古事記編纂1300年 第1部(5)最古のラブストーリー。 | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 










【日本人の源流 神話を訪ねて】





大型トラックやバスがひっきりなしに通る国道9号をはさんで、神話の舞台は対照的な姿をしていた。

 稲羽(因幡)の白兎(うさぎ)がわにを欺いて上陸したという白兎(はくと)海岸は、建造物がなく白波が打ち付ける自然そのものの姿だった。ほど近い白兎神社は、参道に白兎像がいくつも並び、オオクニヌシノミコトとヤカミヒメが睦(むつ)む砂像までつくられていた。絵馬はハート形で、おみくじは恋みくじ。今は、縁結びの神社として人気を集めているのだ。

 〈日本最古のラブストーリー。縁を結んだ白兎〉

 神社の縁起を記す読み物にはそうある。オオクニヌシはヒメに求婚するためにこの地を訪れた。ただし、ライバルが多かった。八十神(やそがみ)と言われる兄の全てがそうだった。兄たちに遅れてやって来たオオクニヌシは大きな袋を背負っている。兄たちの従者として、ようやく稲羽に来た姿を古事記は強調している。

 「末弟が悪条件を克服して英雄になる神話の型は世界各地にある」

 そう話すのは門田眞知子・鳥取大教授である。

 「兎も古くから、神や自然界の秩序を破って新たな世界を創造するトリックスターとして、世界中の民話で登場する。東南アジアには、陸上の動物が水中の動物をだまして水を渡る説話も存在します」

1300年前の古事記の筆者は、こうした世界の流行を知っていたのではないか、という指摘である。


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 世界の神話・説話で兎が好んで使われるのは、多産で豊穣(ほうじょう)のシンボルというイメージがあるためだ。その上、すばしっこくて賢い動物である。

 その兎を八十神はだまして傷を悪化させる。同情して治療法を教える知者・仁者として、古事記はオオクニヌシを描く。今も医薬の神として祭られているのは、この故事による。

 治療法を教える姿も実は、出雲の先進性を訴えるものだ。門田氏の研究チームが書いた『伯耆のもう一つの白兎神話』によると、733年に記された『出雲国風土記』には61種に上る薬草名が記されている。その18年前に完成した『播磨国風土記』に記された薬草は7種、721年完成の『常陸国風土記』にはわずか2種しか出ていないのに、である。

 「進んだ文化、知識を出雲から稲羽に持ち込んだ神としてオオクニヌシは描かれている。それも海を渡って来たのではないか。白兎がわにをだまして海を渡るストーリーは、それを暗示しているのでしょう」


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 「八十神はかならず八上比売(やかみひめ)を得じ。袋を背負ひたまへども、汝命(いましみこと)獲たまはむ」

 白兎はそう予言し、ヤカミヒメは予言に沿った言葉を、求婚に訪れた八十神に言う。

 「吾(あれ)は汝等(いましたち)の言(こと)を聞かじ。大穴牟遅神(おおあなむぢのかみ)に嫁(あ)はむ」

 オオアナムヂノカミとはオオクニヌシのことだ。古事記ではオオクニヌシは、4つの別名でも登場する。

 「古代の信仰では、その土地の女神と結婚することはそこを領有することだった」と、小島瓔禮(よしゆき)・琉球大名誉教授は説く。古代の稲羽はヒスイを産した。ヒスイは古代の装飾品、勾玉(まがたま)の原料である。

 オオクニヌシはその後、須佐之男命(すさのおのみこと)の娘、スセリヒメをはじめ、越のヌナカワヒメ、宗像(むなかた)神社のタキリヒメらと次々に結婚する。

 古事記が国造りとする記述は、国盗りの歴史をも描いている。オオクニヌシが4つの別名を持つのは、国造りを1人の神の功績とし、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の子孫への国譲りに物語をつなげる作意とする説もあるが、うなずける気がする。





 ≪稲羽の白兎≫

 須佐之男命の子孫、オオクニヌシノミコトは、稲羽(因幡)のヤカミヒメに求婚する兄の八十神たちの従者にされ、遅れて着いた気多岬で、泣いている白兎に会う。白兎はわに(鮫)をだまして上陸したが、嘘がばれて毛皮をむかれ丸裸にされたと話す。八十神に「潮水を浴びて体を乾かせば治る」と言われてその通りにすると、皮膚がひび割れ、激痛に襲われていると訴える。

 「真水で体を洗い、蒲(がま)の花粉をまいた上で寝ていれば、傷は治る」

 オオクニヌシの助言通りにすると、傷は癒えた。白兎は礼としてオオクニヌシに予言する。「今は兄たちから低くみられても、ヒメはあなたを選ぶでしょう」。ヒメと結ばれたオオクニヌシは、八十神たちの嫉妬を買い、何度も落命するが、その度に母神の助けで蘇生し、スサノオが与える試練にも耐えて、国造りに着手する。



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