西岡 力ドットコム より。
ニュージャジー州パリセーズパーク市につづいて、米国で二つ目の慰安婦の碑がニューヨーク州で建てられた。韓国
紙によると、「ニューヨーク州ナッソーカウンティのアイゼンハワーパーク内のベテランズメモリアルに6月16日に、これまで在米韓国
人社会が秘密裏に準備してきた従軍慰安婦記念碑が韓国
から到着し建てられた。記念碑は従軍慰安婦犠牲者の苦痛と壮絶さ、そして彼らが流
した血を象徴するため赤い花崗岩で作られた。記念碑の碑文には20万人の少女が日本軍の『性的奴隷』とするために強制的に拉致され、こうした卑劣な犯罪は絶対忘れないというメッセージを入れている」(中央日報6月18日)という。
性的奴隷云々については、事実無根の主張がどの様に広まっていったのかについて、私は「月刊正論」今年(2012年)5月号に詳しく書いた。近く、その拙稿を本ブログにも掲載するつもりだ。しかし、朝鮮人慰安婦20万人という数字は一体どこから出てきたのか、少し調べてみた。5月6日ニュージャジー州パリセーズパーク市長と面会して碑の撤去を求めた古屋圭司議員らによると、市長側は、20万という数字は4人の学者の学説を根拠としていると抗弁したが、その4人の名前を明らかにしなかったという。そこで説を主張している学者を捜してみたが、その説は左派学者でも学説としては認められていなことが分かった。
そもそも20万という数字は1970年に韓国
紙が挺身隊として勤労動員された日本女性と朝鮮女性の総数として挙げた数字だった。それが引用されるたびに誇張わい曲され、1990年頃から日本では「慰安婦総数8万から20万」、韓国では「朝鮮人慰安婦10万から20万」という数字になり、それが今でも使われている。
一方、1990年代以降、慰安婦問題
についての論争が展開され、史料の調査が進みましたが、慰安婦総数を示す史料は存在せず、学者らは兵員総数、慰安婦1人あたりの兵士数などで総数を推計しているだけだ。その推計数字でも朝鮮人慰安婦20万という説は出てこない。
以下、事実無根の朝鮮人慰安婦20万人説が出現した経緯をまとめた。
事実無根の朝鮮人慰安婦20万人説が出現した経緯
1 ソウル新聞「挺身隊として勤労動員された日本と朝鮮人女性20万、うち朝鮮女性5万から7万」(1970)
1970年8月14日付けソウル新聞に「1943年から45年まで、挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は、全部でおおよそ20万。そのうち韓国の女性は、5 - 7万人とされている」という記述がある。軍需産業への勤労動員であった挺身隊への動員に関する記述であり、慰安婦とは全く関係がないし、20万という数字は日本人と朝鮮人を合わせた勤労動員数だった。
2 千田夏光「挺身隊として動員された朝鮮人慰安婦20万、うち5万から7万が慰安婦」(1973)
元毎日新聞記者で左派作家である千田夏光が、1973年に出版した単行本で上記ソウル新聞記事を以下のように二重に誤訳した。第1に勤労動員された日本人と朝鮮人の合計の数字だった20万を朝鮮女性だけの数字にわい曲し、第2に勤労動員された朝鮮女性の数字だった5~7万を慰安婦の数字とわい曲した。
「冷静なる数字としてこんにち示し得るのは、元ソウル新聞編集局副局長で現在は文教部(文部省)スポークスマンを務めておられる、鄭達善氏が見せてくれた一片のソウル新聞の切り抜きだけである。そこには一九四三年から四五年まで、挺身隊の名のもと若い朝鮮夫人約二十万人が動員され、うち“5万人ないし7万人”が慰安婦にされたとあるのである。」(『従軍慰安婦』(双葉社)101~102頁)
※韓国の元老ジャーナリストで現代史研究家の宋建鎬が1984年韓国で出版した『日帝支配下の韓国現代史』という本で、「日本が挺身隊という名目で連行した朝鮮人女性は、ある記録によると20万人で、うち5~7万人が慰安婦として充員された」と千田説を無批判で採用している。
3 金一勉「朝鮮人慰安婦17~20万」(1979)
在日朝鮮人評論家の金一勉が、突然、1979年に出版した本『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』 (三一書房)などで朝鮮人慰安婦17万~20万説を主張する。しかし、具体的根拠を示していない。金一勉は在野の評論家で事実関係に関する厳密な検証をせず書き飛ばすことで有名だった。
4 尹貞玉、韓国
挺身隊問題対策協議会「朝鮮人慰安婦10万から20万」
1990年11月に結成された韓国
挺身隊問題対策協議会(挺対協)の初代会長で梨花
女子大学教授の尹貞玉は具体的根拠を示さず「日本軍が十~二十万人もの朝鮮の未婚女性を、強制連行などで慰安婦にした」(朝日新聞1991年7月18日)と主張している。
挺対協は最近まで「日本帝国主義がアジア女性10~20万名を国家制度として企画、立案して組織的に強制連行、拉致して日本軍の性奴隷にした世界でも類例のない残虐な犯罪だ」とまったく事実に反する主張をホームページに堂々と掲げていた。
5 朝日新聞など「慰安婦8万から20万、うち8割が朝鮮人」
1990年代に入り、元慰安婦が名乗りを上げ挺対協が韓国で活動を始めた頃から、日本では「慰安婦8万から20万」という数字が根拠なく一人歩きした。しかし、この8万~20万は日本人を含む慰安婦全体の数字で、朝日の書いた朝鮮人の比率8割を採用しても朝鮮人慰安婦は6万~16万にしかならない。
「1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる。」
6 1990年代後半以降、歴史学者らが慰安婦問題
について激しく論争を展開した。慰安婦総数についても論争はつづいている。慰安婦の総数を知りうるような総括的な資料は存在せず、総数についてのさまざまな意見はすべて学者らの推算だ。
慰安婦の総数の推計
日本人の代表的学者
秦郁彦 2万人 (『慰安婦と戦場の性』新潮社、1999年)
吉見義明 4万5千~20万 (『従軍慰安婦』岩波新書、1995年)
吉見教授でも日本人を含む慰安婦総数が最高20万と推計しているのであって、朝鮮人慰安婦20万人説は主張していない。
中国人学者蘇智良は36万~41万という推算をしている。(『慰安婦研究』上海書店出版社、1999年)しかし、彼も朝鮮人慰安婦20万説を主張してはいない。
※推算の根拠は「日本軍の兵員総数をとり、慰安婦一人あたり兵員数のパラメーターで、これを除して、慰安婦数を推計する。この場合に交代率、帰還による入れ替りの度合いが考慮に入れられる」(アジア女性基金デジタル記念館)