【土・日曜日に書く】論説委員・石川水穂
◆NY紙の問題記者に反論
尖閣諸島をめぐり、日中両国の言論戦が激しさを増している。
国連総会で、中国の楊潔●外相らが「日本が盗んだ」「強盗」などの表現で日本を非難したのに対し、日本の国連代表部は反論の答弁権を2度行使し、尖閣諸島が歴史的にも国際法的にも日本固有の領土であることを訴えた。
米紙ニューヨーク・タイムズのニコラス・クリストフ記者が「中国(の主張)に分がある」と書いたコラム記事に、在ニューヨーク日本総領事館は「重大な誤りがある」と反論した。
クリストフ氏は1989(平成元)年の天安門事件報道でピュリツァー賞を受賞した経歴を持つが、日本には偏見とも思える記事を書くことでも知られる。
氏が東京特派員だった平成9年1月、「日本兵が中国人少年の人肉を食べた」という話を載せた。取材源とされた三重県の元兵士が電話でこの話を否定したので、それを確かめるため自宅へ行くと、なぜか会ってもらえず、いったん取材を打ち切ったことがある。
また、中国が尖閣周辺海域を自国の「領海」とする海図を国連の潘基文事務総長に提出したのに対し、日本の国連代表部は反論書簡を事務総長宛てに出した。
以前は外国の不当な主張に沈黙しがちだった日本の外交当局も、最近は節目節目で反論するようになったが、まだ発信力が足りないように思われる。
中国と台湾が唐突に尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは68(昭和43)年、当時の国連アジア極東経済委員会(エカフェ)が「付近の海底は石油資源埋蔵の可能性が高い」と発表してからだ。
2年後の昭和45年9月、台湾紙の探訪団が尖閣諸島の魚釣島に上陸し、青天白日満地紅旗をたてる事件が起きた。当時の琉球政府はただちに「尖閣は沖縄の領土である」との公式見解を発表し、琉球警察も魚釣島に八重山署員を派遣し、旗を撤去した。
これに先立つ同年7月、石垣市は同島に「八重山尖閣群島 魚釣島」との標柱をたてた。当時の沖縄は米国の施政権下にあったが、主権意識は強かった。
◆人民日報も「日本領」
日本政府が尖閣諸島を日本領とする公式見解を発表したのは、その2年後の昭和47年3月だ。
これを報じた同月9日付本紙は外務省筋の話として、(1)台湾の国防研究院と中国地学研究所が出版した「世界地図集第一冊東亜諸国」(1965年10月版)(2)台湾の国定教科書「国民中学地理科教科書第四冊」(70年1月版)(3)中国・北京の地図出版社が発行した「世界地図集」(58年11月版)-の3点の地図を掲載し、いずれも尖閣諸島が日本領に入っていた事実を指摘した。
現在、北京の人民教育出版社や上海教育出版社が発行している中学1年用の地理教科書は「釣魚島(尖閣諸島の中国名)」を「台湾省」の一部と書いているが、これを否定する有力な反証になる。
また、中国共産党機関紙の人民日報は53(昭和28)年1月8日付で「琉球諸島はわが国の台湾東北部と日本の九州島西南部の間の海上にあり、尖閣諸島、先島諸島、大東諸島、沖縄諸島、大島諸島、トカラ諸島、大隅諸島など7つの島嶼(とうしょ)」から成ると書いた。
沖縄返還前の71(昭和46)年4月9日、米国務省のチャールズ・ブレイ広報官が「米国は来年、尖閣諸島を含む南西諸島の施政権を日本に返還する」と明確に述べた発言なども、日本の主張を補強する材料の一つとしておさえておく必要があるだろう。
◆反日虚偽宣伝は常套手段
中国の英字紙、チャイナ・デーリーは先月末、米紙のワシントン・ポストとニューヨーク・タイムズに「釣魚島は中国に帰属している」「日本が横取りした」との広告を掲載した。
米国を舞台とする中国の反日虚偽宣伝は常套(じょうとう)手段である。
97(平成9)年、旧日本軍が虐殺したとする根拠不明の残酷な写真を数多く載せた中国系米国人、アイリス・チャン氏の著書「ザ・レイプ・オブ・南京」が米国でベストセラーになり、カリフォルニア州議会の対日非難決議につながったとされるが、日本の在米公館は有効な反論を加えなかった。
ずいぶん昔の話になるが、米国の雑誌「ライフ」の37(昭和12)年10月4日号に載った、中国・上海で線路に取り残された赤ん坊が泣き叫ぶ写真は、反日世論を一気に高めたが、中国系米国人の創作写真だった。
(いしかわ みずほ)
●=簾の广を厂に、兼を虎に