【野口裕之の安全保障読本】
西太平洋からインド洋にかけて「マハン」に加え「コーベット」の亡霊まで憑依(ひょうい)し始めた。「マハン」とは「シー・パワー=海上権力」論を唱えたアルフレッド・セイヤー・マハン米海軍少将(1840~1914年)。「コーベット」は、マハンに異を唱えた英戦略思想家、ジュリアン・コーベット卿(1854~1922年)を指す。
米軍は伝統的にマハン理論を信奉してきた。
ところが、米軍はじめ米海軍大学のジェームス・ホームズ准教授ら一部専門家は、今やマハンだけではなく、コーベットにこそ学ぶべきだと主張し始めた。
対中安保戦略の変化
背景には、米国の対中国安全保障戦略の変化がある。新戦略は「エア・シーバトル=空海戦」と呼ばれ、中国軍による米空母を主標的にする対艦弾道ミサイルや米軍事衛星破壊、米軍のC4ISR(指揮・統制・通信・コンピューター・情報・監視・偵察を一体化したシステム)の機能不全を狙うサイバー攻撃-への対処を主眼に置く。台湾・朝鮮半島有事において、米軍の西進を阻む、中国軍の「接近阻止」戦略への対抗戦略でもある。結果、空海軍戦力とその統合作戦の一層の強化や先端兵器開発・配備が急務となった。
冷戦直後まで、米海軍戦略の中核は、世界規模の展開能力を有する追随を許さぬ海軍力により、米本土から敵勢力の海岸線までの海上交通路を確保し、戦略的優位を保つことにあった。
しかし、中国軍の驚異的な質的向上をよそに、米軍は大幅予算削減を強いられ始め、従来戦略維持は困難になりつつある。マハンの「敵艦隊を見つけ出して撃滅し、広域で永続的な制海権を取る」論理に黄信号が灯(とも)ったのだ。
コーベットはこの種の制海権確保は達成不可能だとする。ホームズ氏もこれに賛同し、「今後は特定海域で一定期間優位を築く海軍へと移行する」と予測した。
コーベットはまた、トラファルガー海戦(1805年)後に着目した。英艦隊は海戦で、フランス・スペイン連合艦隊に壊滅的打撃を与えたにもかかわらずその後、対仏同盟諸国が陸戦でフランスに相次ぎ敗北したため、10年ものフランスによる欧州覇権を許したではないかと、海軍力の限界を指摘。「シー・パワー」による英艦隊勝利は、英本土に仏軍を上陸させないための防御的戦闘による結果で、フランスのような強大な陸軍国家を撃破するには決定力に欠けると確信した。
その前提に立ち、海軍は「政治・外交の延長線上」にあり、任務の一つは「外交支援・妨害」だと位置付けた。英国の海洋帝国としての繁栄を、海陸軍力と経済・外交力の包括的相互作用の成果だと見なしたためだ。従って、海陸軍は別の目的に向かい動くのではなく、補完関係だと強調した。
斯(か)くしてコーベットは、海陸軍の統合運用が最強戦略だと結論付けた。米軍もまた、第二次大戦中から陸海空軍や海兵隊といった軍種を超えて立体的に運用する統合作戦の実現を模索し、現在なお、試行錯誤を繰り返す。中国軍の近代化や戦略・戦術面での多様化により、米軍は一層、コーベット流の統合運用が必須の状況になったようだ。
日本周辺 恐怖の海域
実は、中国軍もマハンの信奉者。海上交通路の重要性に目覚め、海軍の大幅拡充を図っているのはその証左である。ただし、コーベットにも着眼し始めた。米海軍大学のトシ・ヨシハラ教授は(1)陸上も重視するコーベットは、巨大な陸軍国家・中国の戦略に合致(2)コーベット主張の「戦略的防勢/戦術的防御」は反撃機会を待つもので、毛沢東以来の持久戦思想に通じる(3)中国は島嶼(とうしょ)に関わる領土・領海問題を周辺諸国との間に数多(あまた)抱え、海軍に支援された陸上兵力による上陸戦術は大いに参考になる-などの点において、中国海軍指導層に強く影響したと分析する。マハンで強大・強力な海軍を目指し、コーベットで機動・柔軟性を加味していくだろう。日本周辺海域は、マハンとコーベットの亡霊がさまよい歩く「恐怖の海域」になった。