【古事記のうんちく】(2)
「記紀」とひとくくりにされがちな古事記と日本書紀。ともに飛鳥時代の天武天皇が編纂(へんさん)を命じた「最古の歴史書」といわれるが、背景や目的は大きく異なる。
古事記が古(いにしえ)の事を記す一方、日本書紀は「日本書」の「本紀(ほんぎ)」のことで、日本の歴史を年代順に書いた。「記」「紀」と漢字が微妙に異なるのは、記録と本紀の違いによる。
両書とも漢字で記されているが、古事記は、日本語の発音を漢字の音訓の読み方で記しているのが特徴。例えば「八俣遠呂地」と書くヤマタノオロチは、「おろち」と読ませるため「遠呂地」の3文字をあてた。
「久羅下那州多陀用弊流」は、何やら暗号のようだが「くらげなすただよへる」と読む。天地が混沌(こんとん)としてクラゲのように漂うという意味だが、漢字の本来の意味とは全く関係ない。「なぜこんなややこしい表記を」と首をかしげたくなるが、当時は仮名がなかったためだ。
一方、日本書紀が漢字に意味をもたせた漢文で記されたのは、国内向けの古事記と異なり、日本の歴史を中国などに示すためだった。
古事記が日本書紀より8年早い712年に完成したことにも、政治的意味があったようだ。同志社女子大の寺川眞知夫特任教授は「元明天皇は、叔父・天武の国づくりへの思いを忠実に反映した古事記を優先させた」と指摘。「日本書紀が先に完成すると、古事記が軽視されて未完に終わると危惧したのでは」と話す。「記紀」は双子の歴史書ではなく、ライバル同士だったのかもしれない。
(編集委員 小畑三秋)