自分をすてて。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 





ねず様のブログ・ねずさんのひとりごと より。




                              緒方洪庵

草莽崛起:皇国興廃此一戦在各員一層奮励努力。 


クイズです。

幕末の俊才である、福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲に共通することは、何でしょうか?

答えは、全員「適々斎塾(適塾)」の生徒だった、ということです。
なかでも大村益次郎と福沢諭吉は、それぞれ四代目、十代目の塾頭を務めています。

「適塾」というのは、長崎で蘭学を学んだ緒方洪庵が、天保6(1835)年に25歳で大阪瓦町に開いた蘭学塾で、開塾2年目には、洪庵は浪花医者番付で東の前頭四枚目になり、そのまた数年後には、最高位の大関にまでなっています。

当時、それだけ蘭学が人気があったという証でもあるのですが、塾生はピークには千名を越えていたといいます。
まさに、全国から蘭学を究めよう、蘭方医学を学ぼうとする英才が集まったわけです。

当然、塾生は、常時、直接緒方洪庵の講義を聞けるわけではありません。
当時の繁盛している塾はどこも同じで、いまの大学同様、塾長はいわば学長みたいなもので、高弟たちが末弟たちへの講義を代行して勤めるという形をとっています。

そして塾長の講義を直接学べるのは、その高弟となった者達、つまり、初心から段階を踏み、塾長の講義が「わかる」レベル、もっといえば、塾長の講義の気高さや、その心がわかるレベルに達した者だけが、塾長から直接指導を得ることができたのだそうです。

言い換えれば、緒方洪庵は塾長であり、塾長というのはまさに「大物」であり、それこそ末弟たちでは口も聞けないほどの雲の上の存在でもあったわけです。

ところが、この適塾では、すこし様子が異なりました。
もちろん、全国一繁盛している大規模塾ですから、塾の中では、というか塾生達からみれば、緒方洪庵は、まさに偉大な雲の上の人です。

けれどその洪庵は、蘭学塾の塾長というだけでなく、医師であり、また当時日本にはいってきたばかりの天然痘の種痘を普及促進しようとしていたことから、まさに、自分で医師として患者に接するとともに、種痘の普及のために、自分で町に出て、一般の人々に無償で種痘を行い続けているのです。

いまと違い、世間一般では、まだまだ西洋医学の認知の低かった時代です。
加えて、当時は迷信で、お札を持っていれば天然痘にかからないとか、種痘を受けると「牛になる」などというデタラメを世の中に広める者もいました。

ですから、緒方洪庵自身が、種痘のために町に出ると、肝心の種痘を受けるべき人々が逃げてしまったり、露骨に拒否して不快感を示したり、子供達などは「人を牛にする魔物が来た!」などと洪庵をはやし立てたりしました。

要するに、緒方洪庵は、蘭方医として、あるいは蘭学塾塾長として、大阪きっての大金持ちとして、それなりの名声を得ている。
得ているから、すくなくとも塾の中では、雲の上の超大物で、誰からも尊敬されている。

ところが洪庵自身は、そのように塾の中の大物でいることを良しとせず、自ら市井に赴いて、人々に天然痘の種痘の普及促進を図っていたわけです。

口さがない大阪の町です。
口の悪い者、態度の悪い者も大勢いる。
まして、当時は、種痘を受けると牛になる、なんてデタラメを吹聴するものもいて、緒方洪庵の姿を見ると、それだけで「人間を牛にする悪鬼だ!」と罵られ、あざけりわらわれ、馬鹿にされた。

要するに、緒方洪庵といえど、町に出れば「ただの人」であることに加えて、自ら、人から笑われ、罵られる行動をとっていたわけです。
種痘を広めたい、その一心からです。
なかなかできることじゃ、ありません。

その緒方洪庵が遺した言葉に、次の言葉があります。

~~~~~~~
医者がこの世で生活しているのは、
人のためであって自分のためではない。
決して有名になろうと思うな。
また利益を追おうとするな。
ただただ自分をすてよ。
そして人を救うことだけを考えよ。
~~~~~~~

たとえば、実際問題として、大銀行の頭取となった、あるいは大企業の社長になった、あるいは高邁な政治家になった、あるいは大病院の院長先生になった、あるいはそこまで至らなくても、小さいながらも会社の社長になった、あるいは店長になった等々。

そうして社会的地位を持ったとしたら、やはり誰しも安楽を求め、自尊心が常に満たされることを好み、巷に出て、自分とまったく考え方の違う人たちに、馬鹿にされ、ののしられてまで、何かをなそうなどとは、おそらくは思わないし、そういう行動もしないのではないでしょうか。


                            安倍晋三総裁


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けれど、緒方洪庵は、それをしたのです。

上にある緒方洪庵の言葉は、「医者が」というところを、たとえば「政治家が」とか、あるいは「保守が」、あるいは「会社社長が」、「部長職が」「課長が」等々と変えて読んでみたらわかります。

洪庵は、それらの職位にあること、自分の活動の中心にあるもの、それは「人のためであって自分のためではない」と言い切っているのです。

そして「自分をすてよ。人を救うことだけを考えよ」と述べている。

いま、日本を変えようとするとき、まさにこれが出来る人が、求められているのだろうと思います。

自民党の安倍晋三総裁は、総裁選に出馬し、そして総裁に当選したとき、重ねて前回の総理辞任について、合う人ごとに深く頭を下げられました。

仮にも一国の総理大臣経験者です。
私達のような市井の者にはありえない地位にいた方です。
その安倍さんが、再び日本のためにと、立ち上がった。
まさに「自分をすて、国を救うことだけを考え」て、総裁となられたのです。
だからこそ、心から頭を下げるという行動ができた。


                           中山成彬ご夫妻


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中山成彬先生も、いま宮崎で、まさにドブ板で日々戦っておいでになります。
元文部大臣です。それをいまは、体ひとつ、裸一貫で、なんとか日本の教育を取り戻したい、その一念で「自分を捨て、国のために」と戦っておいでになる。
まさに日々、東奔西走しておいでになられています。

日本を取り戻そうと、立ち上がった志を持った多くの方々も、みなさん、罵声を浴び、名誉を削がれ、悪口雑言を浴びながらも、獅子となり、自分を捨てて、戦っておいでになられる。

そういう獅子達が、そして獅子の子達が、いま、陸続と目覚め、日本を取り戻そうとしています。
私は、「何があっても、くじけずに立ち上がる人」が好きです。
そして私自身も、そうありたいと思う。

日本は必ず変わる。
日本は必ずよみがえる。

英霊への感謝の心を取り戻し、力強く成長する日本、世界のリーダーの一員としての日本として、陽は必ずまた昇る。
なぜなら、夜は必ず明け、冬は必ず春となるからです。