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【東日本大震災1年半 見えてきた現実】(上)

会津米の試練は続く ブランド頂点前に…顧客半減。






「炊きたてはもう遜色ない。冷めたとき、わずかにうちが上回っているだけ。その差は際どい」。ブランド米の頂点に立つ新潟県の魚沼産コシヒカリの生産者がこう語る“好敵手”がある。福島県の会津産コシヒカリだ。

 夏暑く、1日の寒暖差が大きい会津盆地はうまいコメ作りに適している。日本穀物検定協会の食味ランキングでは平成8年から最高の「特A」。農林水産省が公表する相対取引価格でも新潟産のコシヒカリに準ずる銘柄となっている。

 ところが、東京電力福島第1原発事故が全てを変えた。会津産コシヒカリを栽培し、有機栽培米を主に首都圏の顧客に産直販売している同県会津若松市の斎藤武美さん(79)の場合、46人いた顧客の半分、23人を失った。

 作付面積2.4ヘクタール。完全無農薬栽培で安全性が売りだった。昨年9月の予約が不調だったため、10月には妻の淑子(よしこ)さん(75)が得意の絵手紙に放射能のモニタリング結果を添えて安全性を訴えた。

 しかし、『お世話になりました』と断りの返事が来たのは2、3通。残りはなしのつぶてだった。「時間をかけて作り上げてきたものが、あっという間に崩れ去ったことが悔しい」と淑子さん。全収穫量の3分の1のコメが売れ残った。

 今年7月、知人のツテで福島・浜通りの米穀店にようやく売ることができた。玄米30キロで7千円。産直米販売価格玄米1キロ540円の半値以下だった。

 23年産米の損失は東京電力に賠償を求めることにしている。ところが、顧客が戻らない中で24年産米についても補償を受けられるかどうかは分からない。それでも、「23人が頑張ってくださいと言ってくれる。この人たちがいる限り、やり通さないといけない。今まで以上に心を込めて作るしかない」と斎藤さん夫妻は口をそろえる。

平成に入り、会津産コシヒカリはブランドイメージを向上させてきた。地元のJAあいづの目標は新潟県産で魚沼、佐渡、岩船に次ぐ一般のコシヒカリ。「震災前は60キロ(玄米)で価格差を500円から千円ぐらいまで詰めたが、震災で2千円ぐらいに広がった」という。風評被害との闘いは続く。


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 東日本大震災から1年半、被災地は復旧・復興への長い道のりを歩き出している。しかし、1年半という時間が経過し、歩き出したからこそ直面しなければならなくなった問題がある。見えてきた現実と被災地はどう向き合い、克服しようとしているのか。






消えぬ風評 「2番手の壁」


 福島県の農産物価格は原発事故で一時全国平均の半値まで落ち込んだ後、今年に入って全国平均の1~2割安まで回復した。だが、その「1~2割の差」が縮まらない。

 同県伊達市でモモを育てる佐藤孝洋さん(39)は「今年はほぼ例年並みの量が売れた」と笑顔をみせる。もっとも、値段は例年の2割安だ。8割程度だった高価な贈答用が約6割に減り、自家用が増えた。

 放射性物質から農産物を守るため、県内では昨年来、果樹の樹皮をはぎ、土壌を改良した。行政や業界団体は、万が一にも基準値を超える放射性物質が含まれたものが流通しないよう検査態勢を整えてきた。

 東京市場を見るJA全農福島の東日本園芸販売事務所(東京)は「放射性物質はほとんど他県産と変わらない。後は去年よりも狭い意味での『風評被害』をどうするかだ」と話す。

この狭義の風評被害を「2番手の壁」と呼ぶこともできる。スーパーなどでは大量の農産物を必要とするため、さまざまな都道府県産の農産物をそろえるのだが、「まず他県産を探して、なければ福島産、という『2番手』扱いが続いている」(同事務所)。

 特に高級品は深刻だ。同事務所によると、モモの場合、高級品は3~4割安い。「高級品の値が回復すれば一般の農産物もさらに回復するかもしれない」(同事務所)

 福島の農家として、すでに打てる手は全て打っている、といっても言い過ぎではない。それでも消えない「2番手の壁」。JA新ふくしまの販売担当者は「検査態勢がなくなったときが本当の風評被害がなくなるとき」という。全国の消費者が放射性物質のことそのものを忘れるのを待つしかないのかもしれない。


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 岩手県山田町の魚市場。山田漁連参事の佐藤龍男さん(55)は昨年秋ごろから、定置網漁を終えて帰港する漁船の姿を探すようになった。地元の復旧が進まず、より高値で魚が売れる近隣市場に地元漁船が流れ始めていた。「生活がある以上、仕方がない」という佐藤さんだが、港を見つめながら、思わず「きょうも(漁船は)来ないか」とつぶやいた。

 同漁連の年間水揚げ量の9割は定置網漁が占める。水揚げ手数料は各漁協の運営資金の柱だから漁船が他港に流れれば、漁協存続にもかかわる。

 状況は厳しい。大津波で流失した定置網11カ所のうち9カ所が復旧したが、漁船漁業の漁師は10分の1の約20人にまで減った。

関連業者の回復も遅れている。震災前は主なものだけでも約20社あった主な冷凍、冷蔵加工会社で、復旧しているのは1社のみ。今後5社が営業再開方針を打ち出しているものの、着工した3社の工事も資材不足などで遅れる一方だ。10月完成予定を掲げながら、手つかずの区域すらある。

 魚の処理能力は限られ、漁獲がそれを上回れば他地域の施設に頼らざるを得ない。上乗せされる運送コストや人件費の分、魚は安くなる。他港より1キロ当たり5~10円安くなれば、漁師の生活にも響く。佐藤さんは「浜が復興できるかみんな半信半疑。値が上がる要素はない」と話す。


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 被災漁港の漁師から水揚げを持ち込まれる側も悩んでいる。「一人抜けたら、みんなこっちにくるぞ。自分の地元を潰すことになってもいいのか」。岩手・宮古市魚市場参事の佐々木隆さん(58)は、宮古市への水揚げを相談にきた隣町の漁師に忠告した。「復旧が遅れた市場がさらに疲弊することになりかねない」との不安からだった。

 被災規模が小さかった同市の魚市場は、昨年4月に再開できた。主な冷凍、冷蔵、加工会社は完全復旧のめどが立っている。近くに水産加工会社の誘致計画もあり、震災以前より受け入れ体制は拡充されそうだ。

 だが、現実に日々少量の水揚げしかない漁師が利用するのは、燃料費のかからない地元の市場。各地の市場が健全に稼働してこそ、漁師の生計は保たれる。

 「今悪い方に傾けば、下がる一方になる。県全体の水産業を考えれば、各市場が協力し、打開策を検討しなければならない時だ」と佐々木さん。今秋は沿岸部の定置網漁が本格化する。期待が膨らむ一方で、ここが漁業の分岐点になるかもしれない、との危機感も募っている。

                       (石田征広、荒船清太、渡辺陽子)