西村眞悟の時事通信 より。
昨日、十月二日、神戸で衆議院議員の向山好一君と会った際、尖閣諸島の話題になった。彼は魚釣島に上陸はしていないが、その陸の手前十メートルの海域、つまり指呼の間まで数度渡航している。従って、彼は、足を島の岩に着けてはいないが、
全身で島を抱擁できるところに行っているのだ。
そこで彼は、島について何と言ったか。
「なつかしい、いとおしい、島」と言った。
そして、今朝、魚釣島の十メートル手前の洋上で、昭和二十年の戦争末期、石垣島から船で疎開中に米軍機の銃撃を受けて魚釣島に漂着し亡くなった多くの人々の慰霊祭を八月十九日に行ってきた参議院議員山谷えり子さんの「尖閣で感じた先人の心」という記事を読んだ(「明日への選択」十月号)。
そこで彼女が、慰霊船から飛び込んで島に上陸した十人の気持ちを次のように表現している。
「止むに止まれぬ気持ちで、飛び込まれたのだと思います。
やはりあれだけ美しい島ですから、政府が(上陸を)許可しなくても自然が許可したというか、招かれたのだろうなと。
それで尖閣を抱きしめたいというような思いが溢れ、上陸なさったのでしょう。
いずれにしましても、上陸を許可しなかった政府は間違っていると思います。・・・」
私は、この海に飛び込んで上陸した人達と八月十五日の靖国神社参拝の際に会っているので、山谷さんの話しを読んで、彼等の気持ちが、まさしく分かった。
私とともに靖国神社に昇殿参拝した取手市議の小島君は、海に飛び込んで上陸した一人だが、靖国の英霊に祈ることにより、圧縮熱が一挙に高まったのだと思う。これが、日本人だ。
さて、昨日聞いた向山好一君の尖閣への感想といい、今朝読んだ山谷えり子さんの思いといい、それを知った私に、深い共感を与えたのだが、それは、「尖閣は、同じ思いを日本人に伝えてくる島だ」という感動だ。
私も、平成九年五月、尖閣諸島の北小島と南小島を左舷にみて魚釣島の西方に回り込んで、ボートから島に上陸し、島の白砂に触ったとき、「ああ、日本人が来るのを待っていてくれた島に来たんだ」と思い、島に無限のいとおしさ、懐かしさを感じた。
それから私は、島にある沖縄県八重山郡と刻まれた古びた石柱と慰霊碑に、靖国神社からいただいた御神酒を注いだが、
向山君に聞くと、この度の洋上慰霊祭でも、靖国神社の御神酒を海域に注いだというのだ。
情の民族である日本人は、
尖閣で同じことを感じ、同じことをする。
国家に危機が迫ったとき、
日本人は同じことを感じ、同じことをするのだ。
敷島の大和心は、ことあるとき、顕れる。
先日、吉野山の南朝後醍醐天皇の御座所である吉水神社の秋季例大祭において、低く高く魂に響いた二つの笛の音と古事記やまとかたりの音のことを書いたが、
願わくば必ずや近い将来、
吉水神社の佐藤素心宮司とともに島に渡って大地にひれ伏し、今秋また南朝の御座所に響いた、あの笛の音が、
篝火の焚かれた尖閣諸島魚釣島の夜の静寂に、波の音ととともに響きわたらんことを。