乃木大将が殉じた明治の倫理観。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 









東京大学名誉教授・小堀桂一郎






≪国際社会に衝撃を与えた割腹≫

 本年は7月30日に明治天皇百年祭の斎行を見た。そこで自然の順序として9月13日には乃木希典将軍夫妻の百年祭を迎へる事になる。改めて言ふまでもない周知の史実だが、明治天皇の崩御から45日を経たこの日に、御大葬の葬列が皇居から青山葬場殿に向け出発するその時刻に合(あわ)せ、乃木大将は割腹自殺を以(もっ)て天皇の御跡を慕つての殉死を遂げ、静子夫人も亦、夫君のお伴(とも)をして自刃された。

 この事件は当時日本国内のみならず、広く国際社会に(それは世界中に、といつてもよい広範囲のものだつた)隈(くま)なく報道され、大きな驚きと、むしろ衝撃を与へた大事件だつた。殉死といふ死に方は西洋文明圏の古代・中世史にも実例が皆無といふわけではないが、現にキリスト教文化圏を形成してゐる欧米の文明諸国の人々にとつて、20世紀の現在に、主君である一帝国の君主とその臣下としての世界的な名望を有する将軍との間に、文字通りに生死の境を越えて結ばれた、この様(よう)な強い絆が有り得ようとは、実に思つてもみなかつた奇蹟(きせき)的な出来事だつた。

 殉死の風習は日本には古代から存したと考へられ、殊に武家社会の盛期たる鎌倉・室町時代には少なからぬ青史の記録があり、人間同士の深い絆の象徴として賛美される一面はあつた。

 ≪否定的反応示した大正教養派≫

 然(しか)し徳川四代将軍・五代将軍の頃からはその弊害の方が重視され、武家諸法度による明らかな禁制の行為となつてゐたから、約二百五十年の歳月を距(へだ)てての、乃木将軍による殉死の復活は、欧米文明諸国に於(お)けるよりはむしろ日本国内に於いて、賛美ならぬ疑問や否定の反応を多く見るに至つたのも自然の事ではあつた。特に後世に大正教養派と呼ばれる事になる、欧米的個人主義を金科玉条として奉ずる若い世代の間に、乃木の行為に向けての否定的反応が多かつた。

 だが一方で、これも周知の文学史的知識に属するが、森鴎外が小説『興津弥五右衛門の遺書』で、夏目漱石が『こころ』の中で示した如(ごと)き、乃木の行為への深い理解と共感を示した知識人の数も十分多かつたのであつて、現在の視点から見れば、結局は同情派の方が民意の主流を成したと見てよいだらう。その事は大正12年の乃木神社の創建と、その戦災後の逞(たくま)しい復活、現在の崇敬者の数の多さ、そして付加へて言へば明後日斎行される御祭神百年祭の盛儀が暗黙の裡(うち)に証言してゐる所である。

 ≪個の利捨て公の義に捧げる≫

 ところで右に述べた乃木の殉死といふ行為を冷眼に見、結局は否定する風潮は簡約化して言へば、「公」の「義」よりも個々の市民の「私」の「利」と繁栄の享受の方に高き価値を見ようとする近代欧米流の個人主義の現象化に他ならない。この我欲の解放と私利の追求を無条件に肯定し賛美する思潮は、やがて日米戦争の敗戦と米軍の軍事占領に伴ふ米国式大衆民主主義の急速な流入を経験した。

そこで謂(い)はば革命政府の統領からお墨付きを貰(もら)つた急進派集団の如くに、言論・教育界を我物顔に横行闊歩(かっぽ)し始めた。文部省の学習指導要領は、歴史の教育目標が社会の段階的発展の功利的意義を子供に理解させる事にあるのだと定義し、この論理を以てすれば、凡(およ)そ過去は現在よりは価値が低く、現在は未来よりは価値が低いことになつた。歴史の教材から各時代の代表的個人の業績が消え、大衆的集団の損得利害が専ら時代の価値を決定するかの様に教へた。

 こんな風潮が60年余り続いた揚句に、輓近(ばんきん)漸(ようや)く、歴史を動かす動因としての個人の意味を考へ直す新思考、といふよりも歴史は人物中心に考察してこそ面白く、且(か)つ現在に生きる人間への指針として意味があるのだといふ考へ方が復活してきた様である。それは端的に健康な傾向であり、歓迎に値する動きである。

 健康な歴史観の復調といふ曙光(しょこう)の中で眺める時、乃木希典夫妻の自裁といふ行動の持つ深い意味を理解できず、揶揄(やゆ)と冷笑を以て遇することしかしなかつた、大正教養派などと呼ばれる当時の一部知識人の浅はかさが、今こそ百年後の後生による厳しい批判を受けるめぐり合せになつてゐる。

乃木の場合はその代表的実例といふにすぎないのであつて、明治の盛代を築いた先人達は全て正に乃木に代表される様な、公の義に捧(ささ)げるために己一個の利を捨てて顧みないといふ倫理に生きた人々だつた。その存在故に明治の栄光は実現し、その人々を冷笑する風潮が生じた故に、大正教養派の形成した日本には先代にはなかつた幾多の弱点が眼立つ様になつた。

 人はとかく戦後67年の占領後遺症への反省と後悔を口にする。それはたしかにその通りである。然し我々は己の過去を再検討し、以て将来の設計の指針を探らうとする時、その始点をもう少し遡らせて考へ、今我々は大正百年といふ世紀末の決算表をつきつけられてゐるのだとみるべきではないか。乃木将軍百年祭を迎へての所感の一端を正直に記してみた。

                               (こぼり けいいちろう)