アグネスチャン(陳美齡)は、嘘吐きだ! | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







coffee様のブログ・正しい歴史認識・国益重視の外交、核武装の実現 より。






アグネス「反日教育してない!日本の歴史教育はウソ!中国と韓国とアメリカが教えている歴史は一緒。日本の歴史だけ違う」・フジテレビ「なかよしテレビ」のひとコマ・アグネスチャンは支那共産党の工作員で詐欺師。



フジテレビ\なかよしTV\アグネスチャン\02アグネス・チャン、日本の歴史教育はウソと断言!.
アグネス・チャン、日本の歴史教育はウソと断言!

9月25日放送の番組だから、古い話だが…

■動画
反日教育はしてない!
http://www.youtube.com/watch?v=wRD4MeDoUI0


・フジテレビ「なかよしテレビ」のひとコマ。

アグネス・チャン
「反日教育のこと、今日でもうはっきりしましょう。」
「(中国は)反日教育はしてないんです。反日教育はしてない。歴史を教えてるだけです。」
「中国が教えてる歴史も、韓国が教えてる歴史も、アメリカで私が学んだ中国とアジアの歴史も一緒なんです。 日本の歴史だけが違うんです。」
「(日本人は)真実を教えてもらってないんです。」

アグネス・チャン、日本の歴史教育はウソと断言!

アグネス・チャン、日本の歴史教育はウソと断言!


(その他のひとコマ)
北村弁護士
「じゃ、中国のいいところを述べてみてよ!」


森永卓郎
「中国はいいですよ。 」
「中国がいいのは、上海だけじゃなく北京にもメイド喫茶が4軒できたんです。上海では毎年アニメフェスもやってますし。」


http://www.tanteifile.com/geinou/scoop_2012/09/30_01/
●更新日 09/30●
アグネス・チャン、日本の歴史教育はウソと断言!

2012年9月25日に放送された、「なかよしテレビ」(フジ系)でのアグネス・チャンの発言が物議を醸している。

アグネス・チャン、日本の歴史教育はウソと断言!

中国の教育が話題になると、アグネスは「反日教育のこと、今日でもうはっきりしましょう」と述べて持論を展開した。「反日教育はしてないんです。あのね、反日教育はしてない。歴史を教えてるだけです」。これに対して弁護士の北村晴男は、中国では過去の誤った歴史を教えていると異論を唱えた。

するとアグネスは、「中国が教えてる歴史も韓国が教えてる歴史も、アメリカで私が学んだ中国とアジアの歴史も一緒なんです。日本の歴史だけが違うんです」。日本人は「教えてもらってない、真実を教えてもらってないんです」という。事実上、アグネスは日本の歴史教育を完全否定したことになる。

フジテレビ\なかよしTV\アグネスチャン\02アグネス・チャン、日本の歴史教育はウソと断言!.

当サイトでは、文部科学省の初等中等教育局教育課程課に取材した。担当者によると、アグネスの一連の発言は知らなかったそうだ。概略を説明したところ、具体的にどのような内容を指してアグネスが批判しているのか不明なので、コメントのしようがないという。

学校で教える内容は、学習指導要領に定められたものということになっている。教え方は各学校に委ねているが、教材は文部科学省の教科書検定を通ったものだ。検定では歴史的事実に照らして内容を吟味しているので、もしアグネスが「この部分が真実ではない」と具体的に指摘するならば、それに対して説明できると担当者は述べた。

アグネス・チャン、日本の歴史教育はウソと断言!

番組中では、中国には政治・信条の自由が保障されていないという問題提起もあった。アメリカ人コメンテーターのスティーブ・ソレイシィは、カメラに向かって中国政府へのクレームを言えるかと中国人の出演者らに尋ねた。中国人らは「もちろん」と言い返したが、「じゃあ、お願いします」と言われると困惑。政府を批判した人物は皆無だった。


アグネス・チャン、日本の歴史教育はウソと断言!

アグネス・チャン、日本の歴史教育はウソと断言!





(ウィキペディアより)
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反日教育の実態

中華人民共和国 [編集]

1994年に中国共産党の中央宣伝部が「愛国主義教育実施要綱」を起草し、愛国心教育が制度化された[7]。祖国を愛することが国民の義務とされ、学校では国旗の掲揚は毎日行い、小中高校生は全員国歌が歌えなければならないとされている。

中国では教師のマニュアル書である「中国歴史・教師用指導書」というものが存在しており、そこには歴史教育について次のように日本を恨むように子供の感情に訴える指導がなされている[8][9]。

「日本帝国主義を心より恨み、蒋介石の無抵抗を心より恨み、国土の喪失を悲しみ、憂国憂民の感情を心に持たなければならない。」

「教室の雰囲気に気を配って、思想教育の実質的効果が上がるように心がけなければならない。」

「『石井部隊が被害者の死体を焼却した焼人炉』と、『日本の侵略者が中国人を用いて行った細菌実験』の二枚の画像を組み合わせ、生徒の思いを刺激して、日本帝国主義の中国侵略の罪状に対して強い恨みを抱くように仕向けるべきである」

『南京大虐殺』については「残虐性と野蛮性を暴露せよ」「教師は日本軍の残虐行為の部分を生徒に真剣に読ませて、日本帝国主義への深い恨みと激しい怒りを生徒の胸に刻ませよう」「南京大虐殺の時間的経過と人数を生徒に覚えさせよ」

教科書記載例
甲午農民戦争のとき、日本の軍隊は旅順で、住民をひとまとめに縛りつけて撃ち殺した。酷い時は体を刀で切り刻んだり、皮を剥いだりした。

中国側首脳が言及する日中戦争の「犠牲者数」「虐殺被害者数」は戦後一貫して増加し続けており、これを反日プロパガンダと看做す意見もある。

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>「『石井部隊が被害者の死体を焼却した焼人炉』と、『日本の侵略者が中国人を用いて行った細菌実験』の二枚の画像を組み合わせ、生徒の思いを刺激して、日本帝国主義の中国侵略の罪状に対して強い恨みを抱くように仕向けるべきである」


この件について述べているサイトがあった。

たなばたさまと"高考(ガオカオ)
(一部抜粋)

中国の中学校歴史教科書から

(訳)残虐な日本侵略者は、東北地方に専門に細菌戦を研究する石井部隊を作り、主にペスト、コレラ、チフスなどの細菌と、これらの細菌爆弾の研究と製造に当った。人間らしさを喪失した侵略者は、こともあろうに生きたままの中国人を使って実験をし、多くの中国人を苦悶の中に殺害した。


石井部隊の実験
石井部隊の実験


被害者の遺体を焼いた焼却炉
被害者の遺体を焼いた焼却炉

上記写真と文は、人民教育出版社歴史室編著の《中国歴史》(9年義務教育3年生初級中学教科書) 1998年8月吉林で印刷されたものから引用しました。


上のサイトにある支那の中学校歴史教科書に掲載されているという「石井部隊の実験」の画像は、1928年に支那で日本人が虐殺された「済南事件」の犠牲者の検死の写真だ。


Vivisection being performed on a Chinese victim by a Japanese biological warfare doctor
Vivisection being performed on a Chinese victim by a Japanese biological warfare doctor
『THE RAPE OF NANKING -AN UNDENIABLE HISTORY IN PHOTOGRAPHS』


上の写真は、史詠らの写真集『レイプ・オブ・南京』に、「日本の生物兵器戦部隊によって支那人犠牲者に執行される生体解剖」というタイトルで掲載された写真だ。

しかし、この写真に関しては、雑誌『ゼンボウ』が昭和60年5月号などで二度に亘って報道していた。

A「済南事件で殺害された日本人被害者」済南病院で1928年5月に撮影・『山東省動乱記念写真帖』昭和3年青島新報(株)→『ゼンボウ』昭和60年5月号
A「済南事件で殺害された日本人被害者」済南病院で1928年5月に撮影・『山東省動乱記念写真帖』昭和3年青島新報(株)→『ゼンボウ』昭和60年5月号

上の写真Aは、『ゼンボウ』昭和60年5月号からの引用で、この写真は、『山東省動乱記念写真帖』昭和3年青島新報(株)に掲載され、済南事件の被害者を写したという解説になっている。

2B『山東省動乱記念写真帖』昭和3年青島新報(株)→『ゼンボウ』昭和60年5月号
B『山東省動乱記念写真帖』昭和3年青島新報(株)→『ゼンボウ』昭和60年5月号


写真Aと写真Bを見ると、同じ医師と同じ助手が同じ位置にいる。検死されている写真Bの犠牲者は縄でうしろ手にしばられ局部に棒を入れられているので東条きん氏だろう。

したがって、『レイプ・オブ・ナンキン』の「日本の生物兵器戦部隊によって支那人犠牲者に執行される生体解剖」という題は大嘘だ。

そして、この大嘘は、支那の歴史教科書で、「日本の侵略者が健康な中国人に細菌実験を行っているところ」とキャプションをつけられ、「石井部隊」による細菌の生体実験と説明されている。

支那の歴史教科書(翻訳版)、「★日本の侵略者が健康な中国人に細菌実験を行っているところ」と大嘘
支那の歴史教科書(翻訳版)、「★日本の侵略者が健康な中国人に細菌実験を行っているところ」と大嘘


石井部隊(731部隊)が「人体実験をした」とか「細菌戦をやった」とか言うのは完全なデマだ。

2007年1月18日「米情報機関の731部隊に関する10万ページに及ぶ機密文書の公開」についての報道があった。

石井四郎中将を始めとする731部隊関係者の個別尋問記録や、石井中将が細菌戦研究の成果を1947年6月ごろ執筆し米軍に引き渡したことを裏付ける最高機密文書も明らかになった。

結局、731部隊(関東軍防疫給水部)は細菌戦研究はしていたものの、細菌戦を行った証拠は全くなかった。

文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だった。

ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の99年に構成された記録作業部会(IWG)は、「慰安婦問題」などの悪事を裏付ける文書も探したが、証拠は見つからなかった。

奉天(瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われなかったかを調べたり、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないかを調べたりしたが、「当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。

つまり、アメリカが持っていた731部隊に関する10万ページの機密文書には、731部隊が人体実験を行ったり細菌戦を行った証拠は全くなく、戦後に言われたことは全て嘘っぱちのでっち上げだったのだ。



他に支那の教科書に記載があって、執拗に教えろと言っている、南京大虐殺や甲午農民戦争についても、今回は説明を省略するが、事実無根のでっち上げだ。

多くの日本人も「30万人は嘘だが、多少の虐殺はあった」と誤解としている南京大虐殺も、実際には完全な虚構であり、虐殺事件はゼロ(犠牲者数0人)だった。






>中国側首脳が言及する日中戦争の「犠牲者数」「虐殺被害者数」は戦後一貫して増加し続けており、これを反日プロパガンダと看做す意見もある。


支那における被害者(犠牲者)について、終戦直後は、支那国民党もGHQも、支那人犠牲者の人数を132万人と発表していたが、その後1998年に江沢民が来日した際の演説で3500万人と発言し、以後、南京大虐殺記念館での公式数字となり、現在も死者数の増加は継続中だ。

▼支那人犠牲者数増加の歴史まとめ▼
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発表年  犠牲者数   調査・出典

終戦時   132万人   GHQ調査・発表
終戦時   132万人   国民党調査・発表
1948年   438万人   国民党政府報告書
1950年代 1000万人   共産党政権発表
1970年  1800万人   共産党政権発表
1985年  2100万人   共産党政権発表(抗日勝利40周年)以後公式数字に
1995年 死傷者3500万人 (抗日戦争記念館)
1997年 死者 3500万人 (抗日戦争記念館改修後)死傷者数を死者数に変換
1998年  3500万人   江沢民発表(来日時の演説)以後公式数字に
2005年  5000万人   卞修躍博士発表(抗日勝利60周年)
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支那事変では一般民衆にも多くの犠牲者が出たが、それは日本軍の殺害によるものではなく、支那軍の殺害によるものだった。

例えば1938年6月、支那軍は黄河や揚子江の堤防を決壊させ支那民衆を大量に殺害した。


この時の死者数については、死者は河南省だけの少ない見積もりでも32万人、記録によれば89万人とも100万人とも言われている。


●関連記事
黄河決壊事件
蒋介石が日本軍の進軍を阻止するため1938年6月11日夜黄河の堤防を破壊
死者数は89万人~100万人(河南省だけの犯人の報告で32万人)
支那事変で住民を大量殺戮した支那軍と、懸命に救助した日本軍の代表的事件
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4274.html

(一部抜粋)


以下は、この大水害に関する文献や資料だ。

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『抗日戦回想録』郭沫若自伝より

敵の最初の計画は、伝えられるところでは、大きく迂回した包囲戦略をとり、隴海線に沿って西進し、さらに平漢線南半を奪って大武漢の背をつこうというものだったという。しかしこの戦略は、6月11日の黄河堤防の決壊で、河南省東部が沼沢地帯になったため、水の泡と化した。
あの時、黄河の堤防は開封の西北の五荘、京水鎮、許家堤等で同時に決壊した。
わが方の対外宣伝では敵の無差別爆撃による、といっていたが、実はわが軍の前線の将軍が命令によって掘りくずしたのだった。
わが伝統兵法――「水、六軍を淹(ひた)す」だった。
しかし敵が水浸しになった程度はたかの知れたもので、むしろわが方の民間の生命財産が想像もつかぬ犠牲をこうむった。

敵の迂回戦略は挫折したが、逆に正面攻撃戦術をとり、五方面の大軍で長江下流から水陸を並進し、直接武漢を攻撃した。かくてしばしの安逸を貪っていた当局も「大武漢を守れ」の呼びかけを出さざるを得なかった。
私たちが活躍すべき機会到来であった。
――――――



1938年年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を断ち、日本軍を水攻めにするため黄河の堤防を破壊した。

ところが、支那は、この犯行を
「日本軍がやった」と嘘報道した。

支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝したのだ。

1938年6月16日

16日付東京朝日新聞夕刊
【上海特電十五日発】
上海軍当局談
「支那側は目下しきりに黄河堤防決壊は日本軍の所為なりと宣伝に努めつつあるが、決壊地点と称される京水鎮には、まだ、日本軍は進出しておらず…」



事実は、この時、日本軍は濁流に飲まれる支那住民を救っていた。

6月23日同盟ニュースには、ボートで救助作業をしている日本軍の写真があった(冒頭に掲載)。

國史図書刊行会編『支那事変』にも、その時の写真が掲載されている。


写真集支那事変国書刊行会\濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯
濁流に車馬を渡す須磨部隊(第10師団工兵第10連隊)。中下は洪水によって浸水した農村地帯


わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ
わが軍の慈愛の手に救はれた黄河氾濫の被害民の群れ
支那事変画報 第33号(毎日新聞 1938年7月11日)



更に支那軍は9月23日にも武穴鎮の下流で揚子江を決壊させた。

支那軍は、自分たちが安全に逃げる、ただそれだけのために、夥しい数の支那人民の生命と財産を犠牲にし、お人好しの日本軍に支那住民を救助させた。




支那軍による民衆大虐殺は黄河の堤防を決壊だけではない。

支那軍は1937年の支那事変勃発から1945年8月の終戦まで同じようなことを繰り返して支那民衆を殺しまくった。

支那軍による徴発、略奪、徴兵等は苛酷を極め、支那軍と支那人民との間で殺し合いが頻繁に起こった。

このように、支那民衆を大量に殺害した犯人が日本軍ではなく支那軍だったことは、郭沫若自伝『抗日戦回想録』などで明確に述べられている。

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私はうけ合ってもいい、抗戦八年のあいだにこうしてふみにじられた同胞、いわゆる壮丁から弱丁になり、弱丁から病丁になり、病丁から死丁になって行った同胞の数は、戦死したもの、日本軍に殺されたものにくらべて、最低百倍は超えているに違いない。

『抗日戦回想録』郭沫若自伝
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農民の飢餓救った日本軍 邦訳本出版 中国で映画化
(06/4/9産経新聞より一部抜粋)

1942年、大飢饉で河南省の農民を救ったのは、日本軍だった。…(略)…劉震雲さん著、劉燕子さん翻訳の「温故一九四二」だ。同小説は日中戦争の最中の1942-43年、河南省を襲った干魃による被災民3千万人、餓死者3百万人という大飢饉の状況を農民、蒋介石ら指導者、米国人記者、日本軍の立場から多面的に描き出した。飢饉の原因は天災だけでなく、中国軍の容赦ない軍糧のとりたてのせいでもあった。その中で、日本軍は餓死寸前の農民に軍糧を放出した。
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他にも支那軍は、上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人を大量殺害! 更に、焦土作戦、世界初の違法毒ガス使用や細菌戦、長沙市焼き払いなどの暴虐・悪逆の限りを尽くして大量の支那人民を惨殺した!

●参考記事


支那の「極悪暴虐・大虐殺」と「卑怯な逆宣伝」のまとめ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12704324.html


●結論

支那事変における支那軍戦死者は132万人(GHQ発表、国民党発表)

支那民衆を大量殺害したのは日本軍ではなく支那軍だった。これは多数の証拠資料から紛れもない事実

日本軍が無辜の支那民衆を惨殺した証拠資料は全くない。






アグネスチャン(陳美齡)は、支那共産党の工作員であり、本業は日本ユニセフ協会と組んでのピンハネその他の詐欺だ。
アグネスチャンのピンハネ豪邸
アグネスチャンのピンハネ豪邸


遺書まで書き残して「危険なソマリアに行く」と言っておいて、実は安全な観光地である「ソマリランド共和国」に旅行 した事件もあった。
アグネス・チャン児童買春\ソマリランド

●関連記事
アグネス「心を痛めている事があります。」
週刊ポスト4月15日号のユ偽フ批判記事【日本ユニセフ協会「被災者に渡らない募金」が暴かれた】にブログ「アグネスちゃんこ鍋」で反論
「募金から収入を得ているという中傷」←黙れ詐欺師!
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-4206.html




アグネスチャン(陳美齡)は、「(中国は)反日教育はしてないんです。反日教育はしてない。歴史を教えてるだけです。」
「中国が教えてる歴史も、韓国が教えてる歴史も、アメリカで私が学んだ中国とアジアの歴史も一緒なんです。 日本の歴史だけが違うんです。」
「(日本人は)真実を教えてもらってないんです。」

と豪語したが、現実は完全に逆だ。


日本の教科書はアジアで一番正しく欧米の教科書より正しい
http://aparc.stanford.edu/research/divided_memories_and_reconciliation/


昨年12月に読売新聞が報じた「日本の歴史教科書は最も抑制的」というスタンフォード大学の調査報告について、スタンフォード大学の学者が雑誌サピオに論文「日米中韓台の比較研究で分かった一番公正な歴史教科書は日本」を寄稿している。

以下は、その寄稿の要約からの抜粋だ。

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日本の教科書
今回比較した中では日本の教科書が最も愛国的記述がなく、戦争の賛美などは全くしていない
日本の中国進出についてのくだりは全く事実をそのまま伝えており、当時の軍と政府のリーダーたちの責任だとしている
非常に平板なスタイルでの事実の羅列であり、感情的なものがない。

韓国の教科書
韓国の教科書は特にナショナル・アイデンティティーの意識の形成に強く焦点を当てている。自分たち韓国人に起こったことを詳細かつ念入りに記述している。
韓国の教科書は、中国で起きた戦争に関する記述が希薄だ
韓国は日本の中国に対する行為には興味はなく、日本が自分たちに行ったことだけに関心がある
私が驚愕した一つの例は、主要な韓国の教科書には広島長崎の原爆投下の記述がないことだ。それほどまでに彼らは自己中心的にしか歴史を見ていない。

中国の教科書
歴史学の観点から見て、最も問題が多いのは中国の教科書だ。
中国の教科書は全くのプロパガンダになっている。共産党のイデオロギーに満ちており、非常に政治化されている。太平洋戦争に関してほとんど記述がなく、広島・長崎の原爆投下もほとんど言及していない。
中国の教科書は2004年に改定されているが、改定後は中国人の愛国心を謳い、日本との戦いを強調している。
内戦の話は後退し、抗日戦線での勇ましい描写が増えた。南京事件などをより詳細に記述するなど、日本軍による残虐行為もより強調されている。つまり中国人のナショナリズムを煽っている。

日本の歴史教科書の戦争記述は、戦後日本が外交政策の手段として軍事力の保持を拒んでいることと完全に歩調を合わせている。

 日本の学習指導要領は、近隣諸国との友好的で協力的な関係の発展、アジアと世界の平和と安定の必要性を強調している。

奇妙な結果
 対照的に、ほかの東アジア諸国の大半は自国史の教科指針で、歴史教育の基本的役割として民族の自尊心と国民のアイデンティティー(帰属意識)の増進を主張している。

 民族の自尊心を強調することは、時に奇妙な結果を生む。例えば、韓国の教科書は、1937年に中国で勃発した戦争や真珠湾攻撃、広島と長崎への原爆投下など他国の教科書が取り上げている戦時中の主要な出来事に言及していない。
代わりに、日本の植民地統治に対する朝鮮人の抵抗運動や文学における文化的発展にもっぱら焦点を当てている。言い換えれば、解放に向けた民族闘争の継続が韓国の教科書の物語の筋である。
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「アグネスチャン(陳美齡)は、嘘吐きだ!」