西岡 力ドットコム より。
救う会 が複数の情報源から入手した横田めぐみさん情報
・1977年拉致直後、連絡所に2から3カ月おかれた。精神が不安定で平壌に送られ、平壌市中心の民俗博物館の建物にある招待所に入れられる。
・中央党連絡部指導員の家で夫人や子供らと暮らし、そこから学校に通って朝鮮語を習った。
・1987年に順安区域招待所に移り、そこで金英男と会って同居し、結婚した。
英男は酒を飲みひどい暴力をふるった。家政婦にも暴力を加えた。そのため党から3回警告
を受けた。
・1993年に夫からの暴力のため精神的に衰弱し治療を受けた。北朝鮮
が通報した鬱病ではなく神経衰弱だった。
・1993年3月、党が正式に離婚させる。英男は離婚させられたとき、めぐみさんは死んだと思っていた。北朝鮮
が当初、めぐみさんの死亡時期を「93年3月」としたのは英男の話をもとにストーリーを造ったからだと思われる。
※帰国した被害者も「金英男さんは大酒飲みだった。性格のきつい人だった」「離婚については知らないが、めぐみさんが夫を嫌って別居していた」と証言している。
・94年4月、神経衰弱の治療のため義州の49号予防院に入院させられたが、金正日がそれを知り、1日後に呼び戻して平壌の49号予防院に入れた。
・94年9月、対日工作員・金ソンククと再婚、夫は金正日
政治軍事大学16期生、本名金ソンイル、作戦部案内班工作員として南浦連絡所に配置されたあと除隊して連絡部工作員として招待所へ行った。
※現在韓国
に住む同大学16期生李相圭は「16期にはキムソンググはいない、仮名金ククソン、本名金ソンイルだろう。彼は作戦部案内班、南浦連絡所に配置され、足の怪我で除隊した。人柄がよくて、背が大きくない」と証言している。
・96年11月に、男子を出産
・2001年、龍城区域七宝山招待所で生活