日本に寄生しながら「反日」を唱えるバケモノ達。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







夕刻の備忘録 様のブログより。




人間に「好き嫌い」は避けられない。それが物であれ人であれ、そして概念であれ、「嫌いなものを好きになれ!」と命じることも出来なければ、その逆も有り得ない。所謂「内心の自由」という問題である。

しかし、「内心の自由」がある以上、そこには「建前としての義務」が生じる。好き嫌いは別にして、社会の要請、国家の要請、人付き合いの基本としての「最低限の約束事」がある。建前という縛りの無い自由など、野蛮以外のなにものでもない。

国家という概念を如何に嫌おうとも、自らが国家の一員である以上は、これを「破壊する自由」は存在しない。反国家を唱え、その賛同者を募るところまでは、ギリギリ許容する国家があったとしても、それが何らかの形での「実行」を伴うものであれば、直ちに処断されることは当然であろう。文句があるなら、堂々と敵になれ!

そのギリギリの線を、我が日本国はとうに越えてしまった。思想信条の自由を越え、その実力行使までを許してしまった。選挙すら「公平公正な報道」の下で行われていないのである。マスコミは意見表明の限度を遙かに超えて、偏向から捏造へと駒を進め、その実力行使によって国民の投票行動を誘導し、「彼等が望む国家形態」へ移行させようとしている。そして、こうした意図を持った報道が、明々白々な形で連日繰り返されているにも関わらず、逮捕者はおろか、唯の一度の警告すら与えられていない。

白昼堂々と寄生した「反日日本人」が闊歩出来る、そんな国に日本はなってしまったのである。この連中に「嫌なら出て行け!」は通用しない。「嫌がらせが趣味」の人間が、纏わり付いた対象から出て行くはずがない。日本に寄生し、国民の税金を浪費し、治安を悪化させ、国際的な信用を失墜させることが、自らの目的に合致するのだから。故に、絶対に出て行かない。寄生虫は宿主を滅ぼすまで寄生を続ける。その時は、自らも滅びる時であるのだが、虫にそんな頭があるはずもないのである。

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「反日日本人」などという形容矛盾のような存在は、果たして他国に存在するのだろうか。時の政府の取組に反対して反政府的態度を取るアメリカ人は居るだろう。イギリス人もフランス人にも居るだろう。しかし、彼等は「反米アメリカ人」ではない。アメリカ政府の方針に反旗を翻しているだけであって、「アメリカが滅びること」など欲してはいない。そんなことは夢にも思ってはいない。

ところが、マスコミと潜入者どもにより形成された「反日日本人」の集団は、そうではないのである。先にも述べたように、この連中は「日本が滅びること」「日本人が死に絶えること」を目的に活動している。

もはやここまで来ると、そうした反日本を掲げるマスコミ報道に賛意を示し、商品を購入して彼等を支える「情報弱者達も同罪だ」と言わざるを得ない状況になってきた。目覚めるのが先か、滅ぼされるのが先か、という段階になってきた。自分で自分の首を絞めて、滅び行く人々は、その意味も分からぬままに死んでいくので、まだ幸せだろう。最大の不幸は、全ての状況を把握した上で、彼等「お花畑族」の犠牲になって滅ぼされる我々の方である。

国会、県会を問わず、被災三県で民主党候補が当選するたびに、絶望の度は深くなる。何故、自分達を破滅させようと必死に試みている者達に権力を与えるのか。理解し難い現実を理解しようと試みる日々こそ、まさに地獄の日々である。

サッカー日本代表が劇的勝利を収めた試合まで、「日本惜敗」と伝えるテレビを、熱烈であることでは誰にも負けないと自負するサポーターはなお見続けるのだろうか。何故、視聴をボイコットしないのだろうか。

日本代表は悪くないからか。誰も得をしないからか。代表チームが悲しむからか。大きなデタラメをやっている組織が、小さなデタラメをしないはずがない。日常的に選手をスポーツそのものを、そして何より日本人を侮辱し、視聴する国民を嘲笑っている「反日組織」に対して、最期通告をする時期に来ているのである。

本当の代表チームの姿を、本当のイチローを、本当の浅田真央を知りたければ、マスコミを始末しなければならない。さもなければ、我々は国想う「英雄達の真の姿」を、この目で見ることは出来ないのである。