【日曜経済講座】編集委員・田村秀男
東アジア主要通貨の対ドル相場
■アジアを人民元経済圏にするな
今週、東京で国際通貨基金(IMF)・世界銀行総会が開かれる。「国際金融協調」は表看板、実は会議の舞台裏で通貨をめぐる国益ゲームが展開される。その点、日本が最も警戒すべきはアジアの標準通貨として台頭する中国・人民元である。どうすべきか。
一国の通貨は他国のモノや資産の物差しになることによって、労せずして富を奪取できる。基軸通貨ドルが典型例で、米国はお札を刷ればいくらでも石油や金属資源を入手し、国債と引き換えに外国製品を買える。ドル安に誘導すれば、相手国の対米債権は目減りし、米国の対外実質債務は減る。
早い話、日本政府は外貨準備を主として米国債で運用しているが、約40兆円もの評価損を被っている。2011年末の米国の官民の資産総額は21兆ドル(約1650兆円)を超えるが、ドルが一律に5%下落すれば1兆500億ドル強、米国の年間の経常収支赤字の2倍以上の評価益を得る。米国はドル印刷機のおかげで簡単に借金を帳消しにできるのだ。
ASEANも接近
米国とまではいかないが、他国がわれわれの通貨で貿易や金融取引に応じるようになればしめたもの。主権国ならそう考える。
中国は4年前のリーマン・ショック後、周辺の東南アジア諸国などに人民元建て貿易決済を広げる戦略を展開してきた。各国ともドル建て決済が主流なので容易ではないが、急がば回れだ。秘策は自由貿易協定(FTA)をてこにした貿易の拡大と、相手国通貨の人民元の変動への同調である。自国通貨が人民元に対して安定すれば中国との貿易が活発化する。その次のステップで人民元建ての直接決済を相手に勧める。ドルを介せば為替手数料を余計に払うし、為替変動リスクもつきまとう。「お互い、いいことずくめじゃありませんか」と。
グラフは円と東アジア主要国・地域通貨の対ドル相場を「リーマン」時を基準に指数化し、比較した。マレーシア、タイ、台湾の通貨は今年に入ってから人民元に接近するようになった。特に台湾ドルは人民元の変動とほぼ完全に一致するようになった。それこそが8月末の人民元による直接決済中台合意の伏線だ。東南アジア諸国連合(ASEAN)もいずれ台湾に追随する公算が大きい。
円、韓国ウォンは人民元と水準が大きくかけ離れているが、ウォンの変動幅はやはり今年初めから東南アジア通貨と同一化する傾向がある。韓国通貨当局はウォンの乱高下を抑えるという名目のもとに市場介入し、リーマン後、円に対して5割のウォン安に誘導。半導体や液晶などで対日競争力優位に立つと同時に、台湾やタイなどの通貨と歩調を合わせている。さらに日本抜きで中国とのFTA交渉に乗り出す気配だ。北京のシナリオ通り、韓国を含め東アジアはほぼ全域が人民元経済圏になるかもしれない。
日本の「お人よし」ぶりには目を覆う。野田佳彦政権はこの6月、人民元にとって初めての海外通貨との直接取引に応じ、人民元のアジア標準通貨化に手を差し伸べた。沖縄県尖閣諸島の国有化に対して、執拗(しつよう)で理不尽、国際法を無視した共産党主導の反日暴力デモによる日本企業破壊にもかかわらず、野田政権は中国との通貨スワップや円・人民元の直接取引拡大、中国国債の購入、人民元建て債券市場の育成などに協力する。目先の利益にばかり目を向け、中国のアジア通貨覇権を後押しする能天気ぶりである。
もともと、円はドル、ユーロに次ぐ国際通貨として認知され、企業も旅行者も世界の主要国のどこでも円で支払い、モノやサービスを購入できる。国債、社債、株式など円建ての金融資産は国際的に出回っている。
ハンディ背負う円
ところが、円建て貿易決済は主に本国と海外現地法人の間など日本企業同士に限られ、多くは依然としてドル建て決済である。他通貨に比べて大きく変動する円は日本企業ばかりでなく海外の企業や政府にとってもリスクが大きく、地域の標準通貨としては人為的に相場変動を管理、抑制する人民元に比べて巨大なハンディを背負っている。
このまま東アジアが人民元にのみ込まれてしまうと、日本の企業、金融機関とも人民元を手にしていないとアジア全域でビジネスができなくなる。中国共産党が指揮する人民元政策に翻弄(ほんろう)され、服従を余儀なくされる。経済の弱体化に伴い、日本は外交、安全保障面で不利になる。
野田政権が今すぐとれる対抗策はある。人民元の自由変動相場制への移行を対中金融協調の条件とせよ。人民元相場の操縦に批判を強める米国などと水面下でスクラムを組んで、北京と対峙(たいじ)する。IMF・世銀総会はその絶好の場なのだ。