【日本人の源流 神話を訪ねて】
「あなにやし、えをとめを(なんときれいな女性でしょう)」
緊張した面持ちの新郎が高らかに唱えると、新婦が応じる。
「あなにやし、えをとこを(なんと素晴らしい男性でしょう)」
雅(みやび)なやりとりで永遠の愛を誓う結婚式が、淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮(兵庫県淡路市)で行われ、人気を集めている。同神社の祭神はイザナキノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)。古事記が日本列島の誕生とする「国生み神話」で、主役となる神々である。古語の会話は、2人の神が国生みの際に交わした言葉だ。
「誓いの言葉は、女性の方が堂々としているんですよ」と同神社の本名孝至宮司(67)は笑う。式では、結ばれた2人に神話に込められた意味も伝える。
「結婚は新郎新婦だけでなく、互いの両親や親族、先祖までがつながりを持つこと。その向こうに神様がいるんです」
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ユーラシア大陸に沿って南北に連なる日本列島。起伏に富む地形と四季の美しさは、国生みという神がかり的な行為から生み出された、と古代人は考えた。
〈国稚(わか)く浮ける脂(あぶら)の如くして、くらげなす漂へる〉
2人の神が、天上から授かった聖なる矛(ほこ)、天(あま)の沼矛(ぬほこ)でかき混ぜる前の地上世界について古事記はそう記す。天地創造を連想させる表現に、中西輝政・京都大名誉教授(65)は注目する。
「日本列島は、太平洋やユーラシアなど4つのプレートがひしめく極めて特異な環境にある。地底には溶岩がどろどろ流れ、クラゲのようだと古代人は感じたのだろう」
地震国・日本。地震だけでなく火山の噴火も古代から頻発していた。その一方で温暖多雨。四季の訪れもある。
「山があり、そこに雲がかかって雨になり、谷川に流れて田畑を潤す。そのそれぞれに神がある、と古代の人たちは考えた。その神を畏れ、敬い、恵みに感謝する。その営みのなかから生まれたのが日本の神話でしょう」
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神話が描く国生みの様子は、いかにも雄大で神秘的である。2人の神が天の沼矛で海をかき回すと、矛からしたたり落ちたしずくが島になり、さらに「天の御柱(みはしら)」の周りを互いに逆の方向に回って交わると、日本列島が誕生した。
真っ先に生まれた淡路島を、古事記は「淡路之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)」と記す。「今も稲穂が豊かに実り、島の人たちは田をとても大切にしている」と本名氏。瑞穂の国を象徴する豊かな土地だからこそ、最初に生まれた島とされたのかもしれない。
続いて生まれたのは伊予之二名島(いよのふたなのしま)(四国)、隠伎之三子島(おきのみつごのしま)(隠岐島)、筑紫島(つくしのしま)(九州)、伊伎島(いきのしま)(壱岐)、津島(対馬)、佐度島(さどのしま)(佐渡)、大倭豊秋津島(おおやまととよあきづしま)(畿内一帯)。畿内以東について語られていないのは、政権の統治外の地域だったためと考えられる。神話は、古代の政治状況を垣間見る史料でもある。
国生みを終えたイザナキノミコトは淡路島で余生を送ったと伝わり、その場所が伊弉諾神宮。「日本の国土が昔から変わりなく存在することこそありがたい」と本名氏は話す。
「今の日本人は、どんな国に生まれ、日本はどんな国なのかという『背骨』を失っている」と中西氏は言う。「神話は次代を担う子供たちにとっても夢や自信、祖先や国土への思いを育んでくれる教材なんです」
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712年に完成した古事記1300年を機に、その意義を見つめ直したい。上巻(かみつまき)、中巻(なかつまき)、下巻(しもつまき)からなる古事記のまず上巻を、第1部で考察する。
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≪国生み≫
イザナキノミコトとイザナミノミコトは天上の高天原で、神々から「いまだ漂っている国土を整えてつくり固めよ」と命じられる。天の沼矛で「こおろこおろ」と海をかき回すと、矛の先からこぼれ落ちたしずくが積もって「オノゴロ島」ができた。2人の神はここに降りて、天の御柱と神殿を建立した。
イザナミノミコトが「私には成り合わないところが1カ所ある」と言うと、イザナキノミコトは「私には成りあまったところが1カ所ある」と言い、「私の成りあまったところでそなたのところを塞いで国土を生もう」と2人が交わった。最初にイザナミノミコトが声をかけると、きちんと島ができなかったため、イザナキノミコトから声をかけ、淡路島など8つの島ができたので、日本を「大八島国」といった。