西岡 力ドットコム
より。
サピオ2012年8月29日号に寄稿した慰安婦関係の拙文を掲載します。
昨年から慰安婦問題 がまた騒がしくなった。これで4度目だ。1991年に朝日新聞がキーセンとして人身売買された女性を「挺身隊として強制連行」とする大誤報をして94年に河野談話 が出るまでが1回目、96年すべての検定済み中学歴史教科書に慰安婦強占連行の記述が入り有識者と議員らが事実誤認だと提起して日本国内で大論争が起きた2回目、2007年米国 下院がセックススレーブとする慰安婦非難決議を通した3回目につづく騒動だ。私は1991年からこの問題に関する論争に加わり20年以上が経った。
当初、私は慰安婦という歴史的存在はあったが、慰安婦問題 はないと論陣を張っていた。すなわち、何々問題というからにはいまだに解決されていない点が残っているということだが、第1に慰安婦の公権力による連行は確認されておらず、彼女らは貧困を原因とするいわゆる人身売買の被害者であり、第2に日本と韓国の戦後補償問題は昭和40年の日韓協定で「完全かつ最終的に解決」している。したがって、解決すべき点は残っていないという主張だった。
しかし、昨年からの4度目の騒ぎを目にして、私は考えを変えた。一部の職業的反日日本人と日韓関係悪化を狙う韓国の反日運動家らの執拗な活動の結果、「日本軍が韓国 人女性らを性奴隷にしたという」という虚構が国際的に広まり韓国の若年層を含む多数の外国人がそれを事実と信じてしまっていることが、解決すべき問題だ。慰安婦問題 は虚構の性奴隷説をどう排除するかという問題として厳然と存在すると今は考えている。
それでは慰安婦性奴隷説を最初に言い出したのは誰かから確認したい。それは吉田清治という職業的反日日本人だった。韓国 から出た話ではないのだ。
1948年に成立した韓国の初代大統領は独立運動家出身の李承晩博士だった。李政権日本と国交正常化交渉を持った。そのさい、出来るだけ多額の戦後補償資金を日本から取ろうとさまざまな名目で日本に資金を請求した。そのリストが8項目の「対日請求要綱」(1951年)だったが、そこでも「戦争による被徴用者への補償金」は挙げられていたが慰安婦に対する補償は入っていなかった。大多数の韓国人が植民地時代の実態を知っているその時期には、いくら反日政策を掲げる李承晩政権でも慰安婦に関して外交交渉でカネを取るなどということは考えなかったのだ。
性奴隷説は1965年の日韓国交正常化のときも出てこなかった。1983年吉田清治が『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)という本を出し性奴隷説が誕生するのだ。吉田は1943年に軍から朝鮮人女子挺身隊動員を命令され、済州島 で日本軍人らを引率し、若い未婚女性や赤ん坊を抱いた母親をかりたててあたりかまわずトラックで連行し、レイプしたという「体験」を語ったのだ。
吉田の著書は1989年に韓国 語訳された。実は現地の「済州新聞」の女性記者が現場を取材したところ、住民らが口をそろえてそのようなことはなかった、吉田は嘘をついていると語っていると1989年8月14日同紙記事に書いている。しかし、済州新聞の記事はほとんど注目を集めず、日韓の歴史学者や反日運動からの中で性奴隷説が静かに拡散していった。これが前史だ。
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