夏休みに郷土の良い話を。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【解答乱麻】参院議員・山谷えり子 





 小学生の頃、ふるさと福井では授業に“郷土”があり、夏休みに郷土の歴史や生活を調べる宿題があった。

 先日、敦賀の郷土史研究家、井上脩氏(85)と話す機会があり、今もその伝統がつながれていることを感じた。

 読者の方々は杉原千畝(すぎはら・ちうね)「6千人の生命のビザ」の話をご記憶の方も多いと思う。昭和15年7月、リトアニアの日本領事館の外交官、杉原千畝はナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人を助けるために通過ビザを発行した。このことは今年の中学「新しい歴史教科書(自由社)」「新しい日本の歴史(育鵬社)」にも載っている。ビザの発行を受けた人々はシベリア鉄道でウラジオストクへ行き、そこから船で福井県敦賀の港に着いて渡米の機会を待ったのである。

 月に約千人が次々と上陸する中、敦賀のお母さんたちは大きなおむすびを作り、果物屋さんはリンゴやバナナを配り、銭湯は無料で開放され、学校では先生方が生徒に「ユダヤの人は国がないけれど、だからこそ親切にしなければならない」との教えを示した。ユダヤ難民は着の身着のまま、靴を針金で縛って履いている姿もあったというが、人々の温かいもてなしに「敦賀は本当に天国だった」と感動の言葉を残している。

 杉原ビザに助けられた6千人の“杉原サバイバー”は、今や子孫が25万人にのぼるといわれている。渡米後の生活の調査も進んでいる。

 こうした話を先日イスラエルに行ったとき、政府高官や若者に話すと涙を流す人もおられた。

 ところで、日本で建国の理念を聞いても答えられる人は少ないだろう。ほとんど教えられていないからである。フランスが「自由、平等、博愛」を標榜(ひょうぼう)し、アメリカは独立宣言で「権利、自由、民主主義」をうたっていることを知っていても、日本の建国の理念を語れる若者は少ない。戦後の憲法で初めて「国民主権、基本的人権、平和主義」がうちたてられたのであって、それまでの日本は封建的で、立派な価値観がない“遅れた国”だったなどと戦後教育で思い込まされている世代が今やほとんどと言ってもいいかもしれない。

日本は世界で最も古い歴史を持つ文化国家であり、しかも最先端ハイテク国家である。初代神武天皇は奈良の橿原宮(かしはらのみや)で「橿原奠都(かしはらてんと)の詔(みことのり)」を発せられた。人々をおおみたからと呼んで一人一人の幸せを願い、有徳国家の建設と、一つ屋根の下に住む家族のような温かい世界作りを建国の理念とされた。つまり日本は“人道主義”“道義国家”“平和国家”を国造りの心としてきたのである。

 昭和15年の「人道の港、敦賀」での出来事は、まさに“一視同仁(いっしどうじん)”や“八紘一宇(はっこういちう)”の日本の心そのままの姿ではないかと井上氏は謙虚なまなざしで語られ、若い世代にこの港の誇りを熱心に伝えておられる。

 最近の学校は夏休みの宿題をあまり出さなくなった。以前は神社や寺の緑陰教室で異年齢仲間と山のような宿題をやりとげたものだが、今は個々バラバラに塾に通い、知識の断片を詰め込む夏休みとなっている。

 もし皆様の身近に自由研究の宿題が出ている子がいれば、ふるさとの良いお話を伝えてみたらいかがだろう。各地の美しい話は、そのまま日本の美しい姿につながるものである。美しい話を知ることは心を浄化し、善く生きる力となる。

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【プロフィル】山谷えり子

 やまたに・えりこ サンケイリビング新聞編集長、首相補佐官(教育再生担当)など歴任。1男2女の母。