【消えた偉人・物語】
国定修身教科書「日本は神の国」
かつてドイツ地政学の創始者カール・ハウスフォーファーが『神皇正統記』をとりあげ、それをダンテの『神曲』と比肩しうる「国家維新作用をなした作品」であると書いていた(『日本の国家建設』上巻、梅澤新二訳、龍吟社、昭和18年)のを知って驚いたことがある。
『正統記』とは、北畠親房(きたばたけ・ちかふさ)(1293~1354年)が書いた史書である。建武中興挫折後、南朝方の諸将がことごとく戦死する中、親房は常陸国小田城で敵と孤軍奮闘する傍らそれを執筆したのである。「大日本は神国なり」の書き出しで知られる書だが、これが国定修身教科書(第5期)に「日本は神の国」と題して次のように記されている。
「外国の歴史を見ますと、一つの国が起るかと思へば、やがてほろび、そのあとに、また別の国が起るといふやうなことを、何度もくり返してゐます。日本のやうに、一つの国が、天地のつづくかぎりさかえるといふことは、決して見られないのであります。親房は、このことを、その国史の本に書きました。親房の本は、六百年前に、人々の心をふるひ立たせたばかりでなく、今の人々をも、力強く教へみちびいてくれるのであります」
「六百年前に、人々の心をふるひ立たせた」というのは、親房軍配下の将士たちがそれを写しては読み、自らの精神の支えとして奮戦したことなどを指すのだろう。その後も『正統記』は広く読まれ、江戸時代になると山崎闇斎(やまざきあんさい)をはじめとする崎門(きもん)学派の必読の書になった。そして、近世史学史上の白眉と称される『保建大記(ほうけんたいき)』は、崎門の俊秀、栗山潜鋒(くりやませんぽう)が『正統記』を強く意識して著した史書だったのである。
また、『正統記』は水戸学においても尊重された。『正統記』は「まことに神州の亀鑑である」(『回天詩史』)とは、後期水戸学の泰斗(たいと)、藤田東湖(ふじた・とうこ)の言葉である。水戸学は崎門学とともに王政復古、勤皇思想を鼓舞して明治維新の精神的バックボーンになっていったが、それらに影響を与えた『正統記』は、まさにハウスフォーファーが喝破したように「国家維新作用をなした作品」であったといっていいだろう。
(皇學館大学准教授 渡邊毅)
尋常小学修身書=昭和14年発行