五輪という「はめはずし」 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






【日の蔭りの中で】京都大学教授・佐伯啓思

http://sankei.jp.msn.com/london2012/news/120716/otr12071603280000-n1.htm






あと10日ほどでロンドン・オリンピックである。ロンドンでの開催は1908年、48年に続いて3度目となる。近年のオリンピックといえば前回の北京にせよ、少し前のシドニーにせよ、ソウルにせよ、また、次回のリオデジャネイロにせよ、新興国の国威発揚という面が強い。











 開会式など開催のたびに派手な演出へと傾き、特に4年前の北京の場合はアトラクションの見せ物と化した大仕掛けのものであった。その意味では、新興国ではあるまいし、いまさら派手なパフォーマンスも国威発揚とも無縁のはずのイギリスがどのようなオリンピックを演出するかは興味をひくところだ。

 もっともオリンピックが国威発揚の場であり、その国の文化や価値まで表出してしまうには理由がないわけでもない。オリンピックはいうまでもなくスポーツ大会の頂点だ。そしてスポーツとは、もともとディス・ポルトという言葉から発しているそうである。

 ポルトとは、港であり、船の左舷という意味だ。どうして左舷というかというと、通常、船が接岸するのは左舷だからである。すなわち、ポルトとは、港に船が横付けになることを意味している。とすると、ディス・ポルトとは、船が港に横付けになっていない状態、すなわち不安定で秩序を逸しており、いわばはめをはずした状態なのである。ポルトにはまた、態度、挙動という意味もあるので、それから類推してもディス・ポルトとは、はずれてしまった態度、といったニュアンスがあるのだろう。

 どうみてもあまりよい意味ではない。だからスポーツには、運動競技という意味のほかに、気晴らし、ふざけ、冗談などという意味もある。これも確かに、精神が港にちゃんと接岸されず、はめをはずしてしまった状態なのである。

 とすると、どうやら4年前のあの北京流のはめをはずしたような(とはいえ、むろんすべて計算ずくの)派手な開会式など、ディス・ポルトにふさわしいともいえるわけで、オリンピックがますますパフォーマンスの様相を帯びてくるのもまた当然ともいえよう。もともとはマイナスイメージであったディス・ポルトがいつのまにかプラスイメージになってしまったからだ。

 さらにいえば、スポーツという「はめのはずし方」は、ただの気晴らしなどというレベルを超えて、獲物をめぐる戦士たちの集団の相互の戦闘を思いおこさせる。

 事実、以前に一度この欄でも書いたことがあるが、スペインの哲学者、オルテガは、スポーツは、特に女性を獲得するための男性の部族集団同士の争いに発している、という種類のことを述べている。だから、そこでは集団の一致結束が求められ、厳しい規律が要求され、しかも戦いに勝つことに高い名誉が与えられる。ここに、部族の結集がなされ、それが国家のひとつの起源だ、というのだ。

 もちろん、起源といっても別に歴史学の真理を論じているわけではなく、国家なるものを理解するひとつの手だてであるが、ここにオリンピックを重ねてみると、よくわかる気がする。

                   


 


いやサッカーのワールドカップの方がいっそう理解しやすいかもしれないが、いずれにせよ、スポーツとは本質的に観客の前で名誉をかけて戦う見せ物なのであり、またそのことによって部族の一致団結をうながすものなのだ。

 スポーツの勝者は、当然ながら皆から喝采をあび、女性にもて、部族のヒーローとなってゆく。もちろん、かつての部族は今日では国家になっており、この見せ物が同時に巨大な国威発揚になるのである。だが面白いことに、それは、ディス・ポルト、すなわち港の岸壁からはずれることであり、はめをはずすことでもあったのだ。

 オリンピックというと、私などどうしても1964年の東京オリンピックを思い起こす。私は中学生であった。しばしばいわれるがこのオリンピックは、特に日本にとっては独特の意味をもっていた。ひとつは、これがアジアで初のオリンピックであり、日本が文字通り、敗戦から立ち直ってアジアの最先端を走る先進国家となったことを意味していた。また、これは高度成長を強力に後押しし、日本の経済発展を決定づけた。そうして、このオリンピックは日本人に大きな勇気と自信を与えたといわれている。

 なにせ中学生なので、日本人の自信と勇気はよくわからない。ただこの時ほど、皆がディス・ポルトに浮かれていたときはなかった。オリンピックは、その多くが首都で行われ、どうしても都市ではなく、その国を代表することになる。特に東京の場合はそうだった。東京は、日本人すべてにとっての近代日本の象徴であり、発展と先進の象徴であった。「東京」に日本のすべてがかかっていた。

 それから50年弱。再び東京が開催国となる可能性もでてきている。考えてみれば、確かに64年のオリンピックのあたりから「日本丸」は岸壁を離れてしまったように思われる。古き日本、伝統的日本、昔ながらの日本の風景や習慣や地域など、このあたりから急激に変わりだしてゆく。高速鉄道、高速道路網、高層ビルというグローバルな基準へと東京も日本も変化していった。

 確かにディス・ポルト(離岸)して、その後、日本中がディス・ポルト(はめをはずす)ようになった。それから50年たって、この船はどこへいこうとしているのだろうか。接岸すべき岸壁はあるのだろうか。その前にロンドンはどこへ接岸するのだろうかと気になるのだ。

(さえき けいし)