原子力は「主権の基盤」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【正論】京都大学原子炉実験所教授・山名元





 終戦記念日に、香港の活動家による尖閣諸島への上陸が強行されたことは、極めて遺憾であるが、それに先立つ韓国大統領の竹島訪問、一昨年のロシア大統領による北方領土訪問など、我が国の領土主権を脅かす隣国の行動がエスカレートしている。このような領土問題に関わる「国の主権」に対する危機感については、多くの国民が実感していることであろう。一方、「エネルギー政策」が、領土問題と同様に、我が国の存立と主権の根幹的基盤であることを実感する人は少ないのではないか。

 ≪論議不足のエネルギー安保≫

 国家戦略室で進められている、2030年における電源構成の選択肢((1)原子力0%、(2)原子力15%、(3)原子力20~25%)に対する意見聴取・募集などでは、「原子力の危険性をなくしたいという願望」や「国の原子力推進体制に対する不満」が突出して、「選択肢が国のエネルギー安全保障にどう影響するか」に関する情報提示や議論は明らかに不足している。

 「脱原子力と再生可能エネルギー」という将来像への観念的賛否が問われ、他国からの圧力や海外での紛争に対して主権を維持し堅牢(けんろう)な国を維持するための「エネルギー戦略」のあり方は、十分には問われていない。尖閣諸島の問題などを見るにつけ、他国からの圧力に毅然(きぜん)と対峙(たいじ)できるような、エネルギーや食料の強靱(きょうじん)な基盤を構築する重要性を改めて感じる。

国家戦略室による将来の電源構成の検討では、火力・再生可能エネルギー・原子力発電が同列のオプションとして扱われているが、これら三者はエネルギー安全保障の視点から見ると全く異なる。

 火力発電は、海外からの天然ガスや石炭の輸入にどっぷり依存し、燃料価格上昇や燃料産出国の資源戦略に強く左右される電源である。太陽光発電や風力発電などの再生可能エネルギー発電は、自然由来の自国産エネルギーだが、供給の不安定さ(天候依存)から需要に対して供給を確実には保証できない。このため、火力発電によるバックアップがないと能力をフルには発揮できず、しかも、その大規模な実現には長い時間と大きな国民負担が必要となる。

 ≪原発は「準国産の電源」だ≫

 これに対し、原子力発電は、地政学的に安定した国々からウラン燃料を確保すれば、長期にわたり安定的に発電を継続することができる。原子力発電は、ある程度の量のウランを確保すれば他国に依存することなく、短期から長期にわたる電力供給を保証できる、いわば「準国産の電源」である。

 原子力発電の「準国産性」は、発電コストの構成を見ると理解できる。国家戦略室が再評価した電源別の発電コスト(1キロワット時当たり)では、天然ガス火力10・7円、石炭火力9・5円、原子力9・0円と、三者ほぼ横並びである。しかし、火力発電のコストで燃料費と排出権費用の合計が全体コストに占める割合は、天然ガス火力87%、石炭火力71%であるのに対し、原子力発電の燃料費は全体コストの11%に過ぎない。

≪コストの大半がヒトと技術≫

 火力発電は、投入するコストの70~80%以上が、燃料と排出権のために海外に支払われるのだが、原子力は燃料費として海外に出るのは数%以下程度に過ぎない。火力発電が、コストの大半を海外に支払うことで電気を得るのに対して、原子力発電は、コストの大半を国内の「ヒト」や「技術」という“国内資源”に充てることで電気を作っており、まさに、「自国産のエネルギー」なのである。

 中国のエネルギー自給率(一次エネルギー)は94%であり、自給率が4%のわが国との違いは圧倒的である。東シナ海のガス田を視野に尖閣諸島を脅かすこの大国と対等で良好な関係を保ってゆくには、わが国の、エネルギー、食糧、経済力などの堅固な基盤を確保してゆくことが必須である。

 世界的な天然ガスや石油の価格上昇など将来的なエネルギー供給リスクを考慮すると、安全が確保されたうえでの「原子力カード」を持ち続けることが、国家安全保障の一つの現実策として重要な意味を持つ。人気の高い「原子力0%シナリオ」は、火力発電依存度が65%と高いうえ、再生可能エネ割合35%という実現性が危ぶまれるような前提に立脚しており、これでもって隣国や他の外国との競合に耐えてゆけるのかどうかが真に問われる。「脱原子力という贅沢(ぜいたく)な選択」をめぐる我が国の混乱を、海外各国は冷ややかに、虎視眈々(たんたん)と見ているのではないか。

 わが国が、現実的で強靱なエネルギー安全保障体制を持ち、安価で安定的なエネルギー供給に裏打ちされた技術力や経済力を持ち続けることは、海外との紛争を未然に防止し、我が国の主権を維持する力として機能する。いかなる政権であれ、政府がなすべきは、事故のショックから原子力を強く忌避する国民感情に対して、安全や規制の本質的な改善を提示したうえで、強靱な国を維持するための戦略的方策としての、原子力を含めたエネルギー戦略のあり方を、改めて問うことではないのか。

                                  (やまな はじむ)