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【消えた偉人・物語】「古事記の話」






古事記が和銅5(712)年に撰上されてより、本年で1300年を迎える。2月には太安万侶(おおのやすまろ)を祭る多(おお)神社若宮・小杜(こもり)神社(奈良県田原本町)で「古事記献上祭」、4月には稗田阿礼(ひえだのあれ)を祭る売太(めた)神社(同県大和郡山市)で「古事記撰上1300年奉祝祭」がそれぞれ執り行われ、また各地でもそれを記念した講演会やシンポジウム、式典などが開催されている。

 古事記は、元明天皇の勅命により編纂(へんさん)された日本最古の歴史書である。非凡な記憶力をもった稗田阿礼の誦習(しょうしゅう)した古伝(こでん)を太安万侶が記録した。江戸時代の漢学者・斎藤拙堂(せつどう)によれば、安万侶が書いた序文(上表文)の漢文は古今を通じて卓越した名文だという。

 一方、古事記本文は、変体漢文で記されている。つまり当時はまだ片仮名・平仮名が存在しなかったから、阿礼の伝えた古伝は漢文体を使用して漢字のみで表記された。この点について国定国語教科書(第4期)に掲載された「古事記の話」は、「安万侶は、いろいろの方法を用ひた。例へば『アメツチ』といふのを『天地』と書き、『クラゲ』といふのを『久羅下』と書いた」というように、安万侶が訓字表記語と音仮名表記語を使い分け読者に誤りなく読み取れるように多大な苦心を払ったことを説明している。

 「古事記の話」は「我々は今日古事記を読んで、国初以来の歴史を知ると共に、其の言葉を通して、古代日本人の精神をありありと読むことが出来るのである」と結んでいるが、多くの人が古事記を読めるようになったのは国学が興隆した近世以降のことである。

 かつて幕末の国学者・橘曙覧(たちばなのあけみ)は、「廃れつる 古書どもも 動きいでて 御世(みよ)あらためつ 時のゆければ」と詠った。古書とは古事記などを指しているが、確かに「諸事神武創業の始にもとづき」(王政復古の大号令)という言葉に象徴されるごとく、古代精神に立ち返ることで、明治維新が行われ近代日本の幕が開けたのだった。今日混迷するわが国においても、再び行くべき道を示してくれるのはこの古代精神なのではないか。私たちも、古書をひもとき古代精神を思い起こしてみよう。今の“御世”をあらためていくために。

                      (皇學館大学准教授・渡邊毅)




草莽崛起:皇国ノ興廃此ノ一戦在リ各員一層奮励努力セヨ。大日本帝国憲法復活! 


                小学国語読本巻十二(昭和13年発行)に収録されている「古事記の話」