陸軍が用いた海上戦力とは? | 皇国ノ興廃此一戦二在リ各員一層奮励努力セヨ 







草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦在リ各員一層奮励努力セヨ。大日本帝国憲法復活! 


2012.06.27(水)桜林 美佐:プロフィール


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 先日、旧知の方と偶然に会い、挨拶もそこそこに「ところで『船舶隊』と『船舶工兵』はどちらが正しいのかな」という質問を投げかけられた。

 詳しく説明すると、その方が愛唱していた「船舶隊の歌」という曲が「船舶工兵の歌」と題されて掲載されている本があるということであった。

 ちなみに「船舶隊」は海軍ではない。陸軍の部隊だ。外地に赴くための物資輸送を担っていたのが陸軍船舶司令部で、広島県の宇品にあったが、その隷下全てが船舶隊と呼ばれた。

 別名「暁部隊」──。特殊な船を持ち、その船から多数の上陸用舟艇が出入りすることが可能だったという。「船舶工兵」はこの輸送任務を担っていたと見られる。

ボートに爆弾を積んで体当たりする陸軍の特攻隊

 もう1人、最近、偶然再会した方がいる。1944(昭和19)年に発足した「陸軍海上挺進戦隊」に所属したMさん。陸上自衛隊第一施設団の部隊行事で久しぶりにお目にかかったのだ。

 Mさんは陸軍士官学校57期。終戦後は自衛隊の前身である警察予備隊に入隊した。陸軍海上挺進戦隊とは、ベニヤ製のボートに250キロ爆弾を積んで夜間に敵艦隊に密かに接近し、体当たり攻撃をするというもので、陸軍による舟を使った特攻隊であった。

 秘匿名称は、用いた連絡艇(れんらくてい)の「れ」を取って「〇」で囲んだ「マルレ」。陸軍にこのような部隊が存在したこと自体が極秘だったために、情報は厳重に管理され、現在もこうした事実さえあまり知られていない。

 1945(昭和20)年3月、沖縄の慶良間地区では3個の海上挺進隊が「その時」をじっと待っていた。Mさんもその中にいた。

 生還することなど望めない作戦だった。「その時」とは、すなわち死地に赴く時のことだ。しかし、国を守るためにはもはや他に策なしという段となっていた。

沖縄に縁もゆかりもない隊員が多かったが、沖縄県民を巻き添えにしたくないという思いも強かったという。

 3月23日、沈黙は破られた。怒涛のごとき米軍の大部隊が襲来したのは、まさにその慶良間列島であった。空からの圧倒的な攻撃に日本軍はなす術もない。

 そして4日後に米軍は渡嘉敷島に奇襲上陸する。特攻艇出動の時が到来したのだ。ところが、彼らに思いがけない指令が下された。

 「作戦は中止。特攻艇を直ちに沈めよ!」

 全身の力が抜けた。助かったという思いなどではない。国に身を捧ぐ覚悟をしていた身にとっては寝耳に水のことだったのだ。

 この判断の背景には、この時、沖縄本島にも特攻艇の部隊が展開されていたため、本島に敵の手が及ぶ前に、この時点で手の内を明かすわけにはいかないという考えがあったようだ。

 Mさんたちのその後は壮絶だった。なんとしてもこの島を守らねばならないという思い一つで、軽火器程度の装備しかなかったが、海岸で敵を待ち受けたのだ。

 海上特攻隊として編成されたため、陣地もなければ陸上戦闘のための武器もない。しかし、もとより舟で体当たりしようとしていたのだ。舟がなくなった今となっては、身を盾にして戦うしかない。雨あられと弾の飛び来る中、体を張って敵の進行を少しでも食い止めるしかなかった。

 渡嘉敷島で集団自決が起きたのはこの頃だった。この痛恨の経験から、Mさんは今でも渡嘉敷での慰霊祭に参加している。

 戦後は、あの美しい島の人々や日本のために、一度は諦めたその身を国防に捧げようと自衛官となった。そして、戦死した部下の故郷にずっと住んでいる。部下の霊とともに生きようと決めたからだという。

「専守防衛」での陸上戦が意味するものは?

 今回このような話を書いたのは、沖縄戦についてどうこう言いたいわけではない。それは、読者の皆さんがそれぞれに汲み取り、考えていただければ幸いに思うのだが、ふと思うところがあったのだ。

 それは、昨今、熱を帯びてきた「陸上自衛隊に海兵隊的機能を期待する」という議論についてだ。

 JBpress上でも拙稿や北村淳氏の論考など、繰り返し取り上げられているテーマであり、国会でも石破茂元防衛大臣がしばしば発破をかけているが、今、わが国でそのような装備を保有した場合はどうなるのだろうか。

 陸海空の統合運用は確かに欠かせないが、陸軍がかつて船舶隊や船舶工兵という自前の輸送機能を有していた史実は注目に値する。

 連携だ協力だと言っても、そう上手くはいかないのは今に始まったことではなく、この方式がやりやすかったのだろう。

 歴史とは皮肉なものだ。今は日米同盟があり、状況は全く違うのだが、万が一、日米同盟がなくなった場合、専守防衛の日本の陸上戦闘は、制空権を奪われた中で何ができるかというと、「マルレ」のような特攻作戦しかなくなってしまうのではないだろうか。

 米海兵隊が上陸作戦を敢行するのは、当然ながら制空権を取ってからである。陸自が装備を多様化させるのはいいが、それだけで島嶼奪還ができるわけではない。

 憲法改正を含めた国のあり方そのものの深い論議が必要であり、また、そんな気を起こさせない国の守りが何より求められる。