【皇室ウイークリー】(236) | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 






「皇籍離脱」「ネグレクト」報道に宮内庁幹部“反撃” 

「生涯で最も楽しい…」陛下に感動した金メダリストは?



寛仁親王殿下の墓を訪問するため、先週は予定されていた地方での静養を見合わせ、お住まいの皇居・御所でゆっくり過ごした天皇、皇后両陛下は、今週は通常の日程に戻られた。27日にはスロバキアのガシュパロビッチ大統領夫妻と皇居・宮殿で会見し、続いて午餐(昼食会)に臨まれた。午餐には秋篠宮ご夫妻も同席された。側近によると、沖縄戦が終結した6月23日には、例年通り正午に黙祷し、終日思いをはせられたという。

 皇后さまは26日、皇居の紅葉山御養蚕所で、飼育している蚕に桑の葉を与える「御給桑(ごきゅうそう)」を行われた。養蚕は明治4年に昭憲皇太后が始め、代々の皇后に受け継がれている。皇后さまは平成元年に香淳皇后から引き継がれた。

 養蚕所には、日本古来の品種「小石丸」や、日本産と中国産の交配種の白繭種などが計約12万匹育てられており、毎年春から初夏にかけ、蚕の成長に応じて皇后さまが世話をされている。昨年の御給桑は5月27日に行われたが、今年は5月中旬の両陛下でのロンドンご訪問を勘案し、昨年より約1カ月遅いこの時期になったという。

 御給桑では、皇后さまはまず、養蚕所の1階で育てている小石丸に桑の葉を与えられた。6センチほどに育った蚕に耳を近づけて葉を食べる音に耳を澄まし、「たくさんいただくんでしょうね。(桑の葉は)足りますか?」などと質問された。

 続いて2階で育てている蚕にも葉を与えられた。2階では長さ約13メートルの飼育台で蚕が飼われており、皇后さまは、養蚕所の主任から茎のついた大きな桑の葉を受け取り、一本一本丁寧に置かれていった。皇后さまは、中国など各国の養蚕事情についても質問されていた。

皇后さまは少しかがみながら葉を与えていたため、葉をやり終わってから、「少しからだが痛くなったわ」と笑顔で話し、養蚕所を後にされた。

 2日後の28日には、皇后さまは糸を吐く直前の時期になった蚕を、わらで編んだ網などに移す「上蔟(じょうぞく)」の作業をされた。

 皇太子さまは25日、タイ、カンボジア、ラオスの東南アジア3カ国公式訪問のため、政府専用機で羽田を出発し、同日中に最初の訪問国・タイの首都バンコクに到着された。皇太子さまはバンコクに2泊し、27日にはカンボジアの首都プノンペンにご移動。29日に最後の訪問国・ラオスに入られた。

 皇太子さまが海外への公式訪問をする際には、出発前に記者会見をされるのが定例となっている。今年は直前の20、21日に、急きょサウジアラビアを弔問することになったため、記者の質問に文書で回答を寄せられた。

 今回、在日外国報道協会は、王室のある訪問国のタイと、女王がいる英国の例を引きながら、「日本で女性天皇を認めることで、現代社会をより反映することができるとお考えですか」とする質問をした。

 今回のご訪問とはあまり関係がないこの質問に、皇太子さまは「お尋ねの趣旨は各国の制度に関わる事柄ですので、私の立場から何か申し上げることは控えたいと思います」とかわされた。

 皇太子さまは、バンコクで日本人学校をご訪問。カンボジアでは、1993年に国連平和維持活動(PKO)に参加中、武装グループに殺害された国連ボランティア中田厚仁さん=当時(25)=と岡山県警の高田晴行警視=当時(33)=の慰霊碑に献花された。世界遺産のアンコールワットも訪問された。

宮内庁の小町恭士東宮大夫は29日の定例会見で、皇太子さまが訪問したタイで、入院中のプミポン国王が一時退院し、夫妻で迎えられたことについて「非常に厚いおもてなしだと思っています」と説明した。

 小町氏は7月5日で、東宮大夫に就任して1年となるが、週刊新潮7月5日号に『雅子妃にネグレクトされた「東宮大夫」12カ月』と、写真付きで名指しの記事が掲載された。内容は、皇太子妃雅子さまと小町氏の関係について書かれたもので、小町氏は会見で同誌への対応について質問され、「ちょっと考えてみてもいいと思いますが、週刊新潮に関しては向精神薬事件以来、関係がございますので」と皮肉を交えて苦笑した。

 小町氏が述べた“向精神薬事件”とは、平成22年に皇太子ご夫妻の長女、敬宮愛子さまが通学への不安感を訴え、学習院初等科を続けて欠席された問題にからんで同誌が掲載した記事だ。記事は、東宮職が、「乱暴な男児」の給食に向精神薬を混ぜることを提案した、という内容で、宮内庁はすぐさま訂正を要求。当時の野村一成東宮大夫は会見で「これほどひどい内容を出していいということにはならない」と強く批判するなど、記事をめぐって騒動となった。

 小町氏は記者から1年を振り返っての感想を尋ねられ、「まだまだ至りませんが、両殿下のご指導を受けて、ぜひ東宮ご一家を一生懸命支えていきたいと思います」と控えめに答えた。

また、宮内庁の風岡典之長官は28日の定例会見で、「女性セブン」7月5日号に掲載された、寛仁親王妃信子さまの皇籍離脱の可能性を報じた記事について言及した。

 記事は「『承認いらずの皇籍離脱』実現のシナリオ」と題するもの。記事の中では「宮内庁関係者」が、「信子さまから“皇籍離脱”の話があっても、前例主義の宮内庁としては、なんとしてでもご本人を説得して引き留めようとするでしょうね」とコメントしている。

 風岡長官はこの発言について、「このこと(皇族以外の女性が親王妃となり、夫を失った場合の皇籍離脱)については皇室会議はいらず、本人の意思のみで皇籍離脱ができるということが(皇室典範で)明確になってます。従って寡妃の皇籍離脱に関して、宮内庁が直接かかわるということはありえない」と説明した。

 6日に亡くなられた寛仁さまの「権舎二十日祭の儀」が25日、港区の寛仁親王邸で行われ、皇族方が参列された。続いて豊島岡墓地(文京区)で、「墓所二十日祭の儀」が執り行われた。

 この日の午後、来日していたトンガのトゥポウトア皇太子が、親王邸を訪れ、寛仁さまの長女、彬子さまに弔意を伝えられた。寛仁さまは、今年3月に亡くなったトンガのトゥポウ5世前国王と留学先の英国・オックスフォード大で、同大に留学していた国王と知り合って以来、親交をお持ちだったという。皇太子は前国王の甥に当たる。秋篠宮ご夫妻は26日に、常陸宮ご夫妻は27日に、それぞれ皇太子とお会いになった。

さて、ロンドン五輪開幕まで1カ月を切り、日本選手のメダル獲得に期待が高まっている。ローマ五輪翌年の昭和36年には、皇太子・同妃時代の両陛下が、同五輪男子マラソン金メダリストの“はだしの王者”ことアベベ・ビキラ選手(エチオピア)と、当時お住まいだった東宮御所(東京都港区)でお会いになったことがある。

 当時の新聞によると、39年には東京五輪開催が控えており、陛下は「オリンピック東京大会に来て妙技を見せてください」と励まされた。アベベ選手は「きょうは生涯でもっとも楽しい思い出だ」と感激していたという。アベベ選手は、東京五輪では見事金メダルを獲得、男子マラソン2連覇の偉業を成し遂げた。

 


各宮家は今週もさまざまな公務を果たされた。

 


 秋篠宮ご夫妻は23日、品川プリンスホテル(港区)で、日本スポーツ少年団創設50周年記念式典に出席された。26日には、日本科学未来館(江東区)で「第14回日本水大賞・2012日本ストックホルム青少年水大賞」の表彰式に臨まれた。

 秋篠宮さまは28日、東京大学総合研究所博物館(文京区)の研究会に出席し、29日には東京農業大学厚木キャンパス(神奈川県厚木市)で講義をされた。

 宮内庁によると、疲労により入院し、一時かぜの症状があった三笠宮さまは、平熱に下がり、今週からは廊下を歩くような運動を徐々に行われているという。

 高円宮妃久子さまは26日、来月25日から31日まで開かれる産経国際書展について、産経国際書会会長代行と接見された。27日には駐日フィンランド大使とお会いになった。28日には、ホテルニューオータニ東京(千代田区)で、スロバキアのガシュパロビッチ大統領夫妻歓迎レセプションに出席された。29日には、帝国ホテル(千代田区)で、ロンドン五輪セーリング競技日本代表選手団壮行会に臨まれた。




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               スロバキアのガシュパロビッチ大統領夫妻と会見される天皇、皇后両陛下

                               =27日午前11時46分、皇居・宮殿(代表撮影)


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                  アユタヤ遺跡を視察される皇太子さま=26日、アユタヤ(共同)