は、身過ぎ世過ぎの手段として選んだはずの小説家稼業に直ちに見切りを付けて、「本物の文学者」たらんとする欲望に火を点けた。芥川賞が単なる新人賞に過ぎないことを考えれば、これは当り前の成り行きでもあった。

その時、そこに三島由紀夫の姿があった。こちらもまた「本物の天才」であった。以後、両者は時に反目し、時に共闘し、時代の寵児としての存在感を競い合った。

三島には三島の劣等感があった。それは貧弱すぎる体躯に、その根本があった。身体は鍛えれば、まだ何とかなる。しかし、小柄であることは、永遠に脱皮出来ない「汚点」として、その心にのし掛かっていた。侍としての思想を極めようとする時、侍特有の風貌を自らに求めることは、三島にとって必然であったのだろう。現実の侍は、充分に小柄であったと思われるが、何故か三島はそのことには関心を持たず、胸を張って大袈裟に笑うことで豪傑を気取っていた。

石原がヨット、三島がボディビルと己の肩入れする分野の素晴らしさを語り、「筋肉論争」を繰り広げたことは有名である。二人は、共に劣等感の虜として苦悶していた。しかし、第一級の文学者として、石原が三島を仰ぎ見ることはあっても、その逆はなかったであろう。以降、石原が「文学」に、「文学者であること」に極端にこだわる根源的理由がここにある。

石原は文学を愛したが、三島は文学に愛された。

分かりやすい例を引けば、映画「アマデウス」で描かれたサリエリとモーツアルトの関係である。石原は文学に懸命に挑んだが、三島は楽々と構想を練っていった。三島の文学的苦悶は、他の凡庸な作家とは別の次元においてであった。


その後、政治の世界に飛び込んだ石原が見たものは、これもまたある種の天才としか形容のしようがない田中角栄であった。田中は「金の力で全てを動かす金権政治」という一言で済ますことの出来ない、独特の人間性を持っていた。俗物を極めることで、大衆心理の核心を掴んだ田中は、権力への道をひた走る。そして、奈落の底へ落ちていく。

石原は、どの分野においても「遂に頂点に立つことがなかった人物」である。充分高いレベルにありながら、そこに天才の輝きはなかった。そして、常に真横に「本物」が居た。避けがたい劣等感の中で、模索を繰り返して今の地位を築いた。

若い時も、今も、石原に党首としての才能は無い。その自覚があるからこそ、今日の今日まで、新党結成を躊躇ったのであり、また「大阪の詐欺師連中との連係を模索する」というような「自殺行為」にまで及んでいるのである。その理由は分からない。しかし、事ここに至って、これほどまでの「人を見る目の無さ」をさらけ出した以上、「最後の大勝負」も既に敗北が確定した形である。

石原の劣等感は、個人的な内面的なものであり、その劣等感が意図的に人を傷付けたり、虚言により翻弄したりする性質のものではなかった。ところが、相手は「そちらの専門家」である。石原は、大衆を侮蔑することはあっても、憎むことはなかった。しかし、相手は全てを利用する、後で捨てるために取り入ろうとする悪魔である。石原には悪魔に取り入られる隙があった、そのことを大いに残念に思う。

多くの国民が期待したことは、安倍自民党と組み、自民党を振り回すことにあったはずである。それが自民党を離党し、長く否定してきた石原の取り得る「最高の反撃」のはずであった。心ある国民の願いは、「新党結党」以前に潰えてしまった。先に「劣等感の強い政治家を排除せよ」と述べた所以である。