日本の空を危険にさらす杓子定規の政策
「なぜ日本は眠ったか」と言われぬように・・・。
2012.08.15(水織田 邦男:プロフィール
1911年のイタリア・トルコ戦争において、史上初めての軍用機が戦場に投入された。以降、すべての軍事作戦は航空優勢が戦勝の必須要件となった。航空優勢とは「時間的及び空間的に航空戦力比が敵より優勢で、敵により大なる妨害を受けることなく諸作戦を実施できる状態」である。
航空優勢を失い惨めな敗戦を余儀なくされた日本
ミッドウェー海戦で米軍のB17爆撃機の攻撃を受けて回避行動中の航空母艦「飛龍」(ウィキペディア
より)大東亜戦争において、航空優勢なき帝国陸軍は奮戦敢闘虚しく敗れ、ミッドウエー海戦敗北以降、海洋の航空優勢を失った帝国海軍は残された大艦巨砲では為す術なく、我が国は惨めな敗戦を余儀なくされた。
近現代の戦争を分析した空軍戦略家ジョン・ワーデンは次のように述べる。
「いかなる国家も敵の航空優勢の前に勝利したためしはなく、空を支配する敵に対する攻撃が成功したこともない。また航空優勢を持つ敵に対し、防御が持ちこたえたこともなかった。反対に航空優勢を維持している限り、敗北した国家はない」
西太平洋での海洋覇権を目指す中国は、海洋の航空優勢、つまり海洋制空権なくして制海権なしとの認識から、巨額の予算を投じて航空母艦を保有しようと躍起になっている。
専守防衛という世界的にも稀有な国是を持つ我が国にとって、特にシーレーンを含む周辺空域の航空優勢なくして国家防衛は成り立たない。その中核は航空戦力である。
量では凌駕できない航空機の質
航空戦力には2つのクリティカルな特徴がある。1つは「質は量で凌駕できない」という航空戦力の質の重要性だ。ゼロ戦が100機束になってもF15の1機に対応できない。
性能の劣る航空戦力をいくら保有しても、性能に勝る航空戦力には太刀打ちできない。高性能を追求すると、結果として経費は高騰する。質を追求する航空戦力の宿命である。
もう1つは、航空戦力の造成には10年単位の長期間を要することである。現在使用中のF15戦闘機は、機種選定作業から最初の飛行隊が実戦配備に就くまで約10年の歳月を要している。空中警戒管制機AWACSについては、整備構想を策定してから保有するまで約10年かかっている。
昨年末、航空自衛隊の次期戦闘機はF35に決定した。これも戦闘機取得、操縦者や整備員の練成など、実戦配備には約10年はかかるだろう。
質の高い装備品を駆使して、航空戦力を如何なく発揮するのは質の高い人的戦力である。F35選定では国会でも話題になったように、装備品については世間の注目を浴びる。
だが人の養成についてはほとんど注目されることはない。質の高い人的戦力の養成は、航空戦力整備の中心的課題であるにもかかわらず、その問題点などは意外と知られていない。
10年の歳月と数億円の経費がかかる操縦者の養成
米ロッキード・マーチンが開発した次世代戦闘機「F35」〔AFPBB News 〕
戦闘機操縦者の養成は、約10年の歳月と数億円単位の経費がかかる。戦闘機操縦資格取得だけなら3~4年で終了する。だが、その程度の技量では実戦には到底使えない。
2機編隊長、4機編隊長などの資格を段階的に取得し、真に実戦で使える戦闘機操縦者を練成するには、やはり約10年の歳月が必要となる。
厄介なのは、養成に莫大な予算と長期間がかかる反面、現役として活躍できる期間が限定されているという点である。
戦闘飛行隊のトップは飛行隊長であるが、概ね40歳程度である。高性能化する現代の戦闘機では、現役の年齢は体力的にも40歳程度が限界である。
大卒者を例に取ると、地上教育を受けた後、23歳で飛行訓練を開始しても実戦で使えるようになるのは30歳過ぎである。ということは、現役で使える期間は7~10年程度となるわけだ。
有事になれば戦闘機操縦者の損耗は激しい。だが養成に長期間を要するので、損耗したからといって一朝一夕に穴埋めというわけにはいかない。このため、有事を見越した所要数を平時から確保しておく必要がある。
他方、10年先の有事を見積もることは非常に難しい。また養成には莫大な経費を要する。自ずと操縦者定数や養成数は予算で厳しく査定されることになる。
操縦者定数が限定されているため、新人操縦者を養成すれば、ベテラン操縦者が現役から退くことになる。新人養成数を増やせばベテラン操縦者が飛行隊から押し出され、新人養成数を減らせば、飛行隊の高齢化が進むというジレンマが生じる。
現役を退いた操縦者の人事管理も大きな課題である。
軍事組織として適正な人的ピラミッドを構成しなくてはならない。同時に飛行隊を退いた後のベテラン操縦者の高い技量をどう維持して予備戦力として確保するか。あるいはベテラン操縦者の知見やノウハウをどう組織に中で活用するかという人事管理上の課題がある。
一朝一夕には養成できない戦闘機操縦者を、10年先の有事に備えて、今どれくらい養成しておくべきかは、非常に難しい課題である。だが、これに失敗すると、国家の危機を招来することにもなり兼ねない。第2次世界大戦における英国空軍がそうであった。
ヒトラーのオウンゴールに救われた英国
1940年7月、ドイツのアドルフ・ヒトラーは英国本土攻略を企図し、その前哨戦として「バトル・オブ・ブリテン」が始まった。英国空軍とドイツ空軍が約4カ月にわたり、ドーバー海峡上空を舞台に激しく戦った航空優勢争奪の航空戦である。
英国は大戦前、ヒトラーの平和のゼスチャーに騙され、密かに軍備拡張を急いでいた事実を重大視せず、軍備拡充を怠った。
第2次世界大戦が始まった時、英国の最新鋭戦闘機スピットファイヤーの操縦者は約800人しかいなかった(参考:1941年の日本海軍の操縦者年間養成数は約2000人)。
「バトル・オブ・ブリテン」では、その少数精鋭の操縦者が不眠不休、文字通り獅子奮迅の働きをした。しかしながら軍備充実に遅れを取ったツケは重く、あと一押しで英国空軍は壊滅という瀬戸際まで追い込まれた。
ここでヒトラーが戦略的ミスを犯す。ヒトラーは作戦目的を航空優勢獲得からロンドン爆撃に変更したのだ。これにより、英国空軍は瀕死の状態から立ち直ることができ、英国は救われた。
「バトル・オブ・ブリテン」は英国が勝利したかのように言われているが、実はヒトラーのオウンゴールにより助けられたのが実情だ。
軍備拡充の遅れという政治的怠慢の犠牲になりながらも、見事に祖国を救った少数精鋭の操縦者たちに、首相だったウィンストン・チャーチルは次のような有名な賛辞を送っている。
「有史以来、人類闘争の歴史において、これほど多くの人間が、これほど少ない人間に、これほど多くの恩恵を被ったことはない」
今と比べて、比較的養成が簡単であった昔の戦闘機でさえこうである。養成に莫大な費用と、長期間を要する現代の戦闘機操縦者をどう養成し、管理していくかは、諸外国共通の重要課題である。航空戦力の要でもあり、各国とも国家施策として力を入れている。
米国では、空軍とは別に、予備役空軍と州空軍がある。現役を退いたベテラン操縦者をこれらの組織で受け入れ、貴重な高度技量を確保している。
世界の常識、空軍出身のエアライン操縦者
退役したベテラン操縦者はエアライン操縦者や弁護士、医者、会社員などの職業につきながら、仕事の合間に予備役空軍や州空軍で飛行訓練を受け、技量を維持する。
彼らは予備役操縦者として登録され、一朝有事には召集されて現役に復帰する。湾岸戦争、イラク戦争でも操縦者の約20%は予備役空軍から派遣されている。
韓国やイスラエルなど多くの国では、エアライン操縦者はほぼ全員、空軍出身であり、予備役に登録されている。
民間航空会社が操縦者を自前で養成すると莫大な経費がかかる。会社としては養成経費が削減でき、空軍としては操縦者の予備戦力が確保でき、適切な人事管理にも資するという一石三鳥の効果が狙えるわけだ。
日本の場合、操縦者の予備役制度はない。国家としての中長期的な検討課題であろう。これとは別に日本独特の制度として、これまで「割愛」という制度があった。
これは急増するエアラインの操縦者需要に対応し、大局的見地から我が航空産業発展に寄与することを目的とし、省庁間で覚書を交わし、37~40歳のベテラン操縦者を毎年一定数、民間に割愛するという制度である。
この制度は変動するエアライン操縦者の需要に応じて、自衛隊操縦者の無秩序な「引き抜き」が繰り返された経緯があって始まったものである。
民間航空会社にとっては即戦力が確保でき、養成経費が節約できる。自衛隊側にとっては、無秩序な戦力の流出が防止でき、同時に軍事組織としての適正な人的ピラミッドを構成するのに資する。
つまり若い年齢の「第一線戦力」と自衛隊に残った壮年以上の「予備戦力」の人的構成を適正に管理し、精強性を維持するのに役立つというわけだ。
だがこの制度も平成22年度以降、停止状態となった。平成21年9月、閣議で「公務員の天下りに対する厳しい批判に応えるとともに、行政の無駄をなくす観点から、あっせんを直ちに禁止する」との総理発言があり、それを受け、「防衛省によるあっせんは行わない」旨の防衛大臣通達が出された。
天下りとは全く違う「割愛制度」
「割愛制度」は言わば国家としての「操縦技能有効活用制度」であり、「航空戦力強化策」でもある。「天下り」とは全く異にする次元だと筆者は考える。
だが、「天下り」禁止の御時勢に過剰に反応した結果、この制度は停止状態に入り、平成22年度以降、割愛の実績はない。
繰り返すが自衛隊には予備自衛官制度はあるが操縦者の予備役制度はない。操縦者は航空戦力発揮の中核であるにもかかわらず、我が国には人的戦力の冗長性を確保しつつ精強性を担保する制度はないのだ。
予備戦力としては極めて限定的だが、唯一「割愛制度」が適正な人的構成確保に資する制度として存在してきたが、これも機能しなくなった。
今後、この影響は次のような問題を惹起し、徐々にボディーブローとして作用してくることが懸念される。
(1)割愛制度の停止は、壮年操縦者の退職人数を減少させる。操縦者の予算定数が変わらない限り、アウトプットが減ればインプットを減らさざるを得ない。結果として新人養成数削減を余儀なくされるが、新人養成数削減は、10年後の抑止力低下を招来することになる。
(2)定数を増やすことは問題解決の1つの方策ではあるが、現下の予算環境では期待できない。その帰結として、操縦者の高齢化が生じ、中長期的な精強性が著しく損なわれる。
(3)今後、民間は格安航空会社が増え、路線の増加が見積られている。同時期、シニア操縦者の大量定年を迎えるため、大幅なパイロット不足が予想される。割愛制度の停止により、以前のような無秩序な「引き抜き」が再開される可能性がある。「引き抜き」は若手操縦者が対象とされるため、ますます(1)(2)の傾向に拍車がかかる。
(4)地方公共団体が保有する消防ヘリやドクターヘリなどの操縦者需要はますます増える傾向にある。地方公共団体は操縦者養成の余力なく、即戦力の操縦者が必要とされる。自衛隊からの割愛が今後とも期待できない場合、大幅なパイロット不足が生じ、ドクターヘリなどの構想自体が危ぶまれる。
前述のように、航空戦力を構成する人的、物的戦力は10年先を見込んで計画的に整備しなければならない。現況に引きずられて操縦者養成数を増減させることは厳に戒めなければならない。
諸外国に比しても航空自衛隊の操縦者は驚くほど少ない。現在、操縦者総数は2000人にも満たず、12個ある戦闘機飛行隊の現役操縦者は400人にも届かない。操縦者年間養成数は80~90人程度であり、しかも予備役制度もない。
米国の1万5000人に対して日本は2000人以下
米空軍は現役1万5000人、予備役3000人、州空軍4000人の合計約2万2000人の操縦者を常時確保している。これとは比べるべくもないが、有事損耗の激しさを考えると、いかにも心もとない。
医者の養成数が年間約8000人、法曹関係者が約1500人と比べると、年間80~90人という数字が驚くほど少ないことが分かる。
「割愛制度」の停止が一因となって、今後、この少ない養成数をさらに削減しなければならないとしたら、安全保障上看過できない事態と言えよう。国家として適切な処置を講じなければ、そのツケは10年後に重くのしかかってくるに違いない。
操縦者という特殊な職能は国家の貴重な財産である。戦力維持という国防の観点からはもとより、我が国の航空事業全体の中でいかに国家として有効に活用していくかの視点が必要である。
「割愛制度」も「天下り」といった下世話な観点で捉えるのではなく、国家としての予備戦力確保、航空自衛隊の精強性維持、民間航空事業の発展といった大所高所の視点でとらえ、さらに改善、発展させていくことが求められる。
国防力の整備には時間と金がかかる。凶弾に倒れた米大統領ジョン・F・ケネディは、大学の卒業論文「なぜ英国は眠ったか」で、第2次世界大戦前の英国の国防力整備の遅れを論述している。
その中で彼は「ヒトラーが平和のゼスチャーの陰で密かにナチの軍備拡張を急いでいた間、なぜ、英国は軍備を怠ったか」と問いかけている。
戦後、ネヴィル・チェンバレン首相(在任期間は1937~1940年)のミュンヘン協定に対する批判の声に対しては、「批判家たちは間違った標的を攻撃している。(中略)批判は、この協定を作った英国世論の状態が、チェンバレンをして、ヒトラーへの屈服を余儀なくさせた英国の弱体軍備の背後にあったという要素を衝くべきであった」と指摘し、チェンバレンやボールドウインといった指導者を批判するよりも、ヒトラーの脅威に対抗できなかった英国の民主主義制度そのものにこそ責任があると喝破した。
「民主主義国家では、平和時に軍備のために税金を支払うものは少ない。それに乗じたヒトラーは密かに偽装軍備を進めてきた」とし、英国の準備不足が、ヒトラーとの宥和政策を進めた指導者たちではなく制度に問題があると指摘している。
日本も同じ過ちを繰り返してはならない。
現行制度の問題点は、時限爆弾として10年後に顕在化するのが航空戦力の特徴である。現在生きる我々は「なぜ日本は眠ったか」と後世の歴史家に問われぬよう最善を尽くす義務があるのだ。